復讐姫と二人の英雄 —殺戮将軍と天才軍師の執着。その天命の盤で美しく狂い咲く—

 風が運んでくるのは、もはや悲鳴ですらない。喉を潰された者たちの、湿った喘ぎ。中原(ちゅうげん)の土は、吸い込みきれなかった鮮血で赤黒い泥濘(ぬかるみ)と化し、踏みつけるたびに粘りつく。昨日までの繁栄は、一晩あれば骸の山にすり替わる。そんな、(ことわり)などどこにもない修羅の時代。

 その男は、まさに「凶兆」そのものだった

 鼻腔(びこう)を突くのは、獣の毛皮に染み付いた乾いた血の臭い。そして、それを傲慢に塗り潰す、冷たく甘い伽羅(きゃら)の残り香。

——赫燕(かくえん)

 大陸最強の騎馬隊を率い、その蹄の跡には雑草一本残さぬ焦土(しょうど)を築く男。人は彼を「麒麟児」と呼び、崇めるよりも先に、天災に遭ったかのようにその名を恐れた。

 乱暴に顎を掴み上げられ、玉蓮の視界が揺れる。指先の胼胝(たこ)が頬の肉へ食い込んだ。痛い、と感じるより先に、その眼の昏さに呼吸が止まった。数多の命を奪い、光さえも吸い尽くしたような漆黒。

劉義(りゅうぎ)のところの、出来のいいお人形さんか」

 低い声が、直接鼓膜を削るような嘲笑を孕んで響いた。

「……お頭の、お役に立てるよう、尽力いたします」

 震えを奥歯で噛み殺し、射抜くような眼差しを真っ向から受け止める。男はふっと喉の奥で、獲物を品定めするような笑いを漏らした。そのまま、噛み付くような距離まで耳元に顔を寄せる。

「……覚えておけ」

 熱い呼気が、烙印のように肌に刻まれる。

「お前の首輪は、俺が持つ」

 圧倒的な気配に潰されそうになりながら、玉蓮はゆっくりと、闇を飲み込むようにまぶたを閉じた。

(怯むな。この男こそ、我が刃なのだから)

 力が手に入るのなら、全てを投げ出せる。姉の四肢を断ち、その皮を剥いだ玄済(げんさい)国のあの男に届くのなら。魂が泥に(まみ)れ、地獄の底へ堕ちることさえ救いだ。

 すべては、姉の死という現実が、玉蓮の小さな世界を塵ひとつ残さずに焼き尽くした、あの日から始まった。