この人の側にいてはいけない。その誠実さに触れるたび、自分が抱き続けてきた憎悪の炎が、その形を失いそうになる。赫燕と共に歩むと決めた、あの血塗られた道が、ひどく遠いものに思えてしまう。
この穏やかささえ、毒を孕んでいるように思えた。上質な絹でできた首輪のように——気づかぬうちに、ゆっくりと、確実に、心を締め上げてゆくのだろう。
そんな風に心が揺れ動いた夜には、決まって悪夢を見る。崔瑾の屋敷の、この完璧すぎるほどの静寂がいけないのだ。
赫燕の天幕に満ちていた、男たちの汗の匂い、酒の匂い、そして、あの男の肌の熱を、あまりにも鮮明に思い出させてしまうから。聞こえるはずのない姉の悲鳴が耳朶を打ち、そして、闇の底から見つめる、赫燕の深い瞳が脳裏に焼き付く。
玉蓮は、懐から硬い感触を取り出す。赫燕から渡された、一本の匕首と、あの紫水晶。
『——喉笛に剣を突き立てろ』
あの夜の囁きが、今も紫水晶の奥でくすぶっている。
その冷たい石に頬を寄せる。肌に触れたそれは、ひやりと冷たかった。だがその冷たさの奥に、赫燕の、灼けるような肌の熱がまだ残っている。血と甘い匂い、息が乱れる音、胸の鼓動。あの夜、彼の腕の中で、世界の全てがその色に染まっていた。
この静謐な盤面の下——誰にも気づかれぬように、玉蓮はそっと、赫燕の温もりを心の最奥に置いた。
この穏やかささえ、毒を孕んでいるように思えた。上質な絹でできた首輪のように——気づかぬうちに、ゆっくりと、確実に、心を締め上げてゆくのだろう。
そんな風に心が揺れ動いた夜には、決まって悪夢を見る。崔瑾の屋敷の、この完璧すぎるほどの静寂がいけないのだ。
赫燕の天幕に満ちていた、男たちの汗の匂い、酒の匂い、そして、あの男の肌の熱を、あまりにも鮮明に思い出させてしまうから。聞こえるはずのない姉の悲鳴が耳朶を打ち、そして、闇の底から見つめる、赫燕の深い瞳が脳裏に焼き付く。
玉蓮は、懐から硬い感触を取り出す。赫燕から渡された、一本の匕首と、あの紫水晶。
『——喉笛に剣を突き立てろ』
あの夜の囁きが、今も紫水晶の奥でくすぶっている。
その冷たい石に頬を寄せる。肌に触れたそれは、ひやりと冷たかった。だがその冷たさの奥に、赫燕の、灼けるような肌の熱がまだ残っている。血と甘い匂い、息が乱れる音、胸の鼓動。あの夜、彼の腕の中で、世界の全てがその色に染まっていた。
この静謐な盤面の下——誰にも気づかれぬように、玉蓮はそっと、赫燕の温もりを心の最奥に置いた。

