闇を抱く白菊—天命の盤—復讐姫は、殺戮将軍の腕の中で咲き誇る。


 隣の崔瑾(さいきん)は、何も言わず、ただ静かにこちらを見つめている。馬斗琉(ばとる)が深く息を吸い込み、崔瑾に視線を向ける。

「我が国側の霜牙(そうが)(あし)の帯が長く続く地。板を渡せば進むが、渡さねば馬は沈みます。ゆえに大孤(だいこ)は確かに進軍路として谷を選ぶでしょう。崔瑾(さいきん)様、玉蓮様のこの策、見事というほかありません。しかし——」

 馬斗琉(ばとる)の声から、いつものような張りが消えていた。まるで、喉に何かを詰まらせたかのように、くぐもった重い響き。

「どの策も、それを実行する駒が腐っていては、意味を成しませぬ。一年半ほど前の白楊(はくよう)国との戦。あの張将軍の二の舞になることだけは、避けねば」

 その名が出た瞬間、書斎の空気が僅かに凍り付く。崔瑾は、何も言わずに、ただ、その静かな瞳で、馬斗琉(ばとる)の言葉の続きを促す。

「……あの無能な男が、なぜあれほどの要職に抜擢されたのか。今もって、腑に落ちませぬ。あの人事のおかげで、我らは無駄な血を流しました。兵站(へいたん)は滞り、白楊(はくよう)に全滅に近い形で敗北したのです……あの人事を推挙したのは、確か」

「……周礼殿、だな」

「はい」

 崔瑾の声も、馬斗琉(ばとる)の声もどこまでも静かだった。崔瑾の瞳の奥で、今まで静かに沈んでいた刃が、わずかに光を返した。そのきらめきに、玉蓮は一瞬、胸の奥がざわめくのを覚えた。