闇を抱く白菊—天命の盤—復讐姫は、殺戮将軍の腕の中で咲き誇る。

 数刻にも感じる沈黙の間、崔瑾(さいきん)の脳裏には、何度も反芻(はんすう)し、そして打ち消してきた一つの可能性が浮かび上がっていた。それは、この窮地を打開するための、あまりにも危険で、しかし彼女を生かす唯一の道。

(長い大陸の歴史の中でも、数例の可能性にかけるしかない。ここで動かなければ、彼女の未来は、血に染まる——)

 心臓が、早鐘を打つ。それは恐れでも迷いでもなく、覚悟を決めた者だけが知る、激しい決意の律動。目の前の事態は、まさに絶体絶命。勝算があって、ないような力業(ちからわざ)の交渉だ。これまでに(つちか)ってきた知略も、政治的駆け引きも通用しない、一世一代の大博打。しかし、不思議と恐怖はない。胸の中で(くすぶ)っていた残り火が、一気に燃え上がり、全身の血を沸騰させていく。

 諦めるという選択肢は、己の中には存在しない。崔瑾は、肺いっぱいに空気を吸い込み、そして腹の底から声を張り上げた。

「——ならば、公主を……大都督(だいととく)・正室として迎えまする」

「何を言う!!! 白菊は私のものだ! たかが一介の武将が、王の妃を奪うとは、許し難い暴挙ぞ!」

 王の絶叫が広間を揺るがす。その顔は怒りで赤黒く歪み、浮き上がった青筋がピクリと跳ねた。地獄の底から響くような、その咆哮と共に、崔瑾を射殺さんばかりの視線が突き刺さる。

「どうか、公主を下賜(かし)ください。崔家は、王族に連なる家。白楊も認めましょう。この崔瑾の不肖(ふしょう)の身を、白楊(はくよう)国・公主の守護者としてお認めください」

 喉が、からからに乾ききっている。背中を嫌な汗が伝っていくのがわかる。それでも、声に一切の震えは乗せなかった。その場にいる全ての重臣のいかなる反論も封殺(ふうさつ)する、絶対的な響きを声に込めた。早まろうとする鼓動を叱咤するように、薄く、長く、静かに息を吐き切る。

 場が静まり返り、王の唇が悔しげに歪み、周礼の、常に貼り付いていたはずの笑みが、完全に消え失せていた。だが、一人だけ——太后は、ただ静かに微笑んでいる。

(なぜだ。王の怒りを買い、ここで処罰されることさえ覚悟していたのに)

 あからさまな愉悦を見せない太后の微笑みに、崔瑾はいくつもの可能性を頭に走らせていく。王の怒りが走った時よりも、よほど冷たい汗が崔瑾の背中を伝っていった。