闇を抱く白菊—天命の盤—復讐姫は、殺戮将軍の腕の中で咲き誇る。



 馬斗琉(ばとる)は、「(しょう)()様に太医を遣わせました」と告げて、頭を下げ退出した。

 部屋には再び重厚な静寂が訪れる。墨の香りと、布の擦れる音だけが、時折その静寂を破る。沈黙の中で、玉蓮は意を決して口を開いた。

「……なぜ、わたくしを?」

 その問いは、玉蓮の心の中で長い間くすぶっていた疑問だった。崔瑾は椅子に座ったまま、その視線を玉蓮の方へと向けた。

「なぜ、とは」

 彼の声は、いつものように穏やかだったが、その中に潜む真剣な響きが、玉蓮の心の芯を、直接震わせる。

「馬斗琉の言うとおりです。なぜ、あれほど強引に、わたくしを(めと)ったのですか」

 崔瑾は玉蓮の問いに即答せず、少しだけ遠くを見た。何かを考えるように、何かを思い出すように。そして、彼は自嘲(じちょう)するように、ふっと息を漏らす。

「……柄にもなく、熱くなってしまったのです。理由は、私にも、まだよくは」

 心の中で嵐が吹き荒れる。敵国の男で、今まで何度となく戦場で相対してきた総大将。その男が、紛れもなく自分を助け出したのだ。

 あの輿入れの日、ともすればこの男は斬首になっていてもおかしくはなかった。この国の闇を見れば見るほどに、その可能性は、事実となって、また鮮明になる。込み上げてくる、説明のつかない感情を振り払うように、玉蓮は崔瑾から視線を逸らした。

 視界の端で、崔瑾が立ち上がる。衣の音を微かに立てながら一歩ずつ進んで、玉蓮の前で止まった。そして、息づかいが聞こえたかと思うと、「今も」と小さな声がして、玉蓮は視線を崔瑾に戻した。

「復讐を、考えておいでですか」

 背骨に、凍るような風が走る。懐に忍ばせた赫燕(かくえん)の匕首が、まるで自ら熱を帯びたかのように、じり、と存在を主張する。何も答えない玉蓮を、崔瑾は、真っ直ぐに見つめている。長い沈黙の後、彼は口を開いた。

「……いつか、貴女(あなた)のその闇が晴れ、心から笑える日が来ることを、私は願っています」

 そう告げた崔瑾の手が、初めて玉蓮に伸ばされる。ためらいなく、しかしゆっくりと、彼の指先が近づく。その指先が頬を滑る瞬間、息が止まった。彼の胸が近づいてくる、そう思ったのに身体が動かない。

 そして、次の瞬間、肌を包む布の重みと腕の温かさが一斉に全身を押し包んだ。崔瑾の胸から心の臓の音が響いてきて、玉蓮は身じろいだが、その優しいはずの腕に力が込められる。

——なぜ。その言葉に涙が溢れるのか。炎が宿るこの胸が締め付けられるのか。

 そっと穏やかに抱きしめる、この腕を振り払いたい。この温かい胸を押し返したい。優しく触れるこの指を拒みたいのに、なぜ。溢れる涙が、とめどなく崔瑾の胸に吸い込まれていく。