復讐姫と二人の英雄 —殺戮将軍と天才軍師の執着。その天命の盤で美しく狂い咲く—

◇◇◇

 十六歳になり、塾を卒業する日、数多(あまた)の将軍の中から、玉蓮(ぎょくれん)は迷いなくその名を口にした。


「——赫燕(かくえん)将軍の元へ」


 その名を出した瞬間、部屋の空気が一瞬にして凍りついた。

 茶を注いでいた劉義(りゅうぎ)の手が止まる。茶器から溢れた湯が卓上へとこぼれ、ポタ、ポタ、と床を叩く音だけが、やけに大きく響いた。劉義も、温泰(おんたい)も、まるで亡霊でも見たかのように目を見開いて固まっている。ただ一人、劉永(りゅうえい)だけが、目蓋(まぶた)を伏せた。

 やがて、劉義は茶器をコトリと置くと、ゆっくりと顔を上げた。その瞳と視線がぶつかった瞬間、喉がきゅうと狭くなる。

「玉蓮。私は、あの者の元へと行かせるために、お前を育てたのではないぞ」

 一瞬、ぐらりと体が揺れそうになり、どうにか両手に力を込めて体を支える。

「先生……」

「そのために、公主であるお前が王宮を離れるという、特別なお許しを大王にいただいたのではない」

 玉蓮を産むと同時に死んだ宮女の母、そして唯一の家族だった姉。その姉さえも失った六歳の彼女に血を注ぎ込むようにして、知略も武勇も鍛え、育ててくれた恩師の声が、ひどく掠れていた。

「わかっているのか。あの者は血筋や立場など(かえり)みぬ。王族であろうと、容赦なく切り捨てる。赫燕将軍の元に身を置くということは、その闇に触れるということだ。軍に属する者として、上官に斬られても——何をされても、決して文句は言えぬ。それほどの覚悟がいる」

「承知しております」

 脳裏に浮かぶのは、血のように赤い婚礼衣装を纏い、微笑(ほほえ)んでいた姉の最期の姿だけ。(ふところ)に忍ばせている守り鳥が、まるで熱を持っているようで胸が痛い。

「赫燕軍は本国における最強の『(ほこ)』。その切っ先の向く先にあるのは、常に大国・玄済(げんさい)。わたくしは、姉上の仇に届かなければなりません」

 玉蓮は、真っ直ぐに師の瞳を見つめ返した。

「かの軍は、北の大孤(だいこ)を攻め、明日にもそのまま南下して玄済(げんさい)国に入るはず」

「玉蓮……」

「先生、どうか、お願いいたします。赫燕将軍の配下に。わたくしは、どうしても……あの力が欲しいのです」

 そう俯きながら告げると、隣にいる劉永の拳が視界に入った。握りしめられて、白くなっていく。

「永兄様……」

 彼の手から視線をあげれば、こちらを見つめる瞳と目があった。彼の瞳に見つめられ、いくつもの日々が蘇る。

 先生に息子だと紹介された、あの日。ともに月明かりの下で剣を振り、書を学んだ夜。そして、(あざ)だらけになった手を、いつも握ってくれていた、あの温もり。

 目の前で、あの頃と変わらない美しい瞳がひたすらに自分を映し出す。そのあまりに純粋な眼差しに、胸の奥が、きりりと痛んだ。そして——

「玉蓮」

 いつの間にか低くなった声が、昔と変わらず玉蓮を優しく呼ぶ。その声に導かれるように、玉蓮は三人に向き直り、両手を床につく。木の温もりが、手のひらに硬く、しかし温かく伝わる。