◇◇◇ 朱飛 ◇◇◇
玉蓮の背を追いかけそうになって、足を止めた。あの背に手を伸ばせるのは、自分ではない——そう、決して。
「お頭……」
玉蓮の姿が幕の向こうに消えても、天幕の中は、息が詰まるほどの沈黙に支配されている。朱飛は、天幕の中心に座す主の顔を、睨んだ。胸の奥で、灼けつくような何かが、出口を求めて、激しく蠢いている。怒りの咆哮を上げるか、あるいは、その場で使者の首を刎ねると思っていた。なのに、なぜ。
「……これで、いいのですか」
抑えきれずに、声が漏れる。何も答えない赫燕に胸の内で何かが暴れ出す。
「それなら……なぜ、あいつを! 一時の戯れならまだ! あいつが、どれだけ……」
喉の奥から、絞り出すような声が迸る。赫燕が、ゆっくりと朱飛に視線を向けた。その深淵の瞳は、まるで感情のひとかけらも宿していないかのように冷たく揺らめく。だが、肘掛けに置かれた彼の手が、ぎり、と。硬い木を砕かんばかりに握りしめられているのを、朱飛だけが見ていた。赫燕は、ただ、一言だけ、低い声で言った。
「……黙れ」
その声は、地を這うように冷たく、絶対的だった。有無を言わさぬ、盤上の王の一言のように。その言葉を最後に、赫燕はもはや朱飛に視線を戻すことなく、その深淵の瞳で、天幕の先の闇を、ただ、じっと見つめていた。
玉蓮の背を追いかけそうになって、足を止めた。あの背に手を伸ばせるのは、自分ではない——そう、決して。
「お頭……」
玉蓮の姿が幕の向こうに消えても、天幕の中は、息が詰まるほどの沈黙に支配されている。朱飛は、天幕の中心に座す主の顔を、睨んだ。胸の奥で、灼けつくような何かが、出口を求めて、激しく蠢いている。怒りの咆哮を上げるか、あるいは、その場で使者の首を刎ねると思っていた。なのに、なぜ。
「……これで、いいのですか」
抑えきれずに、声が漏れる。何も答えない赫燕に胸の内で何かが暴れ出す。
「それなら……なぜ、あいつを! 一時の戯れならまだ! あいつが、どれだけ……」
喉の奥から、絞り出すような声が迸る。赫燕が、ゆっくりと朱飛に視線を向けた。その深淵の瞳は、まるで感情のひとかけらも宿していないかのように冷たく揺らめく。だが、肘掛けに置かれた彼の手が、ぎり、と。硬い木を砕かんばかりに握りしめられているのを、朱飛だけが見ていた。赫燕は、ただ、一言だけ、低い声で言った。
「……黙れ」
その声は、地を這うように冷たく、絶対的だった。有無を言わさぬ、盤上の王の一言のように。その言葉を最後に、赫燕はもはや朱飛に視線を戻すことなく、その深淵の瞳で、天幕の先の闇を、ただ、じっと見つめていた。

