闇を抱く白菊—天命の盤—復讐姫は、殺戮将軍の腕の中で咲き誇る。

◇◇◇

 ある日の午後、屋敷の一室で赫燕(かくえん)は、いつものように巨大な地図を眺めていた。その背中は、岩のように大きく、誰も寄せ付けない空気を纏っている。その少し離れた場所で、玉蓮は慣れた手つきで、戦で深く傷んだ彼の甲冑(かっちゅう)の革紐を修繕していた。擦り切れ、ほつれた革紐は、激戦を物語る。

 やがて、玉蓮は修繕を終えると、音もなく静かに立ち上がり、部屋の隅に置かれた茶器に手を伸ばし、丁寧に茶を淹れる。湯気の立つ茶葉の香りが、伽羅(きゃら)の香が漂う部屋に微かに溶け込んだ。

 地図に没頭する赫燕(かくえん)の視界を遮らぬよう、完璧な位置に、そっと音もなく杯を置く。赫燕は地図から目を離さない。感謝の言葉も、労いの言葉もない。しかし、その大きな手が、まるでそこに杯があることを初めから知っていたかのように、ごく自然に杯へと伸び、茶を一口すすった。屋敷の中は常に、深遠(しんえん)で甘やかな伽羅(きゃら)の香が焚かれている。出会った頃と変わらぬその香り。


 ふと、玉蓮は視線を香炉(こうろ)へと向けた。金の香炉の内側、そこに紫水晶と同じ、見覚えのある模様を見つけたからだ。精緻(せいち)な細工で施されたその模様は、(ぎょく)を掴んだ四本角の龍が天へと昇る姿を描いていた。

「これは……気づきませんでした。ここにも紫水晶と同じ龍がいたのですね」

 静寂な部屋に響いた玉蓮の声に、赫燕は地図から目を離さぬまま、「ああ」と声だけで答えた。

「そうだな。知っているのは、朱飛(しゅひ)ぐらいだ」

 玉蓮が大きく息を吸い込めば、上等な伽羅(きゃら)が肺を満たすように身体に入っていく。

「……なぜ、いつもこの香を?」

 空間に満ちる、甘く、どこか心を凍らせるような伽羅の香りと、細く揺蕩(たゆた)うその煙。赫燕は、玉蓮の問いにしばし沈黙していたが、やがて(うつ)ろな瞳を香炉に向けた。