闇を抱く白菊—天命の盤—復讐姫は、殺戮将軍の腕の中で咲き誇る。

 沈香(じんこう)の甘い香りが、ふわりと鼻腔をくすぐる。腕の中の、小さな体の温もり。それが、これまで武骨な生き方しか知らなかった自分の胸の奥に、じんわりと染み込んでいく。まるで、凍てついた大地に、初めて陽の光が差したかのように温かい。

 自分の胸の中で、彼女が安堵したように息を吐くのを感じる。その、あまりにも無防備な信頼が、(しゅひ)胸を内側から食い破ろうとする。肩に触れた玉蓮の黒髪が、はらはらと細い絹糸のように落ちていく。柔らかな感触が微かな熱を帯びて、朱飛の皮膚をじんわりと温めた。

 指先が、まるでそれ自身の意志を持つかのように、彼女の髪をそっと()く。一筋一筋、絡まることなく滑らかに指をすり抜ける髪は、この腕の中にいる彼女の存在をより鮮明に意識させる。腕の中で、彼女が小さく息を呑む気配がして、そのまま腕に力をこめると、玉蓮がかすかに声を漏らした。

「ん……」

 熱を帯びた白い肌が腕に触れる。さらに腕に力を込めれば、この華奢な身体は容易く壊れてしまうだろう。もっと強く、刻みつけるように、この腕の中に閉じ込めてしまいたい。その、獣のような衝動が、背筋を駆け上がった。朱飛は、奥歯を強く噛み締める。己の内に宿る獣を、理性の鎖で必死に押さえつける。額に、汗が滲んだ。

「……悪い」

 唇から、掠れた声が漏れる。 その声は、自分自身の感情の揺らぎを隠すように、低く、そして少しだけ震えている。

 腕の中で、彼女が小さく首を振るのが分かる。そして、ゆっくりと持ち上げられた顔には、あまりにも澄んだ瞳があった。吸い込まれるようなその瞳に見つめられると、どうしようもなく心が乱される。だが、いつものように、ただ、その頭に手を置いた。それしか、できなかった。 彼女が、安堵したように、そっと瞳を閉じる。

「……帰るか」

 それだけを静かに言うと、名残を惜しむ心を振り切るように、彼女から身を離し、天幕に向けて歩き出した。玉蓮の足音が少し遅れて、ついてくるのを感じながら。