闇を抱く白菊—天命の盤—復讐姫は、殺戮将軍の腕の中で咲き誇る。





 玉蓮は、間近に迫っていた。煙の切れ間に藍色の旗が(ひるがえ)り、白い『劉』の文字が現れた。視界を遮るほどの土埃が舞い上がり、兵士たちの怒号が、すぐそこで耳をつんざく。吸い込んだ瞬間、吐き出したくなるほどの血と土の匂いが喉を焼いていく。

 そんな喧騒と混沌の中で、玉蓮の視線はただ一点だけに向けられていた。自軍の将が、敵兵に追い詰められ、今にも討ち取られようとしている。数えきれないほどの敵兵が、将を取り囲み、その命を狙っている。

 その絶望的な状況の中へ走った、一筋の閃光(せんこう)劉永(りゅうえい)が電光石火の如く敵兵の群れに突進していく。まるで嵐のように敵陣を貫いた。彼の剣はしなやかに宙を舞い、敵の盾を砕き、甲冑(かっちゅう)を貫き、正確に命を奪っていく。

 しかし、次の瞬間。自軍の将軍を(かば)い、前に躍り出る劉永の姿。その背後、玄済(げんさい)国の鎧を着た男の顔が、獰猛(どうもう)な笑みを浮かべる。男の剣が、銀色の軌跡(きせき)を描く。劉永の鎧の隙間、脇腹へ。吸い込まれるように。


 舞い上がった血飛沫(ちしぶき)の一粒一粒が、まるで紅い宝石のように、玉蓮の瞳に映った。彼の甲冑を切り裂く、ぐしゃり、という鈍く湿った音だけが、頭蓋の内側で何度も、何度も、反響した。

「ぁ……」

 肺から、全ての空気が奪われる。全身の血が、一度に逆流していく。

「っ永兄様ぁ!」

 声が出たのかさえわからなかった。ただ、喉が焼けるように熱い。

 彼女の視線の先、劉永の顔には苦悶(くもん)の表情が深く刻まれ、その体が馬上から、糸の切れた人形のように地面に崩れ落ちるのが見えた。

「ど、どけ! 通せ!」

 玉蓮は叫びながら、劉永のもとへ駆け寄ろうとした。彼の身体を赤く染める血の海。その鮮烈な赤が、玉蓮の視界の全てを塗りつぶす。人影が駆け寄り、劉永を抱きかかえるのが見えた。温泰(おんたい)だ。彼の、何事かを叫ぶ唇の動きと、その腕の震えだけが、音のない絵のように、網膜に焼き付いた。