闇を抱く白菊—天命の盤—復讐姫は、殺戮将軍の腕の中で咲き誇る。


 そこは、絶え間なく吹き付ける風と、遥か下界から聞こえる鉄と鉄がぶつかる甲高い音、そして兵士たちの断末魔に満ちていた。だが、赫燕(かくえん)の前に膝をついた瞬間、玉蓮の世界から全ての音が消える。風の音も、(とき)の声も、何も聞こえない。

 赫燕(かくえん)は肘掛けに腕を置いて、その手で頭を支え、こちらを見下ろしている。

「お、おかしらっ」

 汗が滲み、組んだ両の拳は小刻みに震えている。赫燕(かくえん)の瞳が、何の感情も宿っていないかのように、玉蓮を見つめている。

 自分の荒い呼吸と、心の臓が(あばら)を叩く音だけが、やけに大きく耳に響く。

「……玉蓮、一生に一度の願いです」

「……なんだ」

 赫燕の瞳をのぞいても、何も返ってはこない。そこに、玉蓮という存在すら映っていないかのように。

「どうか……どうか、劉永隊の元へ行かせてください」

 周囲にいた兵たちからどよめきの声が上がる。赫燕の側にいた子睿(しえい)が、それまで弄んでいた扇子を、ぱしんと音を立てて閉じた。

「玉蓮、なにを言うのです! あなたは、この状況で、あの死地に飛び込むことがどういうことか、わかっているのですか!」

 完璧に整えられていたはずの顔が、初めて引き()り、その目は、玉蓮と赫燕の間を行き来する。

 この戦場は、どこも等しく死地なのだ。味方を助けるどころか、己の命を守ることでさえ、至難の業である。そんな状況で、他者を助けに行くなど正気の沙汰ではない。そんなことはわかっている。だが——玉蓮は、(ふところ)の鳥に触れるように胸に手を置いた。

「ただの宮女だった母が死んだ後、わたくしたち姉妹は、後宮で存在しないも同然でした。食べるものも、寒さを(しの)(すべ)もなく。そんな中で生きてこられたのは、ただ一人、姉上がいたからです」

 ただ真っ直ぐに、玉蓮は赫燕だけを見据える。

「ですが、姉上は……玄済(げんさい)国の王太子に嫁ぎ、半月後、四肢(しし)を切り落とされ殺された」

 胸が、炎が燃え盛るような熱を帯びる。

「復讐だけを胸に抱いて生きていたわたくしを、(いつく)しんでくださったのが……永兄様なのです。わたくしには、救いに行かないという選択肢は、ありません」