闇を抱く白菊—天命の盤—復讐姫は、殺戮将軍の腕の中で咲き誇る。


 赫燕(かくえん)を止める朱飛の小さな手。紅蓮の炎に包まれなが‬ら、幼かった赫燕を突き飛ばし、睨み、叫ぶ、蘇月(そげつ)の姿。‬


『——戻ってはなりませぬ! 生きろ!』


 鼓膜は、いつまでもその声を忘れずに、今もなお鮮明に響く。紫水晶を握りしめる手に、力が入る。

蘇月(そげつ)は、(えん)様を守ったことを誇りに思っていますよ」‬

 朱飛の声が遠くで反響するように、耳の奥で微かに震えた。

‭「死んだ奴の気持ちがわかるかよ」‬

 赫燕は、深く息を吐き出すように呟いた。

「わかるんです。姉ですから」

「生きろなんて、押し付けやがって」‬

 ただ、杯に残っていた酒を干した。そしてその指で、地図の上に描かれた、玄済(げんさい)国の王都・呂北(ろほく)の名を、強く、ゆっくりとなぞる。一瞬だけ、その指先が震える。

 胸奥をよぎる、あの女の声。刺すように冷たいのに、なぜか耳に残って離れない。まるで棘のように内側からじわりと疼く。

「……今度は、灰も残さねえかもな」‬

 朱飛は深く一礼すると、再び音もなく闇に溶けるように去っていった。

 一人残された赫燕は、しばし地図の上の呂北(ろほく)を睨みつけると、卓に置かれた灯火に、ふ、と息を吹きかけた。暗がりに慣れた瞳が、揺らめき、抵抗し、そして消えていく最後の火を見届ける。闇が支配を強めていく中で、空になった杯を指で弾くと、からん、という乾いた音だけが響いた。