闇を抱く白菊—天命の盤—復讐姫は、殺戮将軍の腕の中で咲き誇る。



 謁見(えっけん)の間を出ると、側近の馬斗琉(ばとる)阿扇(あせん)がゆっくりと歩み寄る。三人で回廊(かいろう)を進み、しばらくしたところで崔瑾(さいきん)はひんやりとした石造りの壁に背を預け、静かに目を閉じる。玉座の残り香が、まだ鼻腔(びこう)にまとわりつくようだった。甘く濃い——後宮の最奥の香。

崔瑾(さいきん)様? 大王へのご報告で何かございましたか」

 そばに控えていた阿扇(あせん)が、崔瑾の異変を察してか、控えめに声をかける。

「いえ……」

 崔瑾(さいきん)は一度目を閉じるとゆっくりと開き、謁見の間の方角を見やった。

(この国に巣食うは、蜘蛛か)

 指で顎先を数度さする。

馬斗琉(ばとる)……王が誕生の数年後、当時の王后(おうこう)の宮で火災があったという話を聞いたことはありますか?」

 阿扇(あせん)は、その緑色の大きな瞳を動かして馬斗琉(ばとる)に視線を向ける。

「火災でございますか」

「父上が言い遺したのです。闇が深まる前に、それを探るように、と」

 馬斗琉(ばとる)は一瞬、戸惑ったような表情を見せたが、すぐに記憶を探るように視線を落とした。

「……私も伝え聞いた話ですが、火災で当時の王后(おうこう)様が亡くなっているはずです。古い女官らの間に残る話では、当夜、現・太后様……(ふう)貴妃(きひ)が駆けつけ、火に飲み込まれた宮から、なんとか幼い王だけを救ったと」

「……なるほど」

「ただ、詳しく知る者はもう亡くなっているか、辺郡(へんぐん)に栄転になったそうです」

 馬斗琉(ばとる)の言葉に、阿扇(あせん)が眉根を寄せた。

「栄転? 崔瑾様、最近、その文言をあちこちで見ますね……兵部(へいぶ)の小役人まで《《辺郡へ栄転》》に」

 崔瑾は表情を変えず、低く命じた。

阿扇(あせん)、三つ、手に入れてください。王后(おうこう)宮の火災記録、太医(たいい)局の診簿(しんぼ)。それから……不自然な『栄転』が始まった時期の、印庫の控えです。王后(おうこう)が亡くなった前年・当年・翌年だけ写しを。印影は(たく)で手に入れてください。名は伏せ、決して気づかれぬように」

御意(ぎょい)

 そう答えて、阿扇(あせん)は音もなく回廊の奥へ消えた。崔瑾は再び目を閉じ、噂を心の中で並べる。

——当時の王后(おうこう)が亡くなった、宮の火災。

——そして、真相を知る者たちの、不自然な栄転。

「崔瑾様」

「もはや、あちらは隠すこともしなくなってきた。早々に止めねば、我が国は沈みゆく船も同様です」

 彼は呼吸を整え、回廊(かいろう)の闇へと歩を進めた。