◆
謁見の間を出ると、側近の馬斗琉と阿扇がゆっくりと歩み寄る。三人で回廊を進み、しばらくしたところで崔瑾はひんやりとした石造りの壁に背を預け、静かに目を閉じる。玉座の残り香が、まだ鼻腔にまとわりつくようだった。甘く濃い——後宮の最奥の香。
「崔瑾様? 大王へのご報告で何かございましたか」
そばに控えていた阿扇が、崔瑾の異変を察してか、控えめに声をかける。
「いえ……」
崔瑾は一度目を閉じるとゆっくりと開き、謁見の間の方角を見やった。
(この国に巣食うは、蜘蛛か)
指で顎先を数度さする。
「馬斗琉……王が誕生の数年後、当時の王后の宮で火災があったという話を聞いたことはありますか?」
阿扇は、その緑色の大きな瞳を動かして馬斗琉に視線を向ける。
「火災でございますか」
「父上が言い遺したのです。闇が深まる前に、それを探るように、と」
馬斗琉は一瞬、戸惑ったような表情を見せたが、すぐに記憶を探るように視線を落とした。
「……私も伝え聞いた話ですが、火災で当時の王后様が亡くなっているはずです。古い女官らの間に残る話では、当夜、現・太后様……馮貴妃が駆けつけ、火に飲み込まれた宮から、なんとか幼い王だけを救ったと」
「……なるほど」
「ただ、詳しく知る者はもう亡くなっているか、辺郡に栄転になったそうです」
馬斗琉の言葉に、阿扇が眉根を寄せた。
「栄転? 崔瑾様、最近、その文言をあちこちで見ますね……兵部の小役人まで《《辺郡へ栄転》》に」
崔瑾は表情を変えず、低く命じた。
「阿扇、三つ、手に入れてください。王后宮の火災記録、太医局の診簿。それから……不自然な『栄転』が始まった時期の、印庫の控えです。王后が亡くなった前年・当年・翌年だけ写しを。印影は拓で手に入れてください。名は伏せ、決して気づかれぬように」
「御意」
そう答えて、阿扇は音もなく回廊の奥へ消えた。崔瑾は再び目を閉じ、噂を心の中で並べる。
——当時の王后が亡くなった、宮の火災。
——そして、真相を知る者たちの、不自然な栄転。
「崔瑾様」
「もはや、あちらは隠すこともしなくなってきた。早々に止めねば、我が国は沈みゆく船も同様です」
彼は呼吸を整え、回廊の闇へと歩を進めた。
謁見の間を出ると、側近の馬斗琉と阿扇がゆっくりと歩み寄る。三人で回廊を進み、しばらくしたところで崔瑾はひんやりとした石造りの壁に背を預け、静かに目を閉じる。玉座の残り香が、まだ鼻腔にまとわりつくようだった。甘く濃い——後宮の最奥の香。
「崔瑾様? 大王へのご報告で何かございましたか」
そばに控えていた阿扇が、崔瑾の異変を察してか、控えめに声をかける。
「いえ……」
崔瑾は一度目を閉じるとゆっくりと開き、謁見の間の方角を見やった。
(この国に巣食うは、蜘蛛か)
指で顎先を数度さする。
「馬斗琉……王が誕生の数年後、当時の王后の宮で火災があったという話を聞いたことはありますか?」
阿扇は、その緑色の大きな瞳を動かして馬斗琉に視線を向ける。
「火災でございますか」
「父上が言い遺したのです。闇が深まる前に、それを探るように、と」
馬斗琉は一瞬、戸惑ったような表情を見せたが、すぐに記憶を探るように視線を落とした。
「……私も伝え聞いた話ですが、火災で当時の王后様が亡くなっているはずです。古い女官らの間に残る話では、当夜、現・太后様……馮貴妃が駆けつけ、火に飲み込まれた宮から、なんとか幼い王だけを救ったと」
「……なるほど」
「ただ、詳しく知る者はもう亡くなっているか、辺郡に栄転になったそうです」
馬斗琉の言葉に、阿扇が眉根を寄せた。
「栄転? 崔瑾様、最近、その文言をあちこちで見ますね……兵部の小役人まで《《辺郡へ栄転》》に」
崔瑾は表情を変えず、低く命じた。
「阿扇、三つ、手に入れてください。王后宮の火災記録、太医局の診簿。それから……不自然な『栄転』が始まった時期の、印庫の控えです。王后が亡くなった前年・当年・翌年だけ写しを。印影は拓で手に入れてください。名は伏せ、決して気づかれぬように」
「御意」
そう答えて、阿扇は音もなく回廊の奥へ消えた。崔瑾は再び目を閉じ、噂を心の中で並べる。
——当時の王后が亡くなった、宮の火災。
——そして、真相を知る者たちの、不自然な栄転。
「崔瑾様」
「もはや、あちらは隠すこともしなくなってきた。早々に止めねば、我が国は沈みゆく船も同様です」
彼は呼吸を整え、回廊の闇へと歩を進めた。

