闇を抱く白菊—天命の盤—復讐姫は、殺戮将軍の腕の中で咲き誇る。

◇◇◇ 崔瑾(さいきん) ◇◇◇

 崔瑾(さいきん)が陣営に戻る道すがら、側近たちが少し距離を取るように馬を歩かせていた。いつもならば、軽口や次の戦の手柄話で騒がしいはずだが、今は誰も口を開かず、馬の(ひづめ)の音と風の音だけが響く。

 天幕に戻り、崔瑾が一人、地図の前で物思いに沈んでいると、側近の中でも一際大柄な将軍の馬斗琉(ばとる)が、張り詰めた空気を破るように、重い口を開いた。

崔瑾(さいきん)様。先ほどの会談でのことですが……なぜ、あのようなことを」

 周囲の側近たちの沈黙は、答えを求める無言の問いのようだった。崔瑾(さいきん)はその静かな圧に気づきながら、顔を上げる。

「……間者(かんじゃ)より、報告は受けていました」

 静かに、自身の思いを組み立てるように、慎重に言葉を選ぶ。

白楊(はくよう)の王族に、奇妙な姫がいると。公主の身でありながら、武芸を磨く、前代未聞の公主。そして、大都督の学び舎を卒業するや、あの悪名高い、赫燕(かくえん)軍に自ら志願して入ったと」

 崔瑾は、そこで一度言葉を切る。

初陣(ういじん)で我が国の剛将を討ち取った姫君は、どのような悪名高き毒婦か、あるいは、野心に満ちた女傑(じょけつ)かと思っていたのです。間者(かんじゃ)からも、玄済(げんさい)への、そして王への、深い復讐心を抱いていることも聞いていました」

 脳裏に、玉蓮の姿が蘇る。

 実際に目の前に現れたのは、まるで戦場に場違いに咲いた、一輪の白菊。宿した復讐の炎が、彼女のその身を内側から焼いているにも関わらず、その瞳の奥には、まだ誰も触れていないような、純粋な光が確かに揺らめいていた。あの、あまりにも痛々しいほどの(いびつ)な美しさと危うさ。

「彼女の瞳を見た時に……」

 そうだ、あの瞬間、胸奥に(うず)いたのは、駒を読み解く意思ではなかった。

(なぜ、手を差し伸べたいと願ってしまった?)

 敵国の駒——そう断じるはずだった。しかし、その定義が、あの一瞬、音を立てて崩れた。ただ、守らねば、と。

 あの瞳に射抜かれた瞬間、胸奥に何かが微かに揺らぎ、そして、気がつけば、彼女の元に吸い寄せられるように歩み寄り、唇が勝手に言葉を紡いでいた。思い出した今もなお、その感触は心の奥に残っている。

 崔瑾(さいきん)は、自嘲(じちょう)するように、ふっと息を漏らす。

「崔瑾様?」

「……いえ、柄にもなく熱くなってしまいました。私も、まだまだですね」

 崔瑾はいつものように、穏やかな微笑みを側近たちに向けた。