闇を抱く白菊—天命の盤—復讐姫は、殺戮将軍の腕の中で咲き誇る。

 天幕の出口の前で、再び対峙して、別れの挨拶を告げて、礼をする。形式的なその流れの中で、玉蓮の視線が崔瑾(さいきん)のそれと、一瞬だけ確かに絡み合う。崔瑾の瞳が流れるように、玉蓮の首元に向けられたのがわかった。

 そして、玉蓮の側を通り過ぎる、まさにその時。

「公主、あなたの瞳を、私は忘れないでしょう」

 静かにそう告げると、崔瑾(さいきん)はさらに顔を玉蓮の耳元に近づけ、誰にも聞こえぬほどの声で囁いた。

「いつか、その首輪が重くなり、動けなくなる日が来たならば……私が、お助けいたします」

「なっ……」

 その声は、熱に浮かされた頭に直接染み込む、冷たい清水のようだった。赫燕の熱も、伽羅(きゃら)の香りも、全てが一度だけ遠のく。言葉の余韻が胸の奥にじわりと沈んでいく。

(——救う?)

 一瞬、胸によぎりそうになる何かを振り切るように、玉蓮は(ふところ)の鳥に触れるように胸に手を置いて、顔を上げる。

「——わたくしには、わたくしの道があります」

 毅然(きぜん)と、揺らめく炎をおさえるように静かに玉蓮がその言葉を口にする。

「それを進むだけです」

 崔瑾(さいきん)の瞳が、一瞬揺れて、そして少しだけ細められる。口元には、ほんのわずかな笑みを浮かべている。

「そうですか。では、私も私の道を進みましょう」

 崔瑾(さいきん)はゆっくりと、しかし丁重に一礼をすると、迷うことなく背を向けてその場を後にする。青い衣が光を浴びて揺らめき、颯爽(さっそう)と馬に(また)がる。彼の唇が動き何かを告げると、軍勢が一斉に動き出した。


 その背が遠ざかっていくほどに、胸の奥が少しずつ締め付けられていく。だが玉蓮は、ただ静かに見送ることしかできない。

 離れていく崔瑾(さいきん)とは反対に、玉蓮を抱く赫燕(かくえん)の腕に、力がこもる。その腕は、崔瑾(さいきん)が去っていくにつれてさらに強くなっていく。そして、赫燕(かくえん)は去っていく崔瑾(さいきん)の背中に向かってではなく、隣にいる玉蓮にだけ聞こえるように、低い声で吐き捨てた。

「あの男はいつか、お前みたいな女か、自分の信じる『正義』ってやつに殺される」

「……どういうことです」

 赫燕(かくえん)が何を言っているのか、そしてなぜそのようなことを自分に言うのか、理解できずに、思わずその言葉が口から溢れた。

「……盤が、動き出したってことだ。俺たちの運命ごとな」

 赫燕(かくえん)の笑みは、先ほどまでの愉悦の色を失い、その瞳の奥には何の感情も映していなかった。