闇を抱く白菊—天命の盤—復讐姫は、殺戮将軍の腕の中で咲き誇る。

◇◇◇ 赫燕(かくえん) ◇◇◇

 戦闘開始から三日後。月は厚い雲に隠され、星々もその輝きを抑えていた。遠くで狼の遠吠えが聞こえ、戦場の熱がこの夜のひとときだけ遠ざかる。時折、風が運んでくるのは、兵士たちの(うめ)き声。

 望楼(ぼうろう)の最上、卓に広げられた地図を前に、赫燕(かくえん)は一人、手にした杯の縁を指で(もてあそ)んでいた。音もなく、背後に人の気配が現れる。振り返るまでもない。なぜなら、この気配は、ずっと昔から知っているからだ。

「なんだ」‬

「……この戦、どこか見覚えがありますね」

 闇の中から届いた朱飛(しゅひ)の声が、耳に静かに落ち、赫燕の指がぴたりと止まる。過去の記憶が、薄い膜のように己を覆い始める。

「またあいつらの相手か」‬

 望楼(ぼうろう)の端で揺らめく炎を見ながら、呟く。

「俺は、今でも……間違っていたとは思いません」

 何度となく聞いてきた言葉が、空気を震わせる。赫燕は、初めて地図から顔を上げた。卓上の灯火が、パチリと音を立てて()ぜた。その音と焦げた匂いが、脳裏の扉をこじ開ける。

 視線の先で、朱飛の頬が、わずかに引き()る。その表情を見た瞬間、灯りがぐらりと揺らめいた。朱飛の輪郭が滲み、その向こうに燃え盛る王宮の炎が見える。

 そこに立っているのは、朱飛ではない。業火(ごうか)の中に立つ、父の、あの心優しい、しかし、あまりにも無力だった面影。

「父が民を信じ、隣国を信じ、助けた結果、どうなった」

「それは——」

飢饉(ききん)に見舞われた俺たちは、ただ奪われた。前年、我らが助けたはずの隣国によってな」

 赫燕は、そこまで言うと、一度言葉を切り、杯の酒を無感情に(あお)った。

「あいつらは領土と民と、紫水晶を奪いに来た。そして……あの女が……父を裏切り、国そのものを売り渡した」

 無意識だった。だが、己の指は首元の紫水晶に触れている。氷のように冷たいその感触。それはまるで、無念のうちに死んでいった父の、国の凍りついた涙の結晶のようだ。

「弱い奴も、お人好しすぎる奴も、いいように利用されて、すべてを奪われる。信じた民にすら、手のひらを返される。それがこの世の(ことわり)だ」

 赫燕は、再び視線をぼんやりと地図に戻す。喉を焼く酒の熱さが、あの日の熱風を呼び覚ます。奥歯がギリ、と音を立てた。