復讐姫と二人の英雄 —殺戮将軍と天才軍師の執着。その天命の盤で美しく狂い咲く—

◇◇◇ 劉永(りゅうえい) ◇◇◇

 膨大な図書を収めた荘厳(そうごん)な堂。先ほどまで父に叱られて肩を落としていたはずの玉蓮(ぎょくれん)が、今は隣で熱心に書物を読み耽っている。

 高い窓から差し込む午後の陽光が、宙を舞う金色の塵をきらきらと照らし出している。その光の粒の中に、玉蓮がいた。長い睫毛(まつげ)が落とす影、古書を()る白く細い指先。

 枯れた紙の匂いと、日向(ひなた)の温かい匂いが混じり合うこの静寂の中で、彼女だけが淡い光を放っているかのように美しかった。まるで、外界の(けが)れなど一つも知らない、天上の花のようだ。

 その横顔を眺めているうち、劉永(りゅうえい)はふと、この澄み切った空気を少しだけかき混ぜてみたくなった。口の端が、自然とつり上がる。

「玉蓮、これがどういうことか分かる?」

 劉永が広げて見せたのは、男女が睦み合う姿が描かれた「春宮画(しゅんきゅうが)」だった。流れるような筆致(ひっち)で描かれた、絡み合う四肢と、恍惚(こうこつ)の表情。十歳の少女には毒すぎる代物だ。だが、玉蓮は眉をひそめ、真剣な眼差しで絵の中の男女を見つめると、こてりと首を傾げた。

「……なるほど。『美人計(びじんけい)』の図解、ですね」

「……え?」

 玉蓮は眉ひとつ動かさず、きっぱりと言い放った。恥じらいも、照れもない。獲物の弱点を探るような眼差しで。

「敵将を籠絡(ろうらく)し、骨抜きにするための。ですが(えい)兄様、玉蓮は疑問です。これほど無防備に肌を晒しては、逆に隙を作ることになりませんか? 懐に刃を隠すなら、もっと衣を残した方が……」

 とん、と玉蓮の細い指が、絵の中の女の胸元を無造作に突く。

 そのあまりに真剣な、そしてあまりに殺伐とした分析に、劉永は一瞬言葉を失い、次いで(こら)えきれずに吹き出した。玉蓮はさらに不思議そうな顔で小首を傾げる。劉永は、胸の奥から込み上げてくる温かい何かを持て余すように、思わずその濡れ羽色の黒髪に手を伸ばした。

 手が髪に届く寸前——

「劉永様! 姫君にまたそのような不埒なものを! このじいの首が百あっても足りませぬぞ!」

 けたたましい叫び声とともに、扉が弾け飛ぶ勢いで開いた。劉永の世話役である温泰(おんたい)が飛び込んできたのだ。その顔は蒼白で、よほど慌てたのだろう、額には脂汗が滲んでいる。

「姫様は、まだ(とお)なのですぞ!」

 温泰(おんたい)は一目散に劉永と玉蓮の間に割って入り、玉蓮を背中に庇うように立つ。

「あ、じい。そこにいたの」

 悪びれもせず、けろりとした顔で笑い、頭を抱えて深いため息をつく温泰(おんたい)を軽く受け流す。

 視線の先では、騒ぐ温泰(おんたい)の背中から、玉蓮がひょっこりと顔を出していた。きょとんとした、星空を閉じ込めたように無垢な瞳。そこには、一点の曇りも、血の色も映っていない——ように見える。

(ああ……)

 劉永は、緩む頬を隠すように口元を手で覆った。その瞳の奥に、どれほどの修羅が棲んでいようとも構わない。この場所だけは、彼女が帰れる陽だまりであり続ける。そう、心に誓いながら。