カイダンークラスメートから呪われた芳子は、階段を転落して視力を失った。しかし、それは更なる恐怖の始まりに過ぎなかったー

経過報告書

作成者: ××芳子
事件発生時の作成者の年齢および身分: 十六歳 高校1年生
事件発生地: ○○県立△△高等学校

経過

令和7年 
4月30日(水)

 ロングホームルームの時間に、全校クラス対抗合唱コンクールでのクラスの指揮者、及びピアノ伴奏者を選出。
 指揮者は立候補によりA子に決定。
 ピアノ伴奏者は立候補が無く、担任が私(芳子)を任命。
 (担任の判断は中学の内申書の記載に基づく)
 私が伴奏者に指名されたのは、クラスメートにとって意外だった様子。
 (私は帰宅部で、芸術選択は書道。普段から極端に口数が少なく、女子とさえ繋がるのが苦手。厚いレンズの眼鏡を掛け、男子からは見向きもされず。ピアノが弾けることは誰も知らなかったので当然か)

5月6日(火)

 練習開始。A子は張り切っていたが、音楽の経験は皆無の様子。指揮は安定せず。歌い手に対して音楽的な見地に立った的確な指示を送ることができず、精神的に鼓舞するのみ。(立候補の理由は目立ちたがりの性格故か?)
 トラブルを避けるべく、私は自分の見解を封印し、無反応を決め込む。

5月27日(火)

 クラス対抗合唱コンクール前日。クラスの歌唱力は壊滅的。
 私は最下位近くの成績を予想。

5月28日(水)

 クラス対抗合唱コンクール本番。私のクラスは最下位に沈む(予想された展開)。
 私は最優秀伴奏者賞を受賞し、クラスメートが祝福(A子は不愉快な様子)。

5月29日(木)

 コンクール終了後という以前からの予定通り、眼鏡からコンタクトレンズに替えて登校。
 
 見違えた。
 ピアノの腕も容姿も隠していた。
 
 などクラスの男女大勢が私をからかう。
 
6月2日(月)

 昼休み、軽音楽部の三年生の人気バンド(A子が大ファン)のメンバーが教室を来訪。文化祭での、彼らの最後の演奏に参加してほしいと依頼されるも、丁重にお断りする。
 
 もったいない。
 引き受けるべきだ。
 すぐに断るのは先輩方に失礼だ。
 
 などとクラスメート数名に言われる。

6月3日(火)

 放課後、クラスの人気者の男子B君(A子が思いを寄せていたとい噂)に呼び出され、交際を申し込まれる。うまく付きあえる自信がなく、「ごめんなさい」をする。
 
 羨ましい。
 門前払いは可哀そうだ。
 少しは付き合ってみるべきだ。
 
 などと、羨望と批判でクラスメートの反応は様々。

6月4日(水)

 登校時、私の机に誹謗中傷の落書きがされているのを発見。
 
6月5日(木)

 私を誹謗中傷する内容の書き込みがSNSで拡散されていると、C子から情報提供あり。

6月6日(金)

 登校時、机の中に入れてあった全ての教材の消失を確認。

6月9日(月)

 私に対するいじめはA子を首謀者として行われていることが判明。

6月10日(火)

 同調圧力のせいかA子に加担する者が増え、教室内の空気が異様な雰囲気に変貌。

 調子に乗るな。
 うざい。
 早く消えろ。
 死んでしまえ。
 
 などと私を呪うような多人数の声が、かすかに背後から聞こえてくるような気がし始める。

6月11日(水)

 私を呪う声の音量と、発する声の主が増加。
 体の周りに見えない雲が立ち込めているような不快感も発生。
 いじめによるストレスが原因の精神疾患を疑い始める。
 
6月12日(木)

 放課後、帰宅しようとして階段に差し掛買った時、私を呪うたくさんの声を聞く。
 続いて、誰もいないはずの背後から、強い力で階下に向かって突き飛ばされる。

 病院のベッドで意識を取り戻した時、失明したことに気づく。

 6月13日(金)

  各種検査を受診。脳や視神経、眼球等に異常は認められず、失明の原因は不明。
 医師も治療方針を立てられず。視力回復の可能性の有無も判断できず。

6月14日(土)

 病院側と両親が話し合う。
 私の視力は回復していないものの、原因不明のまま、経過観察だけのための入院は(医療的にも経済的にも)妥当ではないという結論に至る。
 退院決定。

6月15日(日)

 退院。
 とりあえず目が見えなくても学校には行け、と両親に強制され学校に復帰決定。
(特別支援学校への転校は、すぐには判断できないから)

6月16日(月)

 学校に復帰。母の車で登校。
 欠席中には聞こえなかった私を呪うような声と、妙な空気感が復活。
 (ただし、以前より強度が落ちた様子)
 放課後、教室で一人、旧式のMP3プレーヤーで音楽を聴きながら母の迎えを待つ。
 (父の古いプレーヤーはボタンがアナログ式なので目が見えなくても使用可)

6月17日(火)

 呪いの声と、妙な空気感は継続。(前日よりも強度が落ちた様子)
 放課後、音楽を聴きながら母の迎えを待つ。

6月18日(水)

 朝のショートホームルームで、担任がA子の急死を報告。詳細に関する質問への回答を担任は拒否。

 1時間目、全てのクラスが自習となり、先生方は緊急の職員会議を開く。
 
 自習時間中に、D子とE子が、A子の死体発見に至る経過を証言。
 
 D子の証言:

 A子は前の晩、バイト先でD子と別れた後に行方不明になった。A子の家族が捜索願を出し、D子の所にも警官が来た。

E子の証言:

 朝練のために朝一番に登校したが、校舎はまだ施錠及び機械警備中で中には入れなかった。
 後から来たI先生に機械警備を解除してもらい校内に入った。その後すぐに階段下で血の海に横たわるA子の死体を発見した。
 職員室に行き、I先生に報告をした。I先生には見たことを口外しないように言われた。
 (E子は証言したことを恥じて泣くも、E子を責める者はなし。高校生が一人で抱えるには重すぎる秘密と、皆が認識した様子)

 二人の証言を受け、クラス内では次のようなことが話題になる。

 A子の死体の発見場所は、数日前に私(芳子)が転落したのと同じ階段の下。
 死因は頭を強く打ったこと(らしい)。
 前の晩にD子と別れた後、校内に入るまでのA子の足取りは不明。
夜間は機械警備中のため、A子が気づかれずに校内に入ることは不可能(なはず)。E子の証言からして、A子の死亡時刻は機械警備解除後の早朝とは考えられず。
よってA子の死は極めて不可解なものである。

 その後、クラスの話題は、様々な噂話に転化し、教室内は異様な雰囲気に包まれる。
 
 その内容は
 
 同じ場所で事故の連続は偶然ではない。
 あの階段は不吉だ。
 いじめの報復に私(芳子)がA子を呪い殺した。
 
 等々

 2時間目、全クラスでショートホームルーム。各担任から臨時休校が発表される。加えてA子の死については、誰かに話したり、ネットに投稿したりしないように強く指導される。
 
 その後、一斉下校。残留は一切認められず。
 
6月19日(木)

 1時間目、全校集会。校長が、前日、A子が校内において事故死したとだけ報告。(それ以外の詳細に関する報告は一切なし)
      校長の発声で全校生徒がA子に黙祷を捧げる。

 その後、生徒指導主任から、改めて、この件に関して他校の友人に話したり、ネットへの投稿を行うことを厳禁される。
     加えて、校内に広まっている「呪いに関する噂」に心を惑わされることのないようにと言われる。

 2時間目から平常授業。

 放課後、教室で音楽鑑賞中、突然、音楽が途切れる。(廊下の方に駆けてゆく足音を聞く。誰かが、机上で使用中だったプレーヤーを持ち去った様子)
     呪いの声が気になり、怯えながら母の迎えを待つ。

6月20日(金)

 (ここから先のことは、要約が難しいので、書きやすい文章で書かせてさせていただきます)
 この日も、私は放課後の教室で、一人で母を待っていた。母は、毎日送り迎えはしてくれたが、仕事の関係で放課後すぐに私を迎えに来ることはできなかった。
 クラスメートたちは、私のことを気味悪がって、放課後になると一目散に教室から出て行ってしまうので、教室内は静まり返っていた。
 私を呪う声と、異様な空気感は、他の生徒が周りにいる授業中は、気づかない程度まで衰えていた。
 しかし、視力を失ったせいで、光もなく、その上、音もない教室に一人でいると、声や空気感に対する恐怖感は耐え難いものになった。
 スマホが使えれば、それなりに気晴らしもできたのだろうが、目が見えない私にはそうはいかなかった。父のプレーヤーもなくなってしまった。そこで私が思いついたのはシンガーソングライターごっこをすることだった。
 実は私は、以前からオリジナルの歌を作り続けていた。とは言え、それを他人に聴かせたことは一度もなかった。他人と話すことさえ苦手な自分にとっては、それは当然と言えた。
 私は、あたかも目の前にピアノがあるかのように指を動かし、誰にも聞こえないほど小さな音量で鼻歌を歌った。鼻歌にしたのは間違っても誰かに歌詞を聴かれたくなかったからだ。
 そんな風にして、恐怖を振り払っていると、聞き覚えのない声の男子が私に声を掛けてきた。
「君、芳子さんだよね」
 そんな質問をしてきたのだから、当然、彼は私のクラスの人間ではないと思った。正に『見ず知らず』の男子に声を掛けられて私はひどく驚いた。
「はい」と答えたものの、驚きは隠しきれなかった。そして、彼の次の言葉は更に私を驚かせた。
「君の歌とピアノを聴かせて欲しいんだ」、という彼の言葉が嬉しかった。最優秀伴奏者賞の受賞をきっかけに、気が付けば周囲から忌み嫌われる存在になってしまっていた自分を求めてくれる人がいたからだ。
「私なんかの歌とピアノで良ければ」と、たどたどしく答えると、
「じゃあ、ピアノがある所に連れてゆくよ」と、彼に言われた。
 急な展開に驚きはしたものの、重苦しい教室から私を連れ出そうと言うのだから、私は見ず知らずの彼についてゆくことに抵抗を覚えなかった。
「じゃあ、行こうか」
 言いつつ彼は、立ち上がることを促すように私の右手を引いた。ひどく冷たい手だった。
 そして、私たちは教室を出た。廊下を歩き始めたところで、私は彼の名前を尋ねた。「一郎だよ。単純な名前だろう」と、彼は答えた。今時の名前にしては、やけに古風だと思ったが、それは口にしなかった。
 そのまま廊下を歩いているうちに、私は足元の様子が変なことに気が付いた。床がなぜか少し沈むのだ。耳を澄ましてみると、キーキーと軋む音も聞こえてきた。この学校に、こんな場所があっただろうかと思った。目が見えず、一郎に手を引かれて歩いている私は、自分が今、どこを歩いているのか分からなかった。
 やがて、一郎が歩みを止め、部屋の戸を引く音が聞こえた。部屋に入った後、一郎は私の手を離すと、今度は私の後ろに回り、両手を私の両肩に乗せ、私を前に押し出した。少し前に歩くとストップがかかった。それから私の背後に椅子が引かれる音がした。
「そのまま、腰を下ろして」、と言われた私は、ゆっくりと膝を曲げ、背後の椅子の角を確かめながら腰を下ろした。手を伸ばすと鍵盤がそこにあった。足も、すぐにペダルを見つけた。続いて、私は指慣らしをしてみた。目は見えなくても私の指は鍵盤の位置をきちんと把握していた。

「じゃあ、そろそろ、君の歌とピアノを聴かせてよ」
 しばらくして、一郎にそう促され、私は自分の歌を披露した。人に聴いてもらう自信などまるでなかったのに、なぜか私は伸び伸びと自分の歌を歌うことができた。不思議な気分だった。歌い終わって拍手をもらった時には、泣きそうになった。
 
 それから、何曲か歌った後。
「そろそろお母さんが迎えに来る頃なの」、と言うと、一郎は教室まで私を送り届けてくれた。

「明日も君の歌とピアノを聞かせて欲しいんだ」
 私を自席に座らせると、一郎がそう頼んだ。
「はい、喜んで」
 私はそう答えた。本心だった。

6月24日(火)

 放課後、一郎に頼まれて歌うのも3日目になった。一郎は、私の歌とピアノを褒めてくれる時以外は、私以上に無口で、自分のことを何も話さなかった。所属するクラスを尋ねても答えてくれなかった。
 二人して口数が少ない。そんな空気は少し息苦しかった。とはいえ、適当な話題が見つからなかった私は、しかたなく、校内で噂になっている「呪い」に話を向けることにした。
「ねえ、一郎さん、呪いなんて本当にあると思う?」
 軽い口調で問うと意外な答えが返ってきた。
「あるよ。A子さんは呪術の心得があった訳じゃないけど、強い念の持ち主だったんだ。だから、君のクラスメートたちが君を羨む気持ちと呼応すると共に、この学校に埋もれていた力も召喚して、無意識の内に君への呪いを発動してしまったんだ。でもね、『人を呪わば穴二つ』と言うだろう。結果として、呪いが自分にも跳ね返ってきて、A子さんは命を落としてしまったのさ。呪術の心得がなかったA子さんは、それを防ぐ術を知らなかったからね」
 余りにも恐ろしいだと思った。その思いは、そのまま言葉になった。
「怖いわ。変な声が聞こえたりするんだから、私はまだ呪われたままなのね。私、このまま、死ぬまで目が見えないままなのかしら?」
「いいや、A子さんが発動した呪いは、A子さんが亡くなった時点で、そのエネルギーを、ほぼ完全に消費し尽くしてしまったのさ。まだ少しだけ埋火のようなものが残っているけど、それも、もうじき消えるよ。そうすれば、変な声も聞こえなくなるし、目も見えるようになるはずだよ」
「本当に、本当に、また、目が見えるようになるの?」
「ああ、大丈夫。僕が保証するよ」
 言われて私は泣きそうになった。その時の私は、ほっとした気持ちが勝ったのか、なぜ、一郎は、そこまで詳しく知っているのだろうかということに疑念を抱かなかった。

6月26日(木)

 朝起きた時、まだ、何も見えないものの、目が明るさを感じ始めたことに気づいた。私の視力は回復し始めていた。
 そのことを一郎に話した。
「良かったね」と言われたが、一郎の口調は嬉しそうではなかった。

6月27日(金)

 朝、起きると前の日よりも明るさが増していた。もうすぐものが見えそうだと思った。
 一郎に手を引かれてピアノのある部屋に向かう途中、そのことを話した。すると。
「じゃあ、君の歌とピアノを聴かせてもらうのは今日で最後にしよう」と、言われた。
「もうすぐ、あなたの顔も見られるし、まだ聴いてほしい歌がたくさんあるのに、どうして」と、尋ねると、一郎は悲しげに答えた。
「僕はね、君に顔を見られたくないんだ」
『なぜ?』と口にする前に一郎が言った。
「僕に聴かせたかった歌は、僕以外の、他のたくさんの人たちに聴かせてあげて。君の歌は全て、そうするべきものだと思うんだ」
 そう言われたものの、私には返す言葉がなく、そのままピアノのある部屋に着いてしまった。

 ピアノのある部屋に入った途端、異様な気配がした。いつもと違い、たくさんの人がそこにいるような気がした。
「なんだ、お前ら」と、一郎が声を荒げた。
「俺たちも芳子ちゃんの歌とピアノが聴きたいのさ」
「独り占めはずるいだろう」
「そうだ、そうだ」
 一郎を非難する声があちこちから聞こえてきた。同年代の男子の声だ。彼らも私の学校の生徒なのだろうと思った。
「お前らは芳子さんに関わるんじゃない」
 一郎が怒鳴った。それから一郎は私に向けて言った。
「芳子さん、帰ろう。最後に、もう一度だけ君の歌とピアノを聴きたかったけど、今日の演奏は中止だ」
 周囲に嫌らしい笑い声が広がった後、次々と声がした。
「おい、一郎、お前、何を強がっているんだよ」
「お前、その子に惚れているんだろう」
「違う。芳子さんが呪いに怯えていたから、力になってあげたかっただけだ」
 一郎は激しく否定した。
「一郎、彼女を殺しかけておいて、よく言うぜ」
  一郎が私を殺しかけた、一体どういうことだと思ったが、言葉が出なかった。
「あれは、僕の、いや俺たちの意志じゃないだろう」
  一郎が必死に叫んだ。
「確かに、一郎や俺たちの意志じゃあない」
「そうだな、俺たちは、A子に勝手に力を使われただけだからな」
「だが、一郎、意図的であろうとなかろうと、俺たちがA子の呪いに手を貸したのは事実だろう」
 それらの言葉に、一郎は抵抗を試みた。
「そうだ、それは事実だ。だから、罪滅ぼしの意味でも、僕は芳子さんの力になりたかったんだ。だが、もういいんだ、もうすぐ呪い消えて、彼女の目も見えるようになる。だから、演奏は今日限りと決めたんだ」
「一郎、綺麗ごとを並べるのは止めろよ。お前は、ずっと、その子の歌とピアノを聴いていたいんだろう」
「本当は、その子に憑りついて、取り殺そうとしてたんじゃないのか?」
「違う、絶対に違う」
  一郎は強く否定した。
「一郎、やせ我慢せずに、素直になれよ」
「俺たちの仲間になってもらえば良いじゃないか」
「僕は、そんなことを望んじゃいない」
 一郎は彼らの言葉に耳を貸さなかった。すると、彼らのうちの一人が私に向けて言葉を掛けてきた。
「ねえ、芳子ちゃん、俺たちの仲間にならない?君をいじめるような連中といるよりも、ずっと良いと思うけどな」
 訳のわからない状況に置かれた私が、何も言えずにいると、一郎は反撃した。
「黙れ、芳子さんは、自分の世界に戻って、もう二度とここには来ないんだ」
 嘲笑いの後、また、別の声がした。
「まあ、いいや。一郎がどう思うと、俺たちは彼女に仲間になって欲しいんだ」
「芳子ちゃん仲良くやろうぜ」
 何か邪悪なものが私に近づいてくるような気配がした。
「芳子さん、逃げるよ」
 言うなり、一郎は私の手を引いて走り始めた。
「待て」
「逃がさないぞ」
 恐ろしい声が背中の方から聞こえてきた。一郎に手を引かれながら、私も必死に走った。走りながら、一郎は、途切れ途切れに次のようなことを言った。
「ごめんね、芳子さん。まさか、こんなことになるとは思っていなかったんだ。いいかい、君はもう、この学校に来てはいけない。転校するんだ。今度、この学校に来たら、君は奴らに殺されるよ」
「まさか」と私が応じると、一郎は鋭い口調で念を押した。
「冗談じゃないんだ。本当に、君は奴らに殺されるよ。でも、この学校にさえ来なければ大丈夫だ。僕や奴らは、この学校に縛り付けられていて、外には出られないんだから」
 私が何も言い返せずにいると、一郎は更に続けた。
「いいかい、このまま走り続けるんだ。そして、僕の手を感じなくなったら、そこで止まるんだ。それ以上走り続けると危険だ。さあ、あと少しだ」
 その後の一郎の声は少し寂しげだった。
「できれば、もっと君の歌とピアノが聴きたかったな。君の歌とピアノが聴けて嬉しかったよ。さよなら」
 そう言った直後に、一郎の手の感触が消えた。私は言われた通り、走るのを止めた。その途端、一気に涙が溢れだした。そこで、どれだけ泣いていたのか、私にはわからなかった。

「芳子、あなた、こんなところで何をしているのよ。危ないじゃない」
 母の声が聞こえて、私は我に返った。自分は今、どこにいるのか、と母に尋ねると、校門を出たところだ、と聞かされた。
 教室に戻り、荷物を持って帰ろう、と母に言われ、私は激しく拒否した。その結果、事情を理解できない母と口論になった。
 そこに、偶然、住職様が通りかかられた。私の顔を見て驚かれた住職様が仰った。
「××さん、これは大変です。娘さんの顔に死相が出ています。すぐにお寺に参りましょう」
 住職様の言葉には母も逆らえず、私たちはお寺に向かった。お清めのお経が終わった後に、私は住職様に、何があったのかを話すように言われ、包み隠さず全てを話した。

「そんな『耳なし芳一』みたいな話があるわけないじゃない」
 話し終えた途端に母は激怒した。
「『耳なし芳一』の話って何?」
 戸惑いながら、そう問い返すと、住職様の優しい声がした。
「おや、芳子ちゃんは『耳なし芳一』の知らなかったのかね」
 意外だという口調で言った後、住職様は『耳なし芳一』の怪談のあらすじを聞かせてくれた。そうして、私はようやく、母の発言の意味が飲み込めた。
 その後、私の話を信じられない母を、住職様が説得してくれた。
「××さん、芳子ちゃんの話は嘘ではないでしょう。芳子ちゃんの顔には明らかに死相が現れていました。それにです、あの学校は第二次世界大戦中に空襲に合って、たくさんの生徒が命を落とした場所なのです。浮かばれない生徒たちの霊がいても不思議ではないのです。更に、芳子ちゃんが『耳なし芳一』と似た体験をしたことは、考え方によっては納得もゆくのです。芳子ちゃんと一郎君の話が『耳なし芳一』に似ているのではなく、『耳なし芳一』の話が芳子ちゃんと一郎君の話に似ているのかもしれないのです。芳子ちゃんの話を聞いたら、芳子ちゃんは、あの世とこの世の間の時空が歪んだ場所に連れて行かれたのではないかという気がしたのです。もしかしたら、芳子ちゃんと一郎君の話は、何らかの形で過去の誰かに伝わり、それが語り継がれるうち形を変えて『耳なし芳一』の怪談になったのかもしれません。いずれにしても、芳子ちゃんの顔に死相が出ていたことは確かです。これは責任を持って言えます。この寺の住職として申し上げます。芳子ちゃんを転校させてください」
 住職様の体から溢れる気に押されたのか、母の態度が改まった。
「分かりました。住職様のお言葉に従います」
 母の言葉を聞いて、私はようやく恐怖から解放されたが、嬉しさは湧いてこなかった。

6月30日(月)

 いじめと失明による精神的な不調のため登校を見合わせる共に、二学期から他校に転校を希望する旨を母が電話で担任に伝える。

 お寺から電話を頂き、住職様から御依頼を受ける。門外不出の寺の資料にしたいので、私の体験をできる限り詳しく、文書で報告して欲しいとのこと。住職様の恩に報いるべく快諾。
 
7月1日(火)
 
 ごくぼんやりとだが、ものが見え始める。
 
8月1日(金)
 
  私の転校が決まる。
  視力がだいぶ回復。
 
9月1日(月)

 転校。別の学校で二学期を迎える。

9月2日(火)

 放課後。職員室で、担任のF先生から軽音楽部の顧問のG先生を紹介される。
 F先生には前日、軽音楽部への入部希望を伝達済み。
 G先生から部長が迎えに来るまで職員室で待つように言われ、G先生の横に用意された折りたたみ椅子に座って部長を待つ。
 しばらくすると、音楽部の部長を名乗る男子が職員室に現れる。G先生は、彼に、まだよく目が見えない私の手を引いて音楽室に案内するように指示。
「じゃあ、行こうか」、そう言って彼は私の右手を取る。
 覚えのある感触。彼の手が冷たくなかったことに安堵。
 
以上

平成7年9月30日

××芳子