鼓くんとつき合い始めてから、ほぼ毎日一緒に帰るようになった。学年が違う俺たちは学校で一緒に過ごす時間がほとんどない。同じ学校にいるのに階が違うというだけでなかなか会えない。たった一年の差なのに学年の壁は分厚い。と思っていたけど、鼓くんはその壁を軽々と越えてくる。短い休み時間や昼休みに、普通に2年の教室までやってくる。俺は1年の教室には行きにくいのに、さすが鼓くんだ。その様子をみていた三智が「愛だねぇ」とニヤニヤしながらからかってくる。俺はずっと、うれしいような恥ずかしいような、ふわふわと気持ちが浮ついて落ち着かない。

 そんな状態で夏休みに入り、会えないもどかしさから通話やメッセージのやりとりが増えた。鼓くんは夏休み限定のバイトを始めたことで忙しくなったが、スケジュールを調整してくれて二回遊びにいくことができた。初めてカラオケにつれていってもらい、鼓くんの歌声に聞き惚れてしまった。俺は下手だし苦手だけど一緒に歌うのは楽しかった。その次は大きな水族館に行った。小学生以来だったけれど、鼓くんと一緒に見て回るとなにもかもが新鮮で楽しい。シャチのショーで一番前に座ってずぶぬれになったのもいい思い出だ。

 なんだかんだと楽しかった夏休みもあっという間に過ぎ、二学期の始業式。俺はいつものように、山田先生と浅田さんと一緒に校門前に立つ。明日は始業式だから遅刻しないようにとメッセージを送ったけれど、たぶん今日も遅刻するんだろうと思っていたら

 「おはよーございまーす」

 聞きなれた元気のいい声が聞こえて、驚いてチェック表から顔を上げる。

 「黒実先輩、おはようございます」

 キラキラの金髪が太陽に反射している。それに負けないくらいの笑顔を向けてくるので、朝からまぶしすぎて直視できない。この感覚、久々だな。

 「おはよう、今日は早いね」
 「遅刻しないようにアラーム5分おきにかけてたら起きれました」
 「やればできるじゃん」
 
 鼓くんの肩をバシバシ叩いていたら、隣に立っている浅田さんから視線を感じた。

 「なんかめっちゃ仲良くなってません?」
 「仲いいですよ、ねぇ~先輩?」

 鼓くんが肩を抱き寄せてきたので慌てて引きはがす。

 「ふ、ふざけてないで早く教室行きなよ」
 「へ~い」

 つき合っていることはあまり知られたくない。鼓くんが俺の気持ちを汲んでくれて、「二人だけの秘密にしましょう」と言ってくれた(三智には言ってしまったけど)。理由はいろいろあるけど、とにかく恥ずかしいから。知り合いにそういう目で見られるのが耐えられない。時々三智がからかってくるけど、それでさえ恥ずかしくて死にそうになる。
 教室に行こうとしない鼓くんの背中をグイグイ押していると、山田先生に抗議する女子の大きな声が聞こえてきた。

 「なんでウチらだけ注意されんの? そこの二人も髪染めてんじゃん!」

 赤髪とピンク髪の二人が俺たちを指さす。急にこちらに矛先が向いたのでびっくりしていると、鼓くんがずいっと前に出てきて俺を背中に隠すように女子たちの視線から守ってくれた。

 「俺はともかく、先輩は地毛ですから」

 黒染をするのをやめてから、髪が伸びて切って伸びて切ってしているうちに毛先だけが黒い状態になった。今の髪色はほぼ栗色で、染めていると思われてもしかたがない。クラスメイトや先生からこんな風に言われるたびに、地毛ですと説明するのは面倒だけど、鼓くんが俺の髪色がみたいと言ってくれたから髪が伸びるのを待っている。意外にも、きれいだと言ってくれる人が多くて、受け入れられているみたいでうれしい。

 山田先生の元に行って女子二人の名前をチェック表に記入する。ぶつぶつ文句を言いながら疑いの目を向けてくる女子が怖くてチェック表で顔を隠した。

 「あーーー! 腹立つ! なにも悪いことしてないのになんであんな目でみられなきゃいけないんですか!?」

 女子たちが校舎に入るのを見計らって鼓くんが大きな声を上げた。こぶしを握り締めイライラして山田先生にあたっている。

 「そうだな。校則を見直さなきゃいけないな。でもお前は完全に校則違反だからな」
 「俺のことはどうでもいいんです。あ、先輩、気にしちゃだめですよ! 先輩はなにも悪くないんですから!」
 「そうですよ。せっかくきれいな髪なんだから、見せびらかしてやりましょ」

 鼓くんと浅田さんが全力で励ましてくれたおかげで、むくむくと顔を出し始めた自己嫌悪が隅の方に隠れた。

 「うん、二人ともありがとう」


 翌朝ーー今朝も校門前に立っているとあくびがもれた。昨夜、黒染をするかしないかを洗面所の鏡の前で悩んでいたら、母さんに心配されてすぐに自室に戻った。ベッドに入ってからも悶々と考えていたらいつの間にか窓の外が白くなっていた。
 もし今日も、昨日みたいなことを言われたらどうしよう。やっぱり黒染すべきだったかな。

 「おはよーございまーす」

 いつもの元気な声が俺の頭の中のモヤモヤを薄れさせてくれた。

 「おはよう……!?」

 チェック表から顔を上げると予想外の鼓くんの姿が目に飛び込んできた。

 「どうしたの?」

 髪は短く黒くなり、制服はきちんと着用していて清潔感がある。耳に光っていたピアスもない。あまりの変わりように山田先生も「変なものでも食ったか?」と心配している。

 「たまにはこういうのもいいでしょ?」

 穏やかに笑った顔はいつもと変わらないのに、どこか幼く見える。

 「黒髪も似合ってるけど……」

 もしかして昨日のことが原因だろうか。今まで散々先生に注意されても金髪を貫いてきたのに、女子に指摘されただけで金髪をやめるなんて考えにくいけど。

 「髪も痛んできてたし、しばらくは落ち着いた色にしようかなって」
 「そうなんだ」
 「先輩に金髪すきって言ってもらったのにすみません」
 「ううん。少し幼くなって、なんかまるくなったね」
 「まるい? まるいですか?」
 「あー……えっと、かわいい感じ?」
 「かわいいですか、よかった」

 俺の感想に満足したのか、頷きながら校舎内へ入っていった。

 「どういう心境の変化ですかね?」
 「さぁ?」

 鼓くんの背中を見送り、浅田さんと顔を見合わせて首をかしげる。なんだか少し心配だ。この心配が杞憂に終わればいいけど。


 2学期が始まり一週間が経過したころ、昼休みにいつものように三智と弁当を食べていたら思い出したように話し始めた

 「そういえばさ、おまえんとこのワンコ、選挙に出るんだろ?」
 「選挙? なんの?」
 「生徒会選挙。ポスター貼りだされてたけど」

 (なにそれ? なにも聞いてないんだけど)

 三智の言う通り、1階の掲示板にどんと貼り出されていた。自分らしくいられる学校にします! 鼓草太、とわかりやすく公約と名前だけが書かれたポスター。

 「生徒会長立候補するんで、先輩も応援してくださいね」

 じっとポスターを眺めていたら鼓くんがやってきた。

 「なんで急に……いつから考えてたの?」
 「最近ですかね。いろいろ思うところがあったんで、やってみようかなって」
 「思うところ?」
 「生徒会長になったら校則とか変えられるんじゃないかって思って」
 「そっか、すごいね。無理しないでね」

 笑顔で頷いた鼓くんにモヤモヤしてしまった。今まで一度もそんな話は聞いていない。俺には話しにくいことだったのかもしれない。本当はもっと理由を聞きたいと思ったけれど、詳しく聞くのはやめておいた。
 選挙準備のため、鼓くんは忙しくなった。一緒に帰れなくなり、メッセージや通話のやりとりも減った。2年の教室に顔を出すこともなくなった。俺にできることは、当たり障りのない励ましのメッセージを送ることくらいだ。もどかしくて少し寂しい。でも寂しいなんて口に出せない。鼓くんは一生懸命がんばっているんだから。そんな気持ちを抱えたまま月末になり、いよいよ選挙当日を迎えた。
 1時間目に体育館で演説会があり、立候補者は全校生徒の前で演説をする。生徒会長立候補者は3人、2年の男子一人、女子一人、1年は鼓くんだけ。2年生二人の演説が終わり、最後は鼓くんの演説。緊張した面持ちで演台に立ち息を吐いた。どこからか、がんばれと声援が響いた。みているだけの俺も緊張してしまい、ごくりと唾を飲み込み祈るように手を合わせる。

 (がんばれ、がんばれ……)

 「俺は、桜梅桃李(おうばいとうり)という言葉が好きです。桜、梅、桃、(すもも)のそれぞれが特性を発揮してきれいな花を咲かせます。人も、他人と比較せずありのままの姿で花を咲かせられる。自分自身の個性や良さを大切にして違いを認め合えれば、少しは生きやすくなるんじゃないかなって思うんです。もちろん簡単なことじゃないしきれいごとかもしれないけど、みなさんと一緒ならそんな学校を作れるかもしれない。どうか、俺に力を貸してください。お願いします」

 一礼をした後、拍手が起こり、安心したように胸を撫でおろして退場した。演説中、胸元から原稿を出したのにそれを広げず、ゆっくりと噛みしめるように言葉を紡ぎながら生徒たちの顔をみていた。そんな鼓くんから目が離せなくて、息をするのも忘れてじっとみていた。

 「具体性に欠けてたけど刺さる人には刺さったんじゃない?」
 「俺は気が気じゃなかったよ」
 「保護者かよ。てか、あいつ見た目だけじゃなくて中身もだいぶ変わったな」
 「変わってないよ。鼓くんは元々まじめで誠実な子だから」

 立会演説の後の投票をおえて、三智と廊下を歩く。俺の話に納得していない様子の三智は眉間にシワを寄せていた。
 昼休みに開票作業が始まった。ドキドキして弁当が喉を通らなかった。「愛だな」と三智にからかわれたけど反撃する気も起きなかった。
 そして、長かった学校での一日が終わり、放課後、開票速報が校内放送で流れた。

 1年の教室をのぞくと誰もいなかった。窓際の席で机に突っ伏している人以外は。ゆっくりと教室内に足を踏み入れる。一年前は自分たちが使っていたのに、雰囲気が違うから別の教室みたいだ。窓際の席の人物はさっきから微動だにしない。寝ているのかもしれない。起こさないようにそーっとイスを引いて座った。すると、むくりと顔を上げ俺の顔を見るなり力なく笑った。

 「黒実せんぱーい、落ちちゃいました」
 「公約のことなんにも話さないんだもん。そりゃ落ちるよ」

 再び、ぐったりと机に突っ伏してしまった。今はもう見慣れた黒い頭をポンポンと撫でる。

 「なんで原稿読まなかったの?」
 「あそこに立ったら気持ちが(たかぶ)っちゃって思いついたことしゃべったらあんなことに……」
 「ふふっ。俺はすごくよかったと思う」
 「まじですか? 先輩に刺さったんならまぁいっか」

 まただるそうに顔を上げてにへらと笑う。

 「俺、どうしても納得いかなかったんですよね。地毛が明るかったら黒に染めるか証明書を出せっていう校則。だから生徒会長になって校則かえてやろうと思って」
 「もしかしてそのために立候補したの?」
 「そうですよ。落ちましたけど」
 「校則のことだったら生徒会に意見出せば考慮してくれるんじゃない?」
 「生徒会長にならなくても校則変えられるんですか?」
 「承認されればだけど」
 「うわーまじか……」

 そしてまた机に突っ伏す。本日三度目。
 そうなんじゃないかと薄々思ってはいたけど、本当に俺みたいな人のためだったなんて。それを本人の口から伝えられて、ぎゅっと胸が苦しくなった。 

 「先輩、もう全部地毛になったんですか?」
 「うん、この前毛先だけ切ったから黒いところなくなった」
 「やっぱきれいですね。キラキラしてる」

 顔を上げた鼓くんは俺の髪に手を伸ばし優しく触れる。ちょうど西日が差し込んで髪にあたっていた。髪を梳くように指先で撫でられて少しくすぐったい。じっと注がれる熱のこもった視線、目が離せなくてひゅっと息をのむ。そのままゆっくりと後頭部に手が回されて顔が近づく。目を閉じて息を止めた。

 ガタガタッと机が動く音が響いて、慌てて目を開けた。

 「あ、おじゃましました」

 慌てた様子で浅田さんが教室から出て行った。

 「みられたよね……」

 鼓くんの方に視線を戻すとちゅっと唇になにかが触れた。

 「メガネかけてても大丈夫でしたね」

 にこにこと幸せそうに笑う鼓くん。なにが起こったのか理解した瞬間、顔が熱くなって今度は俺が机に突っ伏す羽目になった。

 後日、新しい生徒会が発足され、設置された目安箱に意見書を提出した。それから約半年後に地毛の黒染と地毛証明書の提出は校則から全廃された。

 そして俺は、栗色の髪をきれいだと褒めてくれる金髪の彼氏と今日も穏やかに過ごしている。

 「コンタクトにしようかな」
 「急にどうしたんですか?」
 「やっぱりメガネ邪魔かなって」
 「……はい、ぜひぜひ!」