六月に入った。朝から雨が降りそうな曇り空で、俺は日曜だというのに募金箱を手に駅前広場に立っている。委員会活動の一環で生徒会と一緒に募金活動を行っている。本当は風紀委員長と副委員長が参加する予定だったのに、委員長は部活の練習試合、副委員長は体調不良ということで、俺と1年の浅田さんが代わりに参加している。
 
 「募金お願いしまーす」

 歩いている人もまばらで、呼びかけても誰も止まってくれないんじゃないかと思っていたけど、意外と立ち止まってお金を入れてくれる人が多い。「がんばってね」と声をかけてくれる人もいてうれしくなる。

 「黒実先輩、場所移動しません? 商店街の方行きましょ」

 浅田さんからの提案に、周りを見回す。徐々に広場の人通りは増えてるけど商店街の方が賑わっていそうだ。

 「そうだね。生徒会長に確認してから行ってみようか」

 生徒会長の了承を得て、浅田さんと二人で商店街の方へ移動する。商店街に入ったところで急に浅田さんが走り出した。

 「え、浅田さん?」

 慌ててあとを追いかけると、コンビニに入っていった。素早くカフェオレとメロンパンを購入し、イートインスペースにあるイスに座る。俺もそっと隣に腰かけた。

 「もしかして、これが目当てだったの?」
 「朝からなにも食べてなくて死にそうだったんですよ~」

 メロンパンにかぶりつき幸せそうな顔をしている。こんな顔をみてしまったら注意できない。俺は募金活動に参加することは事前に決まっていたけど、浅田さんは急遽呼び出されたから朝ごはんを食べられなかったのかもしれない。そう思うとかわいそうだったな。もう少し配慮してあげたらよかった。

 「大丈夫です。すぐ食べ終わるんで」
 「いいよ。ゆっくり食べな。のどに詰まったら大変だし」
 「黒実先輩って、怒りの感情ないんですか?」
 「ん?」
 「以前、鼓くんにメガネ壊された時も全然怒ってなかったし、今だって……」
 「そんなことないけど……」

 ふと、コンビニの奥に目をやったら見慣れた金髪が目に飛び込んできた。隣には、俺の知らない女の子がいて、親しそうに腕を組んで商品を見ている。俺は慌てて前に向き直り、ポケットからスマホを取り出して意味もなくいじる。なるべく下を向いて、顔を見られないように。

 「あ、黒実先輩?」

 すぐに見つかってしまった。いつだったか、見つけられる自信があるって言ってたの本当だったんだ。今日は見つけてほしくなかったな。

 「え、あ、鼓くん……」

 今気づきましたと言わんばかりのリアクションをしてみたんだけど、たぶんただの挙動不審に映っていると思う。隣にいる女の子が「誰?」と上目遣いで鼓くんをみていて、鼓くんは「くっつくな」と腕に絡みついている女の子を引きはがした。

 「広場で募金活動してて、今はちょっと休憩中なんですけど、もしよかったらお願いしまーす」

 メロンパンを食べ終えた浅田さんが、二人に向かってちゃっかり募金箱を差し出している。「だから制服なんすね」と鼓くんが納得したように頷いて財布から小銭を取り出して何枚か入れてくれた。

 「ありがとうございまーす。デートですか? いいですね~」
 「そうでーす」
 「いや、全然違います! 黒実先輩、デートじゃないですからね! こいつはただのーー」
 「じゃあ、がんばってくださーい」

 必死になにかを訴えようとしている鼓くんを遮り、女の子が鼓の腕を引っ張ってコンビニを出て行った。

 「鼓くん、やっぱり彼女いたんですね」
 「やっぱり?」
 「モテるのに告白全部断ってるみたいなんですよ。彼女はいないって言ってたんだけど、なんで隠すんですかね?」
 「……さぁ? なにか理由があるのかもね。そろそろ行こうか」
 「そうですね」

 生徒会長たちに合流してからすぐに雨が降ってきて募金活動は中止になった。中止になってうれしそうな浅田さんにどこかに寄っていこうと誘われたけど、気分が悪いと言って断り、すぐに電車に乗ってまっすぐ家に帰った。
 浅田さんに悪いことをしてしまったな、少しだけでもつきあってあげればよかったかな、なんてぼんやり考えながら自宅のカギを開け、自室がある二階へ向かう。階段を上っている時に母さんに話しかけられたけど、スルーして部屋に入った。制服のままベッドに座ってそのままゆっくり横になる。目をつむるとさっきの光景がぼんやりと浮かぶ。二人が仲よさそうに腕を組んでいて、女の子はすごく楽しそうだった。

 「はぁ~」

 静かな部屋にため息が広がって、同時にモヤモヤした灰色の感情がじわじわと心をうめていく。
 急にバタンと大きな音を立ててドアが開き、ドスドスと無遠慮に部屋に入ってきた。三智だ。

 「帰ってんなら連絡してこいよ」

 貸しっぱなしにしていたマンガを差し出してきた。受け取らずに無視していると、三智の手が俺の顔に伸びてきた。かけっぱなしだったメガネをそっと取ってくれて、マンガと一緒にそれを机の上に置いた。そして勝手に本棚を物色して続きの巻を手に取る。俺が横になっている傍らに座って、それを読み始めた。

 「……ねぇ、三智」
 「うん?」

 三智がマンガを読み終えたら話そうと思っていたのに、勝手に口が開いてつらつらとさっきのことをしゃべりだす。三智はマンガを開いてそこに視線を落としたまま。時折相槌を打ってくれるので、聞いていないようでちゃんと聞いてくれている。一通り話し終えると、ため息をついて寝返りを打った。

 「それって、その女子に嫉妬したってこと?」
 「……やっぱそうだよね?」

 自分の中のモヤモヤを口に出して三智に指摘されたことではっきりした。俺はあの女の子に嫉妬している。

 「でもさ、なんで嫉妬してるんだろう?」
 「しらねーよ。自分で考えろ」

 俺にとって鼓くんは、仲のいい後輩。仲は良いけど友達じゃない。三智とは違う。
 一緒にいると心地よくて、新しい世界をみせてくれて、どこにいてもすぐにみつけてしまう。そういう存在。
 鼓くんにとって俺はどういう存在なんだろう。友達は多いけど特定の誰かと仲良くしているのはみたことがない。俺が鼓くんと一番仲がいいと勝手に思い込んでいた。鼓くんもきっと同じように思ってくれていると思い込んでいた。けど、そうじゃなかった。
 枕元にあるクッションを手繰り寄せてぎゅっと抱きしめる。

 「もうあんまり考えたくないかも……」
 「だったら、さっさと飯食って風呂入って寝ろ」
 「うん、そうする」

 ベッドから立ち上がった三智は、俺の頭をくしゃくしゃに撫でて「借りてくぞ」と読んでいたマンガを持って帰った。三智が部屋を出て行ったあと、少しだけ泣いた。


 翌朝、寝不足でだるい身体を無理やり起こす。風紀検査の当番にあたっていたので早目に学校に行った。左腕に黄色の腕章をつけて、チェック表を手に校門前に向かう。先に来ていた山田先生と浅田さんが驚いた様子で俺を迎えてくれた。

 「どうしたんですか?」

 二人に駆け寄ると、「あれ、あれ」と指さすのでその方向をみてみると

 「え、鼓くん?」

 そこには遅刻魔の鼓くんが神妙な面持ちで立っていて、俺を視界に入れた途端に駆け寄ってきた。

 「黒実先輩、お話があります」
 
 いつも笑顔の鼓くんがきゅっと口を引き結び眉間にシワを寄せて渋い顔をしている。ただごとではない雰囲気に頷くことしかできなくて、「黒実先輩お借りします」と山田先生と浅田さんに伝えて「どうぞどうぞ」と二人の了承を得てから中庭に移動した。

 (話ってなんだろう……怖いんだけど)

 朝の早い時間なので中庭には誰もおらず、二人でベンチに腰を下ろした。昨日、三智が帰った後も鼓くんのことをずっと考えていたせいで顔を合わせづらかったのに、強制的に二人きりになってしまった。どうしよう、気まずい。なるべく昨日のことを考えないように目の前のことに集中しよう。

 「先輩、昨日のことなんですけどーー」

 だめだ、強制的に考えなくちゃいけなくなった。覚悟を決めてごくりと唾を飲み込む。

 「一緒にいたのは年下のいとこで、買い物に付き合わされてただけです」
 「……え?」

 予想外の言葉におもわず聞き返してしまった。

 「今度彼氏と花火大会に行くから浴衣を買いに行くのにつきあってほしいと言われて」

 そう言いながらスマホ画面をみせてきた。画面には昨日の女の子とイケメンな男の子が並んで照れ笑いをして映っていた。

 「だから、彼女でもなんでもないですから」

 相変わらず渋い顔でまっすぐに俺をみている。

 「その話をするためにわざわざ早起きして来たの?」
 「そうです」

 途端に身体から力が抜けて、隣に座っている鼓くんに寄りかかって大きくため息を吐いた。

 (そっか、彼女じゃなかったんだ……よかった……)

 「え、先輩!? 大丈夫ですか!? つか、近すぎませんか……」

 慌てふためく鼓くんを放置してそのまま目をつむる。寝不足なのでこのまま寝てしまいそうだ。

 「……具合悪いですか? 保健室いきますか?」
 「……もう少しだけ、このままでもいい?」
 「……はい」

 ドキドキと大きく早くなっていく心臓の音を感じながら、好きな人の肩を借りてしばらく黙って座っていた。