新緑の季節、5月も半ばに差し掛かった。体育祭準備のため開かれた委員会がおわり、生徒はぞろぞろと教室をでていく。そんな中俺は、個人別の仕事の割り当て表をみつめため息をこぼしていた。
 今月末に行われる体育祭、風紀委員も仕事を割り振られている。場内整備と競技に使用する道具の準備や片付けだ。場内整備といっても、文化祭のように外部から観覧客がくることはないので、観覧している生徒が競技の邪魔をしないように見張りながら競技に参加する生徒の入場と退場を促すくらいだ。多数の生徒が移動する場所に配置されるので砂埃が舞うのが不快だけど、まぁ我慢できる。
 問題は、競技に使用する道具の準備と片付け。これが地味に大変で、去年は玉入れのカゴを持つ係になって頭に玉が落ちてきたり、借り物競争の借り物を並べていたら競技者が突っ込んできて大惨事になったり。裏方なのにたくさんケガをしたのを覚えている。
 そして今年は、なんと、去年と全く同じ仕事を割り振られてしまった。プログラムの順番のせいで仕方なくそうなってしまった、と委員長から謝られたら引き受けるしかない。

 「え、黒実先輩、綱引きと大玉送りしか出ないんですか? いいなぁ~」
 
 通りかかった1年の浅田さんに、割り当て表をのぞき見された。

 「浅田さんは、なにに出るの?」
 「リレーと大縄跳びです。ジャンケンに負けちゃって」

 げんなりした様子でため息を吐いて教室を出て行った。
 そっか。出たくない種目に出る人もいるんだもんな。委員会の仕事に文句言ってちゃだめだよな~。競技でクラスに貢献できない分、裏方でがんばろう。今年はケガしない程度に。
 気持ちを切り替えて教室を出ると、ポケットでスマホが震えた。一緒に帰りましょうと鼓くんからメッセージがきていて、OKと言っているネコのスタンプを送った。
 連絡先を交換してから、こうやって時々鼓くんからメッセージが届く。今みたいに、一緒に帰ろうというお誘いもあれば、日常のなんでもない風景の写真が送られてきたり、おはようやおやすみの一言だけの日もある。俺が勝手に想像していたメッセージ攻撃なんてものは一切なくて、俺を気遣う言葉や励ましの言葉を時々送ってくるだけ。陽キャは寝る間も惜しんで友達とやり取りしているのだ(いつもスマホをいじっているから)と勝手に思い込んでいたから、申し訳なく思いつつ、鼓くんとのメッセージのやり取りに癒されている。
 三智や家族とは、用事があるときしか連絡しないので、そうじゃないやり取りは新鮮で楽しい。

 下駄箱で靴を履き替えると昇降口にきらきらの金髪がみえた。

 「お待たせ」
 「先輩、委員会おつかれさまです」
 「鼓くんもおつかれさま」
 「やっぱそのメガネ似合ってます」
 「あ、ありがとう」

 一緒に帰る時はいつも昇降口で待ち合わせて、合流すると互いに労いの言葉をかける。新しいメガネをかけ始めて二週間以上経つのに、会うたびに褒めてくれる。気恥ずかしいけれど、こういう些細な言葉のやり取りだけでも、心があたたかくなって癒される。

 「昨日送ってくれたブチかわいかったね」
 「ブスッとしてましたけどね」
 「そこがいいよね」

 ブチとは、鼓くんの家で飼われている白と黒のぶち模様の猫だ。時々、ブチの写真を送ってくれるんだけどいつも嫌そうな顔をしている。そこがかわいくて気に入ってしまい、鼓くんの許可を得て、メッセージアプリの俺のアイコンに設定した。鼓くんはブチがうらやましいとかなんとか言っていたけど、なにがうらやましいのかよくわからない。
 今日の授業の話とかもうすぐ体育祭だねとか話しているうちに、駅前商店街のドラッグストアに着いた。鼓くんが寄りたいと言ったので一緒に店に入る。鼓くんについていくと、ブリーチ剤やカラー剤が陳列してある棚の前で足を止めた。いろんなカラー剤を手に取ってみている。

 「髪色変えるの?」
 「金髪飽きちゃったんですよね」
 「そうなんだ。俺はすきだよ」
 「え?」

 カラー剤を物色していた手が止まり、こっちをみてパチパチと瞬きしている。どうしたんだろう? 俺、変なこと言った?

 「さっきの、もう一回言ってもらっていいですか?」
 「さっきの? ……髪色変えるの?」
 「その後です!」
 「……そうなんだ。俺はすきだよ」
 「……っ!!」

 俺に背中を向け、ガッツポーズをしてなにかを噛みしめていた。よくわからない。

 「先輩がすきって言ってくれるんなら、このままでもいいかな」
 「キラキラしててきれいだし、鼓くんに似合ってると思う」
 「……そうですか。ありがとうございます」
 「太陽の光に反射してる時とか、まぶしいんだけど目が離せなくて、特に夕日。夕日に反射してる時はちょっとオレンジ色っぽくなるんだよね。淡くあたたかく光ってる感じがすき」

 途端に顔を真っ赤にしてそっぽを向いてしまった。やっぱり俺が変なことを言ったから気分を悪くしたのかもしれない。

 「……大丈夫? ごめん、なんか変なこと言って」
 「先輩はなにも悪くないです。むしろ、すきって言ってもらえてうれしかったし、俺のことよくみてくれてるんだなぁって」
 「鼓くんは目立つから、人ごみの中にいてもすぐ見つけられるよ。その後なんとなく目で追ってたら、鼓くんも俺をみつけてくれるでしょ? それがうれしくて、いつも目で追っちゃうんだよね」
 「俺、先輩がどこにいてもみつけられる自信ありますから」
 「じゃあ今度、かくれんぼで勝負する?」
 「ふはっ、いいですね。やりましょう」

 笑っている鼓くんをみて安心した。元に戻ったみたいでよかった。
 俺は手にしている黒染のカラー剤を会計し、鼓くんは結局なにも買わずに店を出た。

 「それ、自分用ですか?」
 「そうだよ。地毛が明るめの茶色だから、伸びてきたら黒くしてる」
 「え、わざわざ黒くしてるんですか?」
 「小学生の時からやってるから、なんか習慣になってて。黒いと落ち着くし、周りからも色々言われたりしないから」
 「あ、だから根元だけ茶色なんですね」

 納得したように頷いた後、なぜか少し悲しそうな顔をした。

 「俺は、みたいです。そのままの黒実先輩」
 「ん?」
 「根元だけでもきれいな色だから、伸びたらもっときれいなんだろうなって」

 きれいと言われたのは久しぶりだ。うれしいはずなのに、胸の奥がズキリと痛む。
 両親はよく言ってくれた。有磨の髪はきれいだって。だから俺も自分の髪色が気に入っていたし自慢だった。だけど、ある日おばあちゃんに「みっともない」と言われて無理やり黒に染められた。そのことで両親とおばあちゃんはケンカになった。自分のせいでみんながいがみ合っているのが耐えられなくて、自分から髪を黒く染めるようになった。両親には心配されたけど、自分がそうしたいからと言ったらなにも言われなくなった。家族がいがみ合わなくてすむなら自分の髪色なんてなんでもいい。そう思っていたはずなのに……

 「あれ?」

 目尻から一粒、涙があふれて頬を伝う。

 「え?……先輩?」

 鼓くんは驚きながらも、黙って俺の様子をみている。

 「ごめん、ゴミが入ったかな……」

 肩を抱いて、さりげなく商店街の端まで連れて行ってくれた。メガネをとって手で涙をぬぐう。

 「すみません……」
 「ううん、鼓くんは悪くないから……こっちこそごめんね」

 落ち着いてから駅に向かって歩き出す。並んで歩いている間、いつもおしゃべりな鼓くんがなにも話さなかった。俺も話をする気分になれなくて、にぎやかな商店街を黙って歩いた。駅に着いてから、鼓くんは少し心配そうにしていたけど、いつも通り手を振ってわかれた。
 わけもわからず泣いてしまい鼓くんを困らせてしまった。帰りの電車の中で反省しながら、改めてちゃんと謝っておこうとスマホを取り出す。ちょうどブブッと震えて鼓くんからメッセージがきた。

 『おつかれさまでした。ゆっくり休んでくださいね』
 『俺でよかったらいつでもなんでも言ってください』

 メッセージを目にしたら、また少し泣いてしまった。鼓くんの優しさに触れると、安心して全てをさらけ出したくなる。ずっと見て見ぬふりをしていた自分の感情が、飛び出してしまいそうで怖い。
 だめだ。せっかく仲良くなれたんだから、迷惑をかけてはいけない。

 『ありがとう。鼓くんもゆっくりしてね~』
 『また明日』

 最後に手を振るネコのスタンプを添えて送信すると、秒で同じように手を振っている犬のスタンプが返ってきた。
 これで大丈夫だ。明日からまたいつも通り。ため息をついて、ポケットにスマホをしまった。


 体育祭当日、雲一つない晴天の元で体育委員の宣誓から始まった。開会式を滞りなくおえて、その後のプログラムも今のところ問題なく進んでいる。そして今、俺は玉入れのカゴを支えている。上からポンポン玉が落ちてきて頭に当たる。それほど痛くはないけど、たくさんの人にみられているかと思うといたたまれない気持ちになる。いや、実際は誰も俺のことなんかみていない。だからべつに気にすることもないんだけど、それはそれで寂しいというか。
 玉を数え終わり白組が勝った。俺が持っている方が勝ったのでそれだけが唯一の救いだ。紅組のカゴを持っていた風紀委員と急いでカゴを片付けて「おつかれ」と言い合い次の競技の準備をする。
 次は借り物競争、ではなく、借り人競争だ。去年のことを反省して、手間が少ない借り人競争に変更になった。これなら、お題を並べればいいだけ。観覧している人にもわかりやすいようにビブスにお題を張り付けて競技者に着てもらうことにした。
 早速競技者が入場してきたので、急いでビブスを並べる。お題が見えないように裏を向けて。
 競技者の中にキラキラ光る金髪をみつけた。鼓くんも俺をみつけてくれて、軽く手を振っている。俺が手を振り返しているとスタートの合図があり、鼓くんは少し遅れて走り出した。心の中でがんばれーと応援しながら鼓くんの様子を見守っていると、ビブスを着るなりこちらに走ってきた。

 「黒実先輩、行きましょ!」
 「え?」

 戸惑っている俺の手を取り走り出す。そのまま一着でゴールして、うれしそうな鼓くんとハイタッチ。鼓くんは自分のクラスの観覧席に向かってこぶしを掲げていた。鼓くんが着ているビブスには"大好きな先輩"と書かれている。
 
 (うれしいよ、うれしいんだけど……)

 鼓くんのクラスメイトからの「あの人だれ?」という視線に耐え切れず、急いで持ち場に戻る。

 「黒実先輩、ありがとうございました」

 恥ずかしくて、鼓くんからのお礼の言葉に軽く手を振るのが精いっぱいだった。
 そしてすぐに次の走者がやってくる。俺は急いでビブスを並べる。並べおわりほっとしたのも束の間、今度はビブスを着た三智が俺の元に走ってきて、さっきと同じように手をつないで一着でゴールした。

 「忙しいのにごめん。有磨しかおもいつかなかったからさ」
 「いや、大丈夫……」

 二回連続で駆り出されて息も絶え絶えに三智をみる。ビブスには"親友"と書かれてあって、疲れているはずなのにうれしくて気恥ずかしくて口元がモゴモゴする。三智が一着でゴールしたおかげでクラスメイトたちもよろこんでいた。俺もクラスに貢献できてうれしい。
 その後あわてて持ち場に戻り、無事に借り人競争は終了した。体育祭での俺の仕事がおわり、それからは観覧席に戻り気楽に自分のクラスを応援した。グラウンドにたびたび現れる鼓くんにも声援をおくると、必ず手を振り返してくれて、隣で三智が「あいつ競技に集中してないじゃん」と呆れていた。


 体育祭は終了し、後片付けもほどほどに教室に戻ると三智が席に座ってスマホをいじっていた。

 「待っててくれたの?」
 「おーヒマだったから」
 「すぐ着替えるね」

 高校2年の体育祭がおわってしまった。今年も裏方に徹するつもりだったけど、鼓くんと三智のおかげで競技でもいい思い出ができた。来年もきっとまた裏方をやってるんだろうな、なんて考えながら着替えていたら、いつの間にか三智がカバンを持って後ろ戸のとこに立っていた。

 「ちょ、待ってよ」

 俺も慌ててカバンを持ち、三智の隣に並んで廊下を歩く。体育祭の話をしながら昇降口にやってくると、見慣れた金髪の髪が夕日に照らされてキラキラしていた。それをみた三智が「じゃあな」とさっさと靴を履きかえて行ってしまった。残された俺に鼓くんがゆっくりと歩み寄ってくる。

 「待ち伏せしてすみません。今日はどうしても先輩と一緒に帰りたくて」
 「あ、うん。それは全然いいんだけど……」

 せっかく待っててくれた三智に気を遣わせてしまった。あとで謝っておかないと。

 「みっちー先輩ですよね? 俺、ちょっと行ってきます」

 先に帰ってしまった三智の背中を慌てて追いかけていく鼓くん。追いついて、三智に声をかけてペコペコと頭を下げている。遠目からだと何を話しているのかわからないけど、すぐにこっちに戻ってきた。

 「帰りましょうか?」
 「三智、大丈夫だった?」
 「はい、行きましょう」

 並んで歩き出す。話題に出たのは借り人競争のことだった。仕事があるのに俺を借り出したことを申し訳なく思っているようで、眉を下げて謝ってくれた。気にしなくていいよ、選んでもらえてうれしかったと伝えたら安心したように頬を緩めた。

 「みっちー先輩にも借り出されてましたね。二人やっぱ仲いいっすよね」
 「そうだね。付き合い長いしね」
 「黒実先輩はみっちー先輩のこと、どう思ってます?」
 「三智? 幼なじみで友達……いや、親友……かな。俺、三智しか友達いないから」
 「唯一無二の存在ですね。強いなぁ……」
 「強い??」
 「あ、気にしないでください。ちなみに俺のことはどう思ってますか?」
 
 そういえばちゃんと考えたことなかった。俺は鼓くんのことどう思ってるんだろう? 友達とは違う気がするし、やっぱり後輩? 仲良くしてくれる後輩かな……?
 考え込んでいる俺を見て「すみません、やっぱいいっす。また思いついたら教えてください」とワタワタしていた。それからすぐに全然違う話題になって、淡く光る金髪を時々見上げながら他愛ない話をして駅まで歩いた。