「おはようございます」
誰よりも早く学校に来て校門前に立ち、登校してくる生徒にあいさつをする。あいさつ運動も兼ねて服装や頭髪のチェックをする。左腕に『風紀委員』と書かれた黄色の腕章をつけて。
一人で登校してくる生徒は眠そうにぼんやりしている人が多く、あいさつをしても返ってくる声は小さい。複数人で登校してくる生徒はおしゃべりに夢中で、先生には挨拶をするが風紀委員は視界に入れてくれない。たまに先生にも俺たち風紀委員にもきちんと挨拶をしてくれる生徒がいる。俺はその奇特な人たちの顔と名前を記憶するようにしている。
中でも、遅刻ギリギリに登校してくる1年生は、毎朝とびきりの笑顔で元気よく挨拶をしてくれるのだ。そのキラキラの笑顔をみると早起きが報われた気分になる。この時のために風紀検査をがんばっていると言っても過言ではない。
「そろそろチャイム鳴りそうですけど、まだ来ませんね」
「今日も遅刻かな」
近くに立っている生活指導の山田先生の様子をうかがいながら、隣に立つ1年生浅田美羽(風紀委員)とコソコソ話をしているとチャイムが鳴り始めた。
「鳴っちゃった」
浅田さんと顔を見合わせて苦笑する。校門を閉めようとしたら背後から駆けてくる足音が聞こえた。きっと例の1年生だ。振り向くと、鮮やかな金色の髪が風に揺れている。きれいだ。陽の光に反射してキラキラと輝くそれに目を奪われていたら、いつの間にかどんどんと近づいてきて、スピードを緩めることなくドンっとぶつかった。
「っ、」
尻もちをついた拍子に、持っていたチェック表を落としてしまった。
「わっ! すみません!」
金髪の生徒が慌ててチェック表を拾ってくれたのだが、グシャッと嫌な音がして、俺は慌てて顔をまさぐる。メガネがない。恐る恐る金髪生徒の足元をみると、俺のメガネが無残な姿になっていた。
「うぅわっ……まじかー」
折れ曲がってしまったフレーム、外れてしまったレンズ、鼻あてやつるの部分も取れてしまっている。その一つ一つを丁寧に拾い上げ、申し訳なさそうに眉を下げておずおずと俺に差し出してきた。
「あの、本当にごめんなさい……」
「うわ……鼓くん、遅刻した上に黒実先輩のメガネを壊すなんて……」
「おまえなぁ……」
浅田さんと山田先生が呆れ顔で金髪生徒ーー鼓草太を見ている。
「大丈夫だよ、メガネなくてもみえるから」
半泣きの鼓からチェック表と壊れたメガネや部品を受け取った。フレームはあらぬ方向に曲がっているがレンズは割れていないので使えるかもしれない。
「鼓くん、ちゃんと弁償してくださいね! 黒実先輩もちゃんと怒らなきゃだめですよ! お人好しすぎます」
「人に向かって怒るの苦手なんだよね」
浅田さんと話しているとふと視線を感じ、見上げると鼓くんがじっと俺を見ていた。
(なんだろう?……背が高いから見下ろされるとちょっと怖いんだけど……)
「……みつけた」
「うん?」
言葉の意味が分からず疑問符を浮かべていると、勢いよく頭を下げられる。
「あの、俺、1年の鼓草太っていいます。先輩のメガネを壊してしまい本当に本当にごめんなさい。一生かけて償います」
「一生ってそんな、メガネくらいで大げさだよ。頭あげて?」
「いいじゃないですか、償ってもらいましょう」
「いやいや、本当に大丈夫だから」
「せめて、弁償はしてもらいましょ。メガネだって安くないんですから」
「いやでも……」
「弁償します! 雑用でもなんでも言いつけてください」
「えぇ……」
困り果てる俺に、「専用の下僕ができましたね」とからかう浅田さんと、早速鼓くんに「校門を閉めろ」と雑用を言いつける山田先生。鼓くんはなぜかうれしそうに山田先生の言うことを聞いている。
俺は頭を悩ませながらも遅刻の欄に鼓草太と記入した。
1年1組 鼓草太、風紀委員ならこの名前を知らない奴はいない。遅刻常習犯で金髪にピアス、制服も着崩し時々パーカーやニット帽など学校指定じゃないものを身に着けてくる。校則違反を地でいく人物である。格好だけみれば問題児だが、性格がよく愛嬌もあるので先生も風紀委員も彼には甘い。そう、彼が毎朝気持ちいいあいさつをしてくれる1年生だ。
俺も話をしたことはないが、彼のことは嫌いじゃない。嫌いじゃないけど……
「先輩、遠慮なくなんでも言ってください!」
金髪に負けないくらいキラキラと目を輝かせて俺を見る。この有り余るパワーと陽キャ独特のオーラ、そして土足で足を踏み入れてくるような距離の詰め方、正直苦手だ。程よく距離を取って遠くから眺めるだけでいいのに、近すぎると圧倒されてめまいがしそうだ。
「とりあえず、教室に行こうか。ホームルーム始まっちゃうから」
「あ、そうですね! じゃあまた後で! 失礼します」
ぶんぶん大きく手を振って廊下を駆けていった。山田先生がその背中に「走るなー!」と怒鳴っていた。
(後でって、まさか2年の教室まで来ないよね……)
1時間目終了後の休み時間、俺の予感は的中した。
「先輩!」
教室の戸を開け放し、こっちに向かってぶんぶんと大きく手を振っている。
「あ、ワンコじゃん。こっち見てる」
前の席に座る幼なじみの茶谷三智がだるそうに頬杖をついて、廊下から手を振る鼓をぼんやりと見ている。ちなみにワンコというのは鼓くんのことだ。俺たちが勝手にそう呼んでいる。大柄で金髪で人懐こいからゴールデンレトリバーと呼んでいたが、長いのでワンコになった。
鼓くんはどこにいても目立つので2年の間でも有名人だ。金髪クンとか大太鼓クンとか、各々勝手にあだ名をつけて呼んでいる。
「ちょっと行ってくる」
「え、有磨のこと呼んでんの?」
「うん、たぶん」
席を立ち鼓くんの元まで行くと、わかりやすく口角が上がった。手に取るように感情が伝わってくる。本当に犬みたい。
「どうしたの?」
「先輩は大丈夫って言ってたけど、やっぱメガネないと不便ですよね……?」
「大丈夫だよ。こうやって目を凝らせば見えるし」
眉根を寄せて目を細めてやるとふっと口元を緩めた。
(あ、今笑ったな?)
俺の心の声が聞こえたのか、「すみません、かわいくてつい……」と小さな声で謝った。謝ってはいるが、悪びれる様子はなくにこにこと笑みを浮かべている。バカにしてる?
(かわいいってなに?)
「あの、俺が先輩の目になれれば役に立てるかなって思ったんですけど……」
「え、スイミー?」
「スイミー??」
「あ、ごめん。なんでもない。それで?」
「見えなくて困るのって、やっぱ授業中ですよね? 先生に言って、俺が代わりに先輩のノートとるっていうのはどうですか?」
「あーそれは難しいんじゃないかな」
「やっぱだめですかねー」
「そうだね。気持ちだけで十分だから、うん。ありがとう」
「そっか~じゃあまた来ます」
「え?」
「失礼しました」
(また来るのか……)
6時間目終了後、担任の先生からの連絡事項が告げられると急いで帰り支度をする。教科書や筆記具をカバンに乱雑に詰めて素早く席から立ち上がった。
「三智、ちょっと急いでるから先に帰るね」
まだ数学の教科書を机に広げたままスマホをいじっている三智に声をかけてカバンを手に取る。呼び止める三智の声に聞こえないふりをして教室の後ろの戸まで早歩きで移動し、引き戸の取っ手に手をかける。開けようとしたその瞬間、勝手に戸が開いた。驚いて見上げると、キラキラの金髪とまぶしい笑顔が目に飛び込んできた。今日一日で何度も目にしたおかげで、目を閉じてもその姿がありありと浮かんでくる。
「先輩、一緒に帰りましょ」
背後から「なるほど……」と三智の納得する呟きが聞こえ、振り返ると目をそらし「じゃあな」と前の戸に向かって行くので、慌てて三智の腕をつかむ。
「三智も一緒に帰っていい?」
「もちろんです」
三智からの視線がグサグサと後頭部に差さっていたけど気づかないふりをして教室を出た。
下駄箱で靴を履き替えて三人で校門を出る。さっきからずっと、鼓くんは他愛ないことを話し続けている。俺はずっとうわの空で適当に相槌を打つ。頭の中では、どうやって鼓くんと距離を置こうかとぐるぐる考えている。今日一日、休み時間のたびに2年の教室まで来て俺の様子をうかがってくれた。それはありがたいし優しいなとは思うけど、やっぱり陽キャ特有のテンションが苦手で、話を聞いているだけだったのに疲れてしまった。もしこれが明日も明後日も続くなら、心も身体も疲弊してしまうかもしれない。
「あのさ、」
「そういえば」
話が途切れたタイミングで口を開いたら、鼓くんとかぶってしまった。
「あ、先輩からどうぞ」
「いやいや、鼓くんから」
「いや、先輩から」
「皷くんから」
ずっと黙っていた三智がゴホンッと咳払いする。
「俺、先に帰ってもよろしい?」
三智の腕をぎゅっと握り、『お願い。一緒にいて』と目を合わせて念を送る。ため息をつかれたけど、「わかった」と頷いてくれた。巻き込んでしまった三智には申し訳ないけど、一緒にいてもらえると心強い。三智とは幼稚園からの幼なじみで互いのことをよく知ってる気の置けない間柄だ。友達作りが苦手な俺がぼっちにならずにすんでいるのは三智が一緒にいてくれるからだ。本当に三智には世話になりっぱなしで感謝してもしきれない。
「じゃあ俺から言いますね。黒実先輩、よかったら連絡先教えてほしいんですけど」
「え……」
待ってくれ。連絡先交換なんてした日には怒涛のメッセージ攻撃を受けて睡眠不足になること必至。俺の平凡で慎ましい生活が崩れてしまう。
じっと三智に視線をおくるとまたため息をつかれた。
「連絡先交換すんのはもっと仲良くなってからでいいんじゃね?」
三智の言葉にうんうんと頷いていると、今度は鼓くんにため息をつかれた。
「あの、二人が仲いいのはわかるんですけど、俺は黒実先輩に聞いてるんで、黒実先輩の口から俺に伝えてほしいです」
やばい。空気が悪くなってしまった。
「あー確かに。感じ悪かったな、ごめん」
「いや、そんなことーー」
「邪魔者は退散するんで、あとは若い二人でがんばってください」
三智は俺の頭をポンポン撫でると俺たちを置いてスタスタと行ってしまった。
(三智ー! 行かないでよー! なんか怒ってるしー)
「あ、みっちー先輩怒っちゃいましたかね?」
「う~ん、まぁあとで謝ったら許してくれるから大丈夫だよ」
「すみません……で、連絡先なんですけど」
「え、あ、えっと……」
「嫌だったら断ってもらっていいです」
「嫌っていうか……」
言い淀んでいる俺に、真剣な面持ちでまっすぐに視線を向けてきた。おもわずごくりと喉を鳴らす。
「俺、黒実先輩のこと知りたいんです。先輩のこと知って仲良くなりたい。もちろんちゃんとメガネも弁償したいし、迷惑かけた分役に立ちたい。だめですか?」
胸の真ん中を撃ち抜かれたみたいに、どくんと心臓が揺れた。こんなに真摯に気持ちを伝えてくれる人は初めてかもしれない。鼓くんのまっすぐな気持ちに俺もきちんと応えなきゃ。
「……俺、人と比べるとパーソナルスペース広いんだと思う。だから、距離感を保ってほしいというか……あんまりグイグイ来られると引いちゃって苦手意識もっちゃうから……」
こんな言葉でちゃんと伝わっただろうか。おずおずと鼓くんを見上げるときょとん顔でかたまっていた。
(あ、伝わってない)
「それって、べつに嫌いとかじゃないんですよね……?」
「うんうん、嫌いじゃないよ。むしろ、優しくていい子だなって思ってるし」
途端にその場にしゃがみこんで大きく息を吐いた。
「だ、大丈夫?」
顔を上げて安心したように頬が緩む。
「よかったー。嫌われてんのかと思ってたから……ほんとによかった」
声をかけようとしたらスッと立ち上がって穏やかに笑う。
「わかりました。まずは、先輩に信用してもらえるようがんばります」
「えっと、俺も、心を開けるようにがんばる」
「先輩はがんばらなくていいです。ゆっくりでいいんで、先輩のこといろいろ教えてくださいね」
「う、うん。がんばる」
「だから、がんばらなくていいんですって」
誰よりも早く学校に来て校門前に立ち、登校してくる生徒にあいさつをする。あいさつ運動も兼ねて服装や頭髪のチェックをする。左腕に『風紀委員』と書かれた黄色の腕章をつけて。
一人で登校してくる生徒は眠そうにぼんやりしている人が多く、あいさつをしても返ってくる声は小さい。複数人で登校してくる生徒はおしゃべりに夢中で、先生には挨拶をするが風紀委員は視界に入れてくれない。たまに先生にも俺たち風紀委員にもきちんと挨拶をしてくれる生徒がいる。俺はその奇特な人たちの顔と名前を記憶するようにしている。
中でも、遅刻ギリギリに登校してくる1年生は、毎朝とびきりの笑顔で元気よく挨拶をしてくれるのだ。そのキラキラの笑顔をみると早起きが報われた気分になる。この時のために風紀検査をがんばっていると言っても過言ではない。
「そろそろチャイム鳴りそうですけど、まだ来ませんね」
「今日も遅刻かな」
近くに立っている生活指導の山田先生の様子をうかがいながら、隣に立つ1年生浅田美羽(風紀委員)とコソコソ話をしているとチャイムが鳴り始めた。
「鳴っちゃった」
浅田さんと顔を見合わせて苦笑する。校門を閉めようとしたら背後から駆けてくる足音が聞こえた。きっと例の1年生だ。振り向くと、鮮やかな金色の髪が風に揺れている。きれいだ。陽の光に反射してキラキラと輝くそれに目を奪われていたら、いつの間にかどんどんと近づいてきて、スピードを緩めることなくドンっとぶつかった。
「っ、」
尻もちをついた拍子に、持っていたチェック表を落としてしまった。
「わっ! すみません!」
金髪の生徒が慌ててチェック表を拾ってくれたのだが、グシャッと嫌な音がして、俺は慌てて顔をまさぐる。メガネがない。恐る恐る金髪生徒の足元をみると、俺のメガネが無残な姿になっていた。
「うぅわっ……まじかー」
折れ曲がってしまったフレーム、外れてしまったレンズ、鼻あてやつるの部分も取れてしまっている。その一つ一つを丁寧に拾い上げ、申し訳なさそうに眉を下げておずおずと俺に差し出してきた。
「あの、本当にごめんなさい……」
「うわ……鼓くん、遅刻した上に黒実先輩のメガネを壊すなんて……」
「おまえなぁ……」
浅田さんと山田先生が呆れ顔で金髪生徒ーー鼓草太を見ている。
「大丈夫だよ、メガネなくてもみえるから」
半泣きの鼓からチェック表と壊れたメガネや部品を受け取った。フレームはあらぬ方向に曲がっているがレンズは割れていないので使えるかもしれない。
「鼓くん、ちゃんと弁償してくださいね! 黒実先輩もちゃんと怒らなきゃだめですよ! お人好しすぎます」
「人に向かって怒るの苦手なんだよね」
浅田さんと話しているとふと視線を感じ、見上げると鼓くんがじっと俺を見ていた。
(なんだろう?……背が高いから見下ろされるとちょっと怖いんだけど……)
「……みつけた」
「うん?」
言葉の意味が分からず疑問符を浮かべていると、勢いよく頭を下げられる。
「あの、俺、1年の鼓草太っていいます。先輩のメガネを壊してしまい本当に本当にごめんなさい。一生かけて償います」
「一生ってそんな、メガネくらいで大げさだよ。頭あげて?」
「いいじゃないですか、償ってもらいましょう」
「いやいや、本当に大丈夫だから」
「せめて、弁償はしてもらいましょ。メガネだって安くないんですから」
「いやでも……」
「弁償します! 雑用でもなんでも言いつけてください」
「えぇ……」
困り果てる俺に、「専用の下僕ができましたね」とからかう浅田さんと、早速鼓くんに「校門を閉めろ」と雑用を言いつける山田先生。鼓くんはなぜかうれしそうに山田先生の言うことを聞いている。
俺は頭を悩ませながらも遅刻の欄に鼓草太と記入した。
1年1組 鼓草太、風紀委員ならこの名前を知らない奴はいない。遅刻常習犯で金髪にピアス、制服も着崩し時々パーカーやニット帽など学校指定じゃないものを身に着けてくる。校則違反を地でいく人物である。格好だけみれば問題児だが、性格がよく愛嬌もあるので先生も風紀委員も彼には甘い。そう、彼が毎朝気持ちいいあいさつをしてくれる1年生だ。
俺も話をしたことはないが、彼のことは嫌いじゃない。嫌いじゃないけど……
「先輩、遠慮なくなんでも言ってください!」
金髪に負けないくらいキラキラと目を輝かせて俺を見る。この有り余るパワーと陽キャ独特のオーラ、そして土足で足を踏み入れてくるような距離の詰め方、正直苦手だ。程よく距離を取って遠くから眺めるだけでいいのに、近すぎると圧倒されてめまいがしそうだ。
「とりあえず、教室に行こうか。ホームルーム始まっちゃうから」
「あ、そうですね! じゃあまた後で! 失礼します」
ぶんぶん大きく手を振って廊下を駆けていった。山田先生がその背中に「走るなー!」と怒鳴っていた。
(後でって、まさか2年の教室まで来ないよね……)
1時間目終了後の休み時間、俺の予感は的中した。
「先輩!」
教室の戸を開け放し、こっちに向かってぶんぶんと大きく手を振っている。
「あ、ワンコじゃん。こっち見てる」
前の席に座る幼なじみの茶谷三智がだるそうに頬杖をついて、廊下から手を振る鼓をぼんやりと見ている。ちなみにワンコというのは鼓くんのことだ。俺たちが勝手にそう呼んでいる。大柄で金髪で人懐こいからゴールデンレトリバーと呼んでいたが、長いのでワンコになった。
鼓くんはどこにいても目立つので2年の間でも有名人だ。金髪クンとか大太鼓クンとか、各々勝手にあだ名をつけて呼んでいる。
「ちょっと行ってくる」
「え、有磨のこと呼んでんの?」
「うん、たぶん」
席を立ち鼓くんの元まで行くと、わかりやすく口角が上がった。手に取るように感情が伝わってくる。本当に犬みたい。
「どうしたの?」
「先輩は大丈夫って言ってたけど、やっぱメガネないと不便ですよね……?」
「大丈夫だよ。こうやって目を凝らせば見えるし」
眉根を寄せて目を細めてやるとふっと口元を緩めた。
(あ、今笑ったな?)
俺の心の声が聞こえたのか、「すみません、かわいくてつい……」と小さな声で謝った。謝ってはいるが、悪びれる様子はなくにこにこと笑みを浮かべている。バカにしてる?
(かわいいってなに?)
「あの、俺が先輩の目になれれば役に立てるかなって思ったんですけど……」
「え、スイミー?」
「スイミー??」
「あ、ごめん。なんでもない。それで?」
「見えなくて困るのって、やっぱ授業中ですよね? 先生に言って、俺が代わりに先輩のノートとるっていうのはどうですか?」
「あーそれは難しいんじゃないかな」
「やっぱだめですかねー」
「そうだね。気持ちだけで十分だから、うん。ありがとう」
「そっか~じゃあまた来ます」
「え?」
「失礼しました」
(また来るのか……)
6時間目終了後、担任の先生からの連絡事項が告げられると急いで帰り支度をする。教科書や筆記具をカバンに乱雑に詰めて素早く席から立ち上がった。
「三智、ちょっと急いでるから先に帰るね」
まだ数学の教科書を机に広げたままスマホをいじっている三智に声をかけてカバンを手に取る。呼び止める三智の声に聞こえないふりをして教室の後ろの戸まで早歩きで移動し、引き戸の取っ手に手をかける。開けようとしたその瞬間、勝手に戸が開いた。驚いて見上げると、キラキラの金髪とまぶしい笑顔が目に飛び込んできた。今日一日で何度も目にしたおかげで、目を閉じてもその姿がありありと浮かんでくる。
「先輩、一緒に帰りましょ」
背後から「なるほど……」と三智の納得する呟きが聞こえ、振り返ると目をそらし「じゃあな」と前の戸に向かって行くので、慌てて三智の腕をつかむ。
「三智も一緒に帰っていい?」
「もちろんです」
三智からの視線がグサグサと後頭部に差さっていたけど気づかないふりをして教室を出た。
下駄箱で靴を履き替えて三人で校門を出る。さっきからずっと、鼓くんは他愛ないことを話し続けている。俺はずっとうわの空で適当に相槌を打つ。頭の中では、どうやって鼓くんと距離を置こうかとぐるぐる考えている。今日一日、休み時間のたびに2年の教室まで来て俺の様子をうかがってくれた。それはありがたいし優しいなとは思うけど、やっぱり陽キャ特有のテンションが苦手で、話を聞いているだけだったのに疲れてしまった。もしこれが明日も明後日も続くなら、心も身体も疲弊してしまうかもしれない。
「あのさ、」
「そういえば」
話が途切れたタイミングで口を開いたら、鼓くんとかぶってしまった。
「あ、先輩からどうぞ」
「いやいや、鼓くんから」
「いや、先輩から」
「皷くんから」
ずっと黙っていた三智がゴホンッと咳払いする。
「俺、先に帰ってもよろしい?」
三智の腕をぎゅっと握り、『お願い。一緒にいて』と目を合わせて念を送る。ため息をつかれたけど、「わかった」と頷いてくれた。巻き込んでしまった三智には申し訳ないけど、一緒にいてもらえると心強い。三智とは幼稚園からの幼なじみで互いのことをよく知ってる気の置けない間柄だ。友達作りが苦手な俺がぼっちにならずにすんでいるのは三智が一緒にいてくれるからだ。本当に三智には世話になりっぱなしで感謝してもしきれない。
「じゃあ俺から言いますね。黒実先輩、よかったら連絡先教えてほしいんですけど」
「え……」
待ってくれ。連絡先交換なんてした日には怒涛のメッセージ攻撃を受けて睡眠不足になること必至。俺の平凡で慎ましい生活が崩れてしまう。
じっと三智に視線をおくるとまたため息をつかれた。
「連絡先交換すんのはもっと仲良くなってからでいいんじゃね?」
三智の言葉にうんうんと頷いていると、今度は鼓くんにため息をつかれた。
「あの、二人が仲いいのはわかるんですけど、俺は黒実先輩に聞いてるんで、黒実先輩の口から俺に伝えてほしいです」
やばい。空気が悪くなってしまった。
「あー確かに。感じ悪かったな、ごめん」
「いや、そんなことーー」
「邪魔者は退散するんで、あとは若い二人でがんばってください」
三智は俺の頭をポンポン撫でると俺たちを置いてスタスタと行ってしまった。
(三智ー! 行かないでよー! なんか怒ってるしー)
「あ、みっちー先輩怒っちゃいましたかね?」
「う~ん、まぁあとで謝ったら許してくれるから大丈夫だよ」
「すみません……で、連絡先なんですけど」
「え、あ、えっと……」
「嫌だったら断ってもらっていいです」
「嫌っていうか……」
言い淀んでいる俺に、真剣な面持ちでまっすぐに視線を向けてきた。おもわずごくりと喉を鳴らす。
「俺、黒実先輩のこと知りたいんです。先輩のこと知って仲良くなりたい。もちろんちゃんとメガネも弁償したいし、迷惑かけた分役に立ちたい。だめですか?」
胸の真ん中を撃ち抜かれたみたいに、どくんと心臓が揺れた。こんなに真摯に気持ちを伝えてくれる人は初めてかもしれない。鼓くんのまっすぐな気持ちに俺もきちんと応えなきゃ。
「……俺、人と比べるとパーソナルスペース広いんだと思う。だから、距離感を保ってほしいというか……あんまりグイグイ来られると引いちゃって苦手意識もっちゃうから……」
こんな言葉でちゃんと伝わっただろうか。おずおずと鼓くんを見上げるときょとん顔でかたまっていた。
(あ、伝わってない)
「それって、べつに嫌いとかじゃないんですよね……?」
「うんうん、嫌いじゃないよ。むしろ、優しくていい子だなって思ってるし」
途端にその場にしゃがみこんで大きく息を吐いた。
「だ、大丈夫?」
顔を上げて安心したように頬が緩む。
「よかったー。嫌われてんのかと思ってたから……ほんとによかった」
声をかけようとしたらスッと立ち上がって穏やかに笑う。
「わかりました。まずは、先輩に信用してもらえるようがんばります」
「えっと、俺も、心を開けるようにがんばる」
「先輩はがんばらなくていいです。ゆっくりでいいんで、先輩のこといろいろ教えてくださいね」
「う、うん。がんばる」
「だから、がんばらなくていいんですって」



