「なぜ絃がこんなところに――いや、今はそれを聞くよりも、ここから抜け出すほうが先だな」
天馬は左手で絃を抱き寄せると、右手で異能を繰り出す。
しかし、天馬が倒しても倒しても、地面から影鬼がわいてでてくる。
「どうしてこんなにたくさん……」
「さっきの死に際の叫び、おそらくあれで仲間を呼んだのだろう」
天馬は絃を庇いながら火球を飛ばし、影鬼に応戦する。
「だが、これじゃあ埒が明かない」
そう呟いた天馬は、右手の薬指を噛み切り、口寄せでハヤブサを呼び出した。
「この状況を穂積に伝えてくれ」
天馬の指示を受けたハヤブサは、すぐさま羽根を広げて木々の間を駆け抜けていった。
「隣の山で影鬼の討伐をしていたところだから、時期に穂積たちが応援にくる。それまでの辛抱だ」
迷いのない天馬の言葉はそれだけで心強く、絃はこくんと頷く。
「本当なら、雷蹄の攻撃一発で片付くはずなんだが……。ちょうど今、雷蹄を呼び出せるだけの余力が残っていなくてな」
「お体のほうは大丈夫なのですか……?」
「ああ。雷蹄を使えないだけで、これくらいの異能ならしばらくは問題ない」
一度にまとめて倒すことはできないが、天馬は異能を使い分けて確実に影鬼の数を減らしていく。
「それにしても、この辺りまで巡回していてよかった。まだこんなに多くの影鬼が潜んでいたとは予想外だったが、まさか絃がいるとは」
「……申し訳ございません。知っていたら、こんなところへなどこなかったというのに……」
「話は帰ってから聞く。それよりも、絶対に影鬼からの攻撃は負わないように――」
その瞬間、ふたりの足元から長く尖った爪が生えた手が伸びてきた。
「朝比奈様、危ない!」
いち早く気づいた絃が、思いきり天馬を突き飛ばす。それにより天馬を狙った影鬼の攻撃からは免れられたが、足元から新たに現れた影鬼の標的はその場で腰を抜かす絃へと変わった。
「逃げろ、絃!」
すぐにでも絃のもとへ駆けつけたい天馬だったが、別の影鬼との応戦で足止めを食らう。
「ピピー!」
動けない絃を庇うようにピーちゃんが現れ、果敢にも影鬼に突進する。
しかし、あっけなく弾き飛ばされて絃のそばに転がった。
「ピーちゃん、しっかりして……!」
絃はピーちゃんをすくい上げるが気を失っていて動かない。
「ギギギィ!!」
はっとして顔を上げると、目の前には絃に爪を振り下ろそうとする影鬼の姿があった。
「ピーちゃん、ごめん。わたしが名前を思い出せさえすれば……」
ピーちゃんを胸に抱きしめ、絃はぎゅっと目をつむった。
「絃っ!!」
そのとき天馬の叫ぶ声が聞こえ、強い衝撃を受けると同時に絃は地面を転がった。
「……大丈夫か、絃」
耳元で天馬の声が聞こえ、恐る恐るまぶたを開けると、絃を見下ろす優しげな表情の天馬と目が合った。
どうやら天馬が覆い被さって助けてくれたようだが、その刹那、天馬が力なく絃の上に倒れ込んできた。
「……朝比奈様!?」
絃が慌てて体を起こそうとすると、天馬はぐったりと地面に横たわる。
見ると、天馬の背中には大きな三本の引っ掻き傷があり、絃は思わず叫びそうになって手で口を覆った。
出血しているのはもちろんのこと、切り裂かれた軍服から見える傷口からは呪印が体を這うようにして伸びていたのだ。
幸い致命傷は免れたようで、天馬は手をついてなんとか起き上がると、そばにいた影鬼を一瞬で燃やす。
「あさ……、朝比奈さ……ま」
動揺を隠せない絃の声が震える。そんな絃に手を伸ばすと、天馬はそっと頭をなでた。
「俺が影鬼を引きつけるから、合図をしたら絃は逃げろ」
「そんなっ。朝比奈様は……」
「俺はここに残って時間稼ぎをする」
「どうして……! 逃げるならいっしょに――」
そう言いかけた絃の口元を、天馬が人差し指をそっと押し当てていだ。
「絃もわかっているだろ? 俺はもう助からない。傷はともかく、今ので呪印の進行がさらに進んだからな」
微笑んでみせる天馬だが、額からは大量の汗が流れ落ち、呼吸も荒い。
「……いよいよ、俺は影鬼になるらしい。ちゃんと自害するから安心しろ。だが、それは絃を無事に逃がしてからだ」
不規則に脈打つ天馬の鼓動と連動するように、呪印が天馬の体を冒していく。
「災厄の日を迎えられないのは心残りだが、ここで絃を守って死ぬのなら本望だ」
天馬は腰の刀を引き抜くと、強力な雷の異能を纏わせ影鬼たちに斬りかかる。徐々に影鬼たちは天馬に集まり、絃の背後に道ができた。
「さあ、行け! 絃!」
天馬は力いっぱい声を張り上げる。ところが、絃は泣きじゃくったまま動こうとしない。
「いや……。いやです! 朝比奈様を置いてなんて行けません……!」
「なっ……。バカなことを言うな! いずれにせよ、俺はここで影鬼になる。助かりはしないんだ!」
「そうだったとしても、わたしたち……夫婦ではありませんか! 死ぬまでいっしょにいさせてください」
生きるか死ぬかの瀬戸際で、自分だけが助かる道よりも、偽りの夫と最期をともにする選択をした絃。その覚悟に、天馬は思わず目の奥が熱くなった。
影鬼をまとめて相手をして、絃を逃さねばならない状況だというのに、視界がぼやけておぼつかない。
――そのときだった。
天馬を囲むようにして襲いかかっていた影鬼たちが、一瞬にして跡形もなく消し飛んだ。
あまりの威力に砂煙が立ち込める中、神使のハヤブサが舞い降りてきて天馬の肩に留まった。
「奥さんの前でいいところ見せないとだめなのに、あんなのに苦戦するなんて隊長にしては珍しいじゃん」
そんな声が聞こえて顔を上げると、砂煙で霞んだ視界に人影が現れた。そこにいたのは、穂積率いる國防隊の面々だった。
天馬は仲間の応援を確認すると、刀を地面に突き刺して膝から崩れ落ちた。
「おいおい天馬、大丈夫か?」
「……くるなっ!」
心配して歩み寄ろうとする穂積に天馬が叫んだ。
「なんだよ。突然大きな声出されたら、びっくりするだろ――」
そう言いかけた穂積だったが、足を止めて呆然と立ち尽くす。それを見て、他の隊員たちも異変を感じ取ったようだ。
「……天馬、お前まさか……」
「ああ、そういうことだ」
天馬は隊員たちに堂々と背中を向けた。
破れた軍服越しに見える生々しい傷跡と呪印に、その場にいる全員が凍りついた。
「……てめぇ、なにやってんだよっ! 隊長ともあろうお前が、どうして!」
穂積は声を震わせ、奥歯を噛み締める。
「悪い。だが、そもそも俺は、お前たちをずっと欺いていた」
ぽつりと言葉を漏らすと、天馬は観念したように軍帽を取った。
「どういうことだ、天馬……」
「なにも、影鬼の傷はこれが初めてじゃない」
天馬はシャツの胸元を掴んでボタンを引きちぎると、左脇腹から侵食する呪印を見せつけた。
以前、絃が見たときよりも呪印が進行し、背中につけられた大きな傷からの侵食も含めて、天馬の上半身のほとんどは呪印に冒されていた。
「勝手なのはわかってる。だが、災厄の日までは死ねなかった。お前たちと共に戦いたかった。その日を過ぎれば、俺はいつ死んだってよかった。しかし……」
天馬は突然、頭を抱えてふらつきだす。次に顔を上げたときには、左半身が鬼のような姿に変化していた。
「そ……そんな。隊長が……」
「嘘だ……。これまでだって普通だったのに、今そんな話をされても信じられるわけ……」
みるみるうちに鬼化が進み苦しむ天馬を前にして、隊員たちは動揺を隠せずうろたえる。
そんな中、穂積だけが静かに刀を引き抜いた。
「穂積副隊長、一体なにを……」
「決まっているだろ。斬るんだよ、影鬼を」
穂積は刀を構えると、冷たく鋭い視線を天馬に向ける。それは、絃が知る気さくな穂積の顔ではなかった。
「なにを言ってるんですか、副隊長! 相手は朝比奈隊長ですよ!」
「そうですよ……! 隊長を斬るなんてこと――」
「いいから、黙れ!」
穂積の怒号に、隊員たちは体をビクッと反応させ萎縮する。
「お前たちだって、これまで影鬼になった者たちを斬ってきただろう。それとなにが違う?」
穂積は刀に異能をまとわせ、天馬に狙いを定める。
穂積の力を知っている絃は、ビリビリと肌に伝わる殺気に息を呑んだ。
「例外はない。相手が影鬼なら斬るまでだ。それがオレたち、國防隊の使命だろう」
その言葉をきっかけに正気に戻った隊員たちは、ひとりまたひとりと震える手で腰から刀を抜いていく。
それを見た絃は、窮地から救われた安堵感から一転して、新たな窮地に追いやられたことに気づく。
「あ……、朝比奈様……」
「これでいいんだ。俺が育てた國防隊は優秀だからな、絶対に逃げられない」
天馬はすべてを受け入れ、無抵抗で両手を上げる。
「さすが天馬、潔いな」
「自害よりも、穂積に斬られるほうが十分いいからな」
それを望んでいる天馬は、こんな状況だというのに頬を緩ませていた。
「絃は離れていろ。穂積なら手元が狂うようなことはないが、余波がくるかもしれないしな」
目にいっぱいの涙をためる絃に、天馬はかろうじて人間の温かみが残る右手で優しく頭をなでる。
これが最後の別れかと思ったら、絃の頬に涙が伝った。
「穂積、一瞬で頼む」
「わかってる。オレを誰だと思ってるんだ」
「ハハハ、そうだな」
まさにこの直後、殺し殺される者同士とは思えない普段と変わりない会話のやり取りに、隊員たちも声を殺して泣いていた。
「それじゃあ……。いくぞ、天馬」
「ああ。最後に世話をかけたな、すまない」
不意を突かれた天馬の言葉に、それまで冷静さを貫いていた穂積の瞳からも涙が溢れた。しかし、穂積の動きに迷いはなく、一瞬にして間合いを詰めると天馬に刀を振りかざす。
――その瞬間。
「やめてください……!!」
突然絃が飛び出し、庇うようにして天馬を抱きしめた。
絃に気づいた穂積は慌てて身を翻し、向けられた刀は天馬の頬をわずかに掠めるに留まった。
「絃さん、急になにを……!」
「穂積様、お願いですからおやめください! 朝比奈様は、まだ人としての自我をお持ちです!」
絃は穂積の前に立ち塞がって必死に訴えかける。
穂積は苦しそうに下唇を噛むも、表情を硬くする。
「……絃さん。お気持ちはわかりますが、天馬は遅かれ早かれ影鬼になります。手がつけられなくなってからでは遅いのです。そこをどいてください」
「嫌です……!」
絃は泣きじゃくりながら天馬を抱きしめる。
「絃、よせ。無駄な抵抗はするな」
天馬は引き離そうと絃の肩に手を添えると、その小さな体は小刻みに震えていた。
恐怖と悲しみに襲われながらも、天馬から離れまいと頑なに拒み続ける。
穂積はそんな健気な絃の姿に胸を痛めた。しかし心を鬼にし、忠告を繰り返す。
「絃さん……、これが最後です。これ以上、我々の任務の邪魔をするのであれば、巻き添えは覚悟していただきたい」
冷たく言い放つ穂積の言葉に天馬は目を見開く。
「……なっ。穂積、頼む……! 絃は関係ない!」
「天馬、オレだって本当はそんなことはしたくない。しかし、絃さんがそばから離れないというのなら、……仕方ないだろう」
穂積は唇を結ぶと、再び刀を構えた。
長年、穂積と共にしてきた天馬にはわかった。穂積が本気で斬りかかろうとしていることを。
「朝比奈様、構いません……! わたしでしたら、すでに覚悟はできています」
「……なにを馬鹿なことを。お前が死ぬようなことがあれば、俺は……」
天馬は思いが溢れて言葉に詰まった。
「悪く思わないでくれ、天馬!」
直後、ものすごい速さで刀を振るう穂積が接近した。しかし天馬はそれを察知すると、絃を抱きかかえ、穂積の刀を見切ってかわした。
「待て、天馬!」
そうして、穂積の呼ぶ声を背中に受けながら森の奥へと逃げていったのだった。
「朝比奈様、どちらへ……!?」
絃は驚いて目を開け、天馬の顔を見上げる。
「……わからない。だが、俺はともかく、あの場で絃が傷つく姿など想像するだけで耐えられなかった」
目を細め見つめてくる天馬に、絃は胸がぎゅっと締めつけられた。
左半身は鬼化していても、絃を想う気持ちは優しい天馬のままだというのに。
穂積たち國防隊の追手をまき、絃を抱えた天馬は川辺で足を止めた。そこで、崩れるようにして絃を下ろす。
「朝比奈様、大丈夫ですか!?」
「くっ……。どうやら、俺はここまでのようだ……」
膝をついて苦しむ天馬の体は、大部分を呪印に侵食されていた。熱があるのか体温が異常に高く、汗も止めどなく流れ落ちている。
「……ハァ、……ハァ。絃、俺から離れろ。さっきから意識が途切れ途切れで……、もういつ影鬼になるかもわからない」
「気をしっかりお持ちください……! わたし、ハンカチを水で濡らしてきますから、朝比奈様は横になって休んでいてください!」
そう言って、天馬から目を離した一瞬の出来事だった。
金属が静かに擦れる音がし、絃がすぐさま振り返ると、そこには鞘から引き抜いた刀を首元にあてがう天馬の姿があった。
「……体が血を欲している。自らの手で絃を傷つける前に、俺は逝く」
その言葉とは裏腹に、天馬は晴れやかな表情を見せると、刀を持つ手に力を込めた。
「朝比奈様……!!」
続きは、2026年4月28日発売の『呪血の花嫁』にてお読みください⋈˖°
天馬は左手で絃を抱き寄せると、右手で異能を繰り出す。
しかし、天馬が倒しても倒しても、地面から影鬼がわいてでてくる。
「どうしてこんなにたくさん……」
「さっきの死に際の叫び、おそらくあれで仲間を呼んだのだろう」
天馬は絃を庇いながら火球を飛ばし、影鬼に応戦する。
「だが、これじゃあ埒が明かない」
そう呟いた天馬は、右手の薬指を噛み切り、口寄せでハヤブサを呼び出した。
「この状況を穂積に伝えてくれ」
天馬の指示を受けたハヤブサは、すぐさま羽根を広げて木々の間を駆け抜けていった。
「隣の山で影鬼の討伐をしていたところだから、時期に穂積たちが応援にくる。それまでの辛抱だ」
迷いのない天馬の言葉はそれだけで心強く、絃はこくんと頷く。
「本当なら、雷蹄の攻撃一発で片付くはずなんだが……。ちょうど今、雷蹄を呼び出せるだけの余力が残っていなくてな」
「お体のほうは大丈夫なのですか……?」
「ああ。雷蹄を使えないだけで、これくらいの異能ならしばらくは問題ない」
一度にまとめて倒すことはできないが、天馬は異能を使い分けて確実に影鬼の数を減らしていく。
「それにしても、この辺りまで巡回していてよかった。まだこんなに多くの影鬼が潜んでいたとは予想外だったが、まさか絃がいるとは」
「……申し訳ございません。知っていたら、こんなところへなどこなかったというのに……」
「話は帰ってから聞く。それよりも、絶対に影鬼からの攻撃は負わないように――」
その瞬間、ふたりの足元から長く尖った爪が生えた手が伸びてきた。
「朝比奈様、危ない!」
いち早く気づいた絃が、思いきり天馬を突き飛ばす。それにより天馬を狙った影鬼の攻撃からは免れられたが、足元から新たに現れた影鬼の標的はその場で腰を抜かす絃へと変わった。
「逃げろ、絃!」
すぐにでも絃のもとへ駆けつけたい天馬だったが、別の影鬼との応戦で足止めを食らう。
「ピピー!」
動けない絃を庇うようにピーちゃんが現れ、果敢にも影鬼に突進する。
しかし、あっけなく弾き飛ばされて絃のそばに転がった。
「ピーちゃん、しっかりして……!」
絃はピーちゃんをすくい上げるが気を失っていて動かない。
「ギギギィ!!」
はっとして顔を上げると、目の前には絃に爪を振り下ろそうとする影鬼の姿があった。
「ピーちゃん、ごめん。わたしが名前を思い出せさえすれば……」
ピーちゃんを胸に抱きしめ、絃はぎゅっと目をつむった。
「絃っ!!」
そのとき天馬の叫ぶ声が聞こえ、強い衝撃を受けると同時に絃は地面を転がった。
「……大丈夫か、絃」
耳元で天馬の声が聞こえ、恐る恐るまぶたを開けると、絃を見下ろす優しげな表情の天馬と目が合った。
どうやら天馬が覆い被さって助けてくれたようだが、その刹那、天馬が力なく絃の上に倒れ込んできた。
「……朝比奈様!?」
絃が慌てて体を起こそうとすると、天馬はぐったりと地面に横たわる。
見ると、天馬の背中には大きな三本の引っ掻き傷があり、絃は思わず叫びそうになって手で口を覆った。
出血しているのはもちろんのこと、切り裂かれた軍服から見える傷口からは呪印が体を這うようにして伸びていたのだ。
幸い致命傷は免れたようで、天馬は手をついてなんとか起き上がると、そばにいた影鬼を一瞬で燃やす。
「あさ……、朝比奈さ……ま」
動揺を隠せない絃の声が震える。そんな絃に手を伸ばすと、天馬はそっと頭をなでた。
「俺が影鬼を引きつけるから、合図をしたら絃は逃げろ」
「そんなっ。朝比奈様は……」
「俺はここに残って時間稼ぎをする」
「どうして……! 逃げるならいっしょに――」
そう言いかけた絃の口元を、天馬が人差し指をそっと押し当てていだ。
「絃もわかっているだろ? 俺はもう助からない。傷はともかく、今ので呪印の進行がさらに進んだからな」
微笑んでみせる天馬だが、額からは大量の汗が流れ落ち、呼吸も荒い。
「……いよいよ、俺は影鬼になるらしい。ちゃんと自害するから安心しろ。だが、それは絃を無事に逃がしてからだ」
不規則に脈打つ天馬の鼓動と連動するように、呪印が天馬の体を冒していく。
「災厄の日を迎えられないのは心残りだが、ここで絃を守って死ぬのなら本望だ」
天馬は腰の刀を引き抜くと、強力な雷の異能を纏わせ影鬼たちに斬りかかる。徐々に影鬼たちは天馬に集まり、絃の背後に道ができた。
「さあ、行け! 絃!」
天馬は力いっぱい声を張り上げる。ところが、絃は泣きじゃくったまま動こうとしない。
「いや……。いやです! 朝比奈様を置いてなんて行けません……!」
「なっ……。バカなことを言うな! いずれにせよ、俺はここで影鬼になる。助かりはしないんだ!」
「そうだったとしても、わたしたち……夫婦ではありませんか! 死ぬまでいっしょにいさせてください」
生きるか死ぬかの瀬戸際で、自分だけが助かる道よりも、偽りの夫と最期をともにする選択をした絃。その覚悟に、天馬は思わず目の奥が熱くなった。
影鬼をまとめて相手をして、絃を逃さねばならない状況だというのに、視界がぼやけておぼつかない。
――そのときだった。
天馬を囲むようにして襲いかかっていた影鬼たちが、一瞬にして跡形もなく消し飛んだ。
あまりの威力に砂煙が立ち込める中、神使のハヤブサが舞い降りてきて天馬の肩に留まった。
「奥さんの前でいいところ見せないとだめなのに、あんなのに苦戦するなんて隊長にしては珍しいじゃん」
そんな声が聞こえて顔を上げると、砂煙で霞んだ視界に人影が現れた。そこにいたのは、穂積率いる國防隊の面々だった。
天馬は仲間の応援を確認すると、刀を地面に突き刺して膝から崩れ落ちた。
「おいおい天馬、大丈夫か?」
「……くるなっ!」
心配して歩み寄ろうとする穂積に天馬が叫んだ。
「なんだよ。突然大きな声出されたら、びっくりするだろ――」
そう言いかけた穂積だったが、足を止めて呆然と立ち尽くす。それを見て、他の隊員たちも異変を感じ取ったようだ。
「……天馬、お前まさか……」
「ああ、そういうことだ」
天馬は隊員たちに堂々と背中を向けた。
破れた軍服越しに見える生々しい傷跡と呪印に、その場にいる全員が凍りついた。
「……てめぇ、なにやってんだよっ! 隊長ともあろうお前が、どうして!」
穂積は声を震わせ、奥歯を噛み締める。
「悪い。だが、そもそも俺は、お前たちをずっと欺いていた」
ぽつりと言葉を漏らすと、天馬は観念したように軍帽を取った。
「どういうことだ、天馬……」
「なにも、影鬼の傷はこれが初めてじゃない」
天馬はシャツの胸元を掴んでボタンを引きちぎると、左脇腹から侵食する呪印を見せつけた。
以前、絃が見たときよりも呪印が進行し、背中につけられた大きな傷からの侵食も含めて、天馬の上半身のほとんどは呪印に冒されていた。
「勝手なのはわかってる。だが、災厄の日までは死ねなかった。お前たちと共に戦いたかった。その日を過ぎれば、俺はいつ死んだってよかった。しかし……」
天馬は突然、頭を抱えてふらつきだす。次に顔を上げたときには、左半身が鬼のような姿に変化していた。
「そ……そんな。隊長が……」
「嘘だ……。これまでだって普通だったのに、今そんな話をされても信じられるわけ……」
みるみるうちに鬼化が進み苦しむ天馬を前にして、隊員たちは動揺を隠せずうろたえる。
そんな中、穂積だけが静かに刀を引き抜いた。
「穂積副隊長、一体なにを……」
「決まっているだろ。斬るんだよ、影鬼を」
穂積は刀を構えると、冷たく鋭い視線を天馬に向ける。それは、絃が知る気さくな穂積の顔ではなかった。
「なにを言ってるんですか、副隊長! 相手は朝比奈隊長ですよ!」
「そうですよ……! 隊長を斬るなんてこと――」
「いいから、黙れ!」
穂積の怒号に、隊員たちは体をビクッと反応させ萎縮する。
「お前たちだって、これまで影鬼になった者たちを斬ってきただろう。それとなにが違う?」
穂積は刀に異能をまとわせ、天馬に狙いを定める。
穂積の力を知っている絃は、ビリビリと肌に伝わる殺気に息を呑んだ。
「例外はない。相手が影鬼なら斬るまでだ。それがオレたち、國防隊の使命だろう」
その言葉をきっかけに正気に戻った隊員たちは、ひとりまたひとりと震える手で腰から刀を抜いていく。
それを見た絃は、窮地から救われた安堵感から一転して、新たな窮地に追いやられたことに気づく。
「あ……、朝比奈様……」
「これでいいんだ。俺が育てた國防隊は優秀だからな、絶対に逃げられない」
天馬はすべてを受け入れ、無抵抗で両手を上げる。
「さすが天馬、潔いな」
「自害よりも、穂積に斬られるほうが十分いいからな」
それを望んでいる天馬は、こんな状況だというのに頬を緩ませていた。
「絃は離れていろ。穂積なら手元が狂うようなことはないが、余波がくるかもしれないしな」
目にいっぱいの涙をためる絃に、天馬はかろうじて人間の温かみが残る右手で優しく頭をなでる。
これが最後の別れかと思ったら、絃の頬に涙が伝った。
「穂積、一瞬で頼む」
「わかってる。オレを誰だと思ってるんだ」
「ハハハ、そうだな」
まさにこの直後、殺し殺される者同士とは思えない普段と変わりない会話のやり取りに、隊員たちも声を殺して泣いていた。
「それじゃあ……。いくぞ、天馬」
「ああ。最後に世話をかけたな、すまない」
不意を突かれた天馬の言葉に、それまで冷静さを貫いていた穂積の瞳からも涙が溢れた。しかし、穂積の動きに迷いはなく、一瞬にして間合いを詰めると天馬に刀を振りかざす。
――その瞬間。
「やめてください……!!」
突然絃が飛び出し、庇うようにして天馬を抱きしめた。
絃に気づいた穂積は慌てて身を翻し、向けられた刀は天馬の頬をわずかに掠めるに留まった。
「絃さん、急になにを……!」
「穂積様、お願いですからおやめください! 朝比奈様は、まだ人としての自我をお持ちです!」
絃は穂積の前に立ち塞がって必死に訴えかける。
穂積は苦しそうに下唇を噛むも、表情を硬くする。
「……絃さん。お気持ちはわかりますが、天馬は遅かれ早かれ影鬼になります。手がつけられなくなってからでは遅いのです。そこをどいてください」
「嫌です……!」
絃は泣きじゃくりながら天馬を抱きしめる。
「絃、よせ。無駄な抵抗はするな」
天馬は引き離そうと絃の肩に手を添えると、その小さな体は小刻みに震えていた。
恐怖と悲しみに襲われながらも、天馬から離れまいと頑なに拒み続ける。
穂積はそんな健気な絃の姿に胸を痛めた。しかし心を鬼にし、忠告を繰り返す。
「絃さん……、これが最後です。これ以上、我々の任務の邪魔をするのであれば、巻き添えは覚悟していただきたい」
冷たく言い放つ穂積の言葉に天馬は目を見開く。
「……なっ。穂積、頼む……! 絃は関係ない!」
「天馬、オレだって本当はそんなことはしたくない。しかし、絃さんがそばから離れないというのなら、……仕方ないだろう」
穂積は唇を結ぶと、再び刀を構えた。
長年、穂積と共にしてきた天馬にはわかった。穂積が本気で斬りかかろうとしていることを。
「朝比奈様、構いません……! わたしでしたら、すでに覚悟はできています」
「……なにを馬鹿なことを。お前が死ぬようなことがあれば、俺は……」
天馬は思いが溢れて言葉に詰まった。
「悪く思わないでくれ、天馬!」
直後、ものすごい速さで刀を振るう穂積が接近した。しかし天馬はそれを察知すると、絃を抱きかかえ、穂積の刀を見切ってかわした。
「待て、天馬!」
そうして、穂積の呼ぶ声を背中に受けながら森の奥へと逃げていったのだった。
「朝比奈様、どちらへ……!?」
絃は驚いて目を開け、天馬の顔を見上げる。
「……わからない。だが、俺はともかく、あの場で絃が傷つく姿など想像するだけで耐えられなかった」
目を細め見つめてくる天馬に、絃は胸がぎゅっと締めつけられた。
左半身は鬼化していても、絃を想う気持ちは優しい天馬のままだというのに。
穂積たち國防隊の追手をまき、絃を抱えた天馬は川辺で足を止めた。そこで、崩れるようにして絃を下ろす。
「朝比奈様、大丈夫ですか!?」
「くっ……。どうやら、俺はここまでのようだ……」
膝をついて苦しむ天馬の体は、大部分を呪印に侵食されていた。熱があるのか体温が異常に高く、汗も止めどなく流れ落ちている。
「……ハァ、……ハァ。絃、俺から離れろ。さっきから意識が途切れ途切れで……、もういつ影鬼になるかもわからない」
「気をしっかりお持ちください……! わたし、ハンカチを水で濡らしてきますから、朝比奈様は横になって休んでいてください!」
そう言って、天馬から目を離した一瞬の出来事だった。
金属が静かに擦れる音がし、絃がすぐさま振り返ると、そこには鞘から引き抜いた刀を首元にあてがう天馬の姿があった。
「……体が血を欲している。自らの手で絃を傷つける前に、俺は逝く」
その言葉とは裏腹に、天馬は晴れやかな表情を見せると、刀を持つ手に力を込めた。
「朝比奈様……!!」
続きは、2026年4月28日発売の『呪血の花嫁』にてお読みください⋈˖°



