神託ノ恋 ─神ノ巫女と禁忌ノ半神─

信託ノ書を読み解いてから、いく日かが過ぎた。

その日の夕刻、神社の鳥居をくぐって、一人の老婆が駆け込んできた。
 
「万桜様、どうか……どうかお助けください!」

息も絶え絶えで、言葉を紡ぐたびに涙が零れる。
 
「落ち着いてください。いったい何があったのですか?」

「息子が……川で溺れて……息をしていないのです!」

老婆はその場に崩れ落ち、肩を震わせた。
 
その言葉を聞いた瞬間、万桜の脳裏に浮かんだのは、椿の顔だった。

――椿なら、助けられるかもしれない。

「椿を呼んできます。ここでお待ちください」

境内を駆け抜ける風のように、万桜は社を飛び出した。

呼び出された椿は、短く頷いた。
 
「……分かった。すぐに行く」

川辺にたどり着いたとき、少年の身体は冷たく、ほとんど息をしていなかった。

流れのそばで膝をつき、椿は静かに両手をかざす。

その瞬間、風が止み、世界が白い光に包まれた。

一瞬の閃光。
 
光が引いたあと、少年の胸が小さく上下する。
 
そして、かすかに目を開けた。

「……あれ?俺、なんで……」

「拓也……! 拓也っ!」

母の叫びが、川辺に響き渡る。
 
老婆は息子を抱きしめ、嗚咽を漏らした。
 
その姿を見つめながら、椿はゆっくりと立ち上がる。

「ねぇ、椿……あなた、どうやって……」

万桜がそっとその手に触れた瞬間、冷たい感触が指先を走った。
 
椿の手は、まるで冬の川のように冷たかった。

「これが、運命を変える力だよ」

椿はそう呟くと、少しだけ笑みを浮かべた。
 
だがその笑顔はどこか遠く、淡く消え入りそうだった。

「椿……?」

彼は俯いて視線を落とした。
 
雨雲の切れ間から、わずかに光が差し込む。

その光の中で、椿の髪がひと筋、雪のように白く色を失っていく。


──その日を境に、「奇跡ノ力」の噂は国中に広がっていった。
 
しかし、万桜は冬に向けて散る花のように、喪失の予感がしていた。