昔々あるところに、美しく心優しい王妃様がいました。
その美しさと心根に、民は心から彼女を慕っていました。
しかし──なんということでしょう。
王妃様は、魔王を倒す希望たる勇者の王子を産んですぐに、儚く亡くなってしまわれたのです。
民は深い悲しみに包まれましたが、三月も経たないうちに王様は次の王妃をお迎えになりました。
さらには、ひと月も経たないうちに第二王子を産み落としたのです。
おや、計算が合いませんね?
……なんて、誰も言えませんでした。王妃様が恐ろしくて。
そして恐ろしい王妃様は、前の王妃様が産んだ可愛らしい姫君──もとい勇者王子が目障りとばかりに、あれやこれやの手段で命を狙うようになったのでした。
──とまあ、おとぎ話風に語るならば、こんな風な経緯だ。
ちなみにアルトルトの生母である前王妃の名はヴェリデという。
「前王妃様の頃はよかった……」と語られるように、心優しく慈善事業にも熱心であった。
対して現王妃の名はザビア。
彼女が王宮にやってきて真っ先にやったことは、すべての慈善活動の停止。
浮いた金を自分の身を孔雀のように着飾ることに回している。
そして──アルトルトを、殺したいほど疎んでいる。
ゼバスティアは懐から銀の懐中時計を取り出した。
魔王である彼が時刻を確認する必要などない。
毎日、アルトルトを一分一秒違わず朝七時きっかりに起こすことでも、それは明らかだ。
パチンと蓋を開ける。
蓋の内側の鏡に映ったのは、ザビアの姿だった。
ゴテゴテとした黄金の装飾も趣味が悪い鏡台を背景に、寝椅子にだらしなく横たわり、足を投げ出してメイドに爪の手入れをさせている。
「なに? まだあの子供、死なないの?
遅効性とはいえ、毎日毎日毒を盛っているっていうのに、しぶといわね」
──まったく。
自分の子ではないとはいえ、三歳の愛らしい幼児の死を望むとは、この女の性根は心から腐っているな……。
ゼバスティアは時計の蓋をパチンと閉じた。
残念ながら、彼女が毎日毎日毒を盛っている食事は、ゼバスティアの魔法によって消し炭となって消滅している。
だいたい、毒を盛るならもっと美味そうな料理にしろ。
冷めたオートミールに固いパン、スープに毒を入れるなど──お前の白粉を塗りたくったその歪んだ顔と同じ、性格の悪さが滲み出ているぞ。
あのような女など、毒入り料理と同じく、指パッチン一つで消し炭にしてしまってもいいのだが……ゼバスティアにはそう出来ない理由があった。
それは──とある魔女との契約である。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
当初、王妃ザビアはもっと直接的な方法でアルトルトを殺そうとしていた。
すなわち、魔王であるゼバスティアに始末させようとしたのだ。
勇者が魔王に倒されれば世界の終わりだぞ!?
なにを考えているんだ、あの女は。自分のことしか考えていないな。
まったく、魔王のような奴だ。いや、魔王は自分だが。
さらに言うなら、ゼバスティアはもう何度も勇者の挑戦を受け、これを退けてきた。
かれこれ千年近くになるだろうか? たしかアルトルトが一〇八番目か? キリがいい。
……なに? ちっともキリがよくない数字だと!?
この大魔王ゼバスティアが決めたから、キリがいいのだ。
おそらく一〇八番目を最後に、勇者は増えないだろう。
なに? 勇者が増えないのなら、大魔王であるお前が倒されるのか? ──バカモン!
我は最強にして最凶の大魔王ぞ! 倒されん!
我とアルトルトは永遠に魔王城で幸せに暮らすのだ。
そうだ、あれが二十歳になったお誕生日会……じゃない、自分との対決のときに跪いて求婚しよう。そうしよう。
そのためにも今から、二人の結婚式を挙げる聖堂を用意しなければ。
……今は──ん十年後のゼバスティアとアルトルトのリンゴーンの夢想をしている場合ではない!
ともかく悪い王妃ザビアは、毒殺なんてまどろっこしい手を使わずにアルトルトを殺そうとした。
三歳の勇者に向かい、「すでに魔王討伐の時は満ちた」と無茶苦茶を言い、オモチャの剣を持たせたうえで魔王城の前に放り出したのだ。
金で雇った闇の魔術師が操る飛竜に、アルトルトの首根っこをくわえさせてポイッと。
ところが、そのアルトルトが王宮の自分の部屋に直接戻ってきてしまった。
「魔王とはまた来年、対決すると約束した」
と、けろりと言って。
ザビアは「この目障りな王子が一年も生きているなんて!」と癇癪を起こし、命じたのだ。
ならば食事に毒を混ぜろ──と。
可愛いアルトルトがどうなったか心配……もとい、宿命の相手たる勇者の様子を探るため、水鏡で見ていたゼバスティアは、居ても立ってもいられず立ち上がった。
すぐさま魔王城から王宮へ転移しようとして──気がつく。
頭に銀の角を生やした「いかにも魔王」が乗り込んだら、まずいんじゃないか?
いや、絶対にマズイ。
なにより、アルトルトが。
「魔王め! 約束を破るとは! ちぇいばいしてくれる!」
なんて、爪楊枝……じゃない、あの刃を潰したレイピアでつんつんされたら、また──
「ぐはっ! やられた!」
と、わざとらしく……いや、迫真の演技で魔王は倒れねばならぬではないか!
さらに、あの可愛らしい勇者が「ふんすっ!」と鼻を鳴らして背を向けたところで、
「ふはははは!」
と高笑いをしながら死んだふりから復活する。
そこで勇者が「しちゅこい、やちゅめっ!」と爪楊枝──もといレイピアを構え……
永遠に終わらない。
ならば魔王ではなく、人間を装っていくしかない。
しかし問題が一つあった。
──この美貌だ。
そう、魔王ゼバスティアは何に化けても美形になってしまう。
たとえ婆さんだろうが爺さんだろうが、鴉だろうが犬だろうが猫だろうが、輝かしい芸術品のような姿になってしまうのだ。
これはマズイ。悪目立ちすることこの上ない。
それでもなんとかならないか? と姿見の前で、瞬時に百回ほど、普通の村人、子供、老人、犬、猫、馬、はては子供が大好きカブトムシにまで化けてみたが、ダメだった。
カブトムシでも、そのツノの形といい、黒光りする艶といい、完璧に美しかった。
これでは、カブトムシになった自分に恋する者まで出てきてしまうだろう。
カブトムシを永遠の恋人と頬ずりする変態には出会いたくない。
──アルトルトなら許すし、ありだし、一生彼の飼育カゴの中にいるけど。
