「魔界は力がすべて。それは正しい。だからこそ、最強の我の言葉にみな従うのよ。
身体に優れた鬼族は我が魔軍の精鋭となり、魔術師や魔女は魔法の研究に、医学や薬草学の向上。ドワーフたちは採掘に、精巧な工具や美しい細工作りに精を出している」
争いばかりで荒れた土地や建物は、ゼバスティアの指揮のもと、みるみる復興したのは言うまでもない。
「あの食欲ばかりと思えるオークにも、だからこその食への探求と無尽蔵の体力こそが取り柄よ。
奴らは大地を耕し作物を育て、家畜を丸々と太らせる。食堂やパン屋、菓子屋の主人の大半はオークよ。
我が魔王城の料理長もな」
まあ、その料理長はこの頃「魔王様のほうがおでの料理より……」と、馬鹿デカい調理場の隅で膝を抱えていることが多いが。
それはともかく。
「力とはなにも争いに使うためだけのものではない。
それぞれの場所で発揮できる才のことよ。それを見極めて導くことが王の役目」
ふんふん、我が王国すごいだろう!とこちらを見上げる勇者に、魔王は胸をますます張る。
張りすぎてのけぞって、尖った形のよい顎が、天井からつり下がった赤い血の色のシャンデリアに向いていたりしたが。
魔王様の頭の中には、この王国に惚れ込んで大きくなって嫁いだ(?)勇者との結婚式。
リンゴーンと響く大聖堂の鐘が鳴り響いていた。
──魔界に大聖堂って、どんな神様が祝福するんですか?
なんてツッコミは、祝福の花びらが妄想に舞い散る魔王には届かない。
「……そうか、魔界は平和なのだな。
それならば、人の国にも攻め入る必要がないほど、豊かなのか?」
「そうだ。人界になどにはこれっぽっちも興味などないわ!」
わははとゼバスティアは笑い、ますますのけぞった。
もたれ掛かった椅子がひっくり返りそうだが、そこは魔王様。絶妙な体勢で持ちこたえている。
「それでは人間と魔族が、戦う必要は無いのではないか?
勇者が魔王を倒す必要も……」
「ある! それはあるぞ!」
のけぞっていた椅子をガタンと音が鳴るほど直して、ゼバスティアは叫んだ。
椅子を鳴らすなど魔王としてまったく華麗でもなんでもなかったが、今は緊急事態だ。
勇者が魔王を倒しに来なくなるなど──お誕生日会が開けなくなるではないか!
記念すべき第一回でそれっきりなど!
これから百周年! いや、千周年だって目指したいのに!
「我は極悪非道の魔王。
たとえ塵芥の人界といえど、すべてを手にしなければ気が済まぬ!
我は人界を狙っておるぞ! すべては我のものだ!」
──とくに勇者!
お前のぷくぷくのほっぺも、口に含むと甘そうな蜂蜜色の金の髪も、青空の瞳もすべて、すべて我のものよ!
と、大ヘンタイ……もとい、大魔王ゼバスティアは叫んだ。
「……そうだった。お前は極悪非道の大魔王。
世界のすべてを手にしないと気が済まないというのなら、僕は人々を守る勇者だ。絶対にお前を倒す!」
「ふん! それはまた来年な。
来年のお誕生日パーティ……ではない、今度こそお前のその小さな身体を切り刻み、人界を絶望の淵にたたき込んでやる!」
青空の瞳でキッと睨みつけられて、ゼバスティアは満足してうなずいた。
そうだ、それでよい。また来年も楽しい楽しいお誕生日会にしなければ。
「……それに僕は王子として、グリファニアの民を守らねばならない」
そうつぶやいたアルトルトの、四歳らしくない寂しげな横顔に、ゼバスティアの形の良い細い眉がくい……と上がる。
「国のためだと大人達がお前に教えたのか?
我の爪先ひとつで弾かれそうな小さき勇者一人の肩に、国の命運を押しつける勝手な大人達の戯言など気にするな。
お前は好きにすればよい」
これはこの一年、執事ゼバスとしてこの小さな勇者の傍らにいたゼバスティアの本音だった。
あの継母の王妃はともかく、父王も彼女の言いなり。
他の家臣たちも、彼女とその一族の権勢に追従するばかりだ。
そんな王国など、魔王として本気になれば一夜で滅ぼしてしまえる。
が、そうしないのは──人界の法にて継母の王妃を裁けという、北の魔女との約束があるからだ。
「お祖母様は嘆かれていた。恐ろしい魔王討伐などに、僕を行かせたくないと」
「…………」
父王の実母である王太后は、アルトルトの三歳になる直前に亡くなっている。
アルトルトは最大の保護者である祖母を失い、そこからあの継母王妃ザビアが露骨に彼の命を狙うようになった。
「僕はお祖母様に約束したのだ。
お祖母様、泣かないでください。
この勇者アルトルトが魔王を倒し、王国も民も守りますと」
再びキリリとこちらを見る青空の瞳に、ゼバスティアは子供らしい真っ直ぐさだと思う。
真っ直ぐであるが、愚かな蛮勇だ。
その腰にある小さな剣では、まだまだ魔王である自分を倒すことは出来ない。
それでも、この小さな勇者が成長したならば、今度こそ千年倒せなかった魔王も倒れるかもしれない。
それだけの光がアルトルトの中にはあった。
その人の希望たる勇者を、たかが王位という目先の欲だけで殺そうとしている大人達の愚かさよ。
──いや、もっと愚かなのは。
将来自分を倒すかもしれぬ小さな光の芽を摘み取らず、こうして育てている我自身か。
ゼバスティアの胸には、また、今まで感じたことのないモヤモヤが広がる。
千年生きて、感じたことのない感覚だ。痛い? 苦しい? 我は魔王だぞ。
この千年、傷ひとつ負ったことなどない。
さっき、この小さな勇者の小さな剣でぷすりと額に穴を開けられた?
いや、あれは演技だったし、傷ではない。傷では。すぐに塞いだし。
それに魔王である自分とこの勇者は、聖堂でリンゴーンするのだ。
魔王である自分は倒されず、勇者の王国だってもちろん安泰だ。
すべて、めでたしめでたしではないか!
と、ゼバスティアは胸のモヤモヤなど瞬時に忘れて、今度は頭の中の勇者とのあははうふふのお花畑に飛翔した。
