杉名の運転する車は、彼のマンションらしき場所へ到着した。瑠璃のアパートの部屋よりも広いが、うっすらと記憶にある琥珀の部屋ほどではない。杉名は部屋に瑠璃を連れ込むなり耳の後ろに顔を近づけ、すんと鼻を鳴らす。

「お前さ、甘い匂いさして発情期来てんじゃね? オレのこと誘ってんの? 優秀なアルファ様だもんなァ」
「そんなこと……」

 そんなことない。そう言い切りたいのに、身体には確かに変化が訪れていた。
 皮膚の感覚が敏感になり、ぞわぞわと落ち着かない心地がする。さっきまで肌寒かったはずなのに、体温が上がって暑いと感じる。

 本来なら発情期はまだまだ先だ。でも、ストレスやさまざまな要因によって周期が変わることは多々あるという。瑠璃は今、これ以上ないストレスを感じている。だからといってこんなときに発情期が来たら終わりだ。
 杉名によって番にされてしまえば、瑠璃の人生は終わる。発情期のたびにこの男を求めずにはいられない身体にされてしまったら、生きている意味などあるのだろうか?

「身体洗っとけよ。本格的にヒートになったら、お前の方から求めるんだ。――分かってるよな?」
「……はい」

 バスルームに押し込まれ、瑠璃はうずくまる。頭痛と吐き気でひどく体調が悪かった。自分の家にいれば迷いなく横になって眠っていたはずだ。
 このまま意識を失えないだろうか。しかし無視できない発情期の兆候がある。本当に発情期が来てしまえば、瑠璃が寝ていようがいまいが杉名によって番にされてしまうだろう。

 そうなったら終わりだ。死にたいほど絶望するのが容易に想像つく。もう、その前に死んでしまう? カミソリくらいあるだろう。瑠璃は虚ろな目でバスルームを見渡した。
 
 いや、だめだ。会社のことがある。あいつが満足してから瑠璃が姿を消せば……会社だけはどうにかなるだろうか。わからない。わからない。

(琥珀……)

 どうしてあのとき番にしてくれなかったんだろう。発情期中ずっと一緒にいたんだから、番にしてしまえばよかったのだ。そうすれば今、こんな恐怖は感じなかった。

(そんなこと、するわけないよな……)

 もし番にされていたら、やっぱり瑠璃は怒り、絶望していただろう。琥珀だってこんな身勝手な男、番にしたいと思うわけない。思わなかったから肌を重ねだだけで終わったのだ。

 考えても仕方のないことばかりがぐるぐると浮かんでは消える。心が闇の底に沈み、もう進む道は自己を殺すことしかないと思えた。抵抗したって道は残されていないのだ。

 ノロノロと服を脱ぎだす。なぜなら、身体を洗えと言われたから。

 ――バンッ! とバスルームのドアが開く。

「遅い!! シャワーの音がしねぇと思ったら、まだそんなとこにいるのか。ここまできて抵抗か? お前馬鹿なの?」

 上半身裸になった瑠璃の腕を杉名が掴む。壁を向くように身体を押さえつけられ、スラックスの上から尻を掴まれる。

「ひ……」
「まずは思い知らせてやらないと駄目みたいだな? お前がアルファに屈服するオメガだということを」

 スラックスを下着ごとおろされ下半身が露出する。急所が空気にさらされ、瑠璃は大きく震えた。背後でカチャカチャとベルトを外す音が聞こえる。
 ついにヤられるのか、と他人事のように思う。尻を割り開かれ、「チッ」と舌打ちされた。

「さっさとヒートになれよ。濡れねぇのが男はめんどくせぇな。――おい、自分でアナル開いて見せろ。震えてんのか? 相手にされて嬉しいくせに」

 いくら発情期が来そうになっていても怖いものは怖いし、興奮などできるはずもない。とはいえ瑠璃も本格的なヒートに入ってしまえばそこを濡らし、はしたなく求めてしまうのだろうか。アルファなら誰でもいいのだろうか。

「ぃゃ……」
「あ゙ぁ? 勝手に座るな! 立て!」

 瑠璃は壁に縋り付いたままうずくまってしまった。誰でもいいなんてぜったいに思えない。ヒートになるのが怖い。
 杉名は立とうとしない瑠璃の腰を引き、四つん這いにしてしまう。パンッと容赦なく尻を平手で叩かれ、目尻からこらえきれなかった涙がこぼれた。

 瑠璃が一向に動こうとしないため、杉名が瑠璃の尻を高く上げる。尻にあてがわれたものは硬くなっている。いったいどこに興奮しているのか、背後にいる人間が理解できなくて恐い。

 無理にでも突っ込むつもりなのだろう。「いくぞ」と声を掛けられ、我慢の限界を超えた。悲鳴のような声が出た。

「っいや! こはくぅ!!!」

 室内なのに、土足で走る足音が聞こえた気がした。瑠璃が身を捩ると、腰から手が離れる感触がある。
 
 その瞬間――何かが何かにぶつかる、大きな物音が聞こえた。

「うがぁっ! ……ぎ、ギブ……」

 振り返ると、すごい形相をした琥珀が杉名の首を背後から締めている。柔道の締め技でそんなのを見たことがあった。
 杉名はバンバン琥珀の腕を叩くが、琥珀は力を緩めない。そう待つことなく、杉名はカクンと首を落とし気を失ってしまった。

「……反則じゃん」

 瑠璃は唖然と呟く。状況に理解は追いつかなかったが、自分が助かったらしいことは分かった。ドッと安心して、力が抜けて、気が遠のいた。

 目の前の光景が傾いでゆき、酔いそうで目を閉じる。現実と夢の狭間で琥珀の優しい香りを感じて、自分にはこの人しかいない、と心のどこかで思った。