噂の恋

俺の家族は昔は仲が良かった。
 『悠はすごいわ!貴方は私たちの自慢よ』
 そう言って笑ってくれる両親の笑顔が大好きだった。そんな家族が崩壊したのは俺が小学校に上がってすぐの頃だった。
「ふざけないで!何考えてんの?」
「文句言うなよ!誰のせいだと思ってるんだ!」
 父親の浮気が原因だったらしい。家に帰るとずっと両親の言い合いの声が聞こえるのがしんどかった。でも幼かった俺はまた昔みたいに戻れると信じて疑わなかった。だから何もかも全部頑張った、勉強も運動も全部。なのに...
「母さん見て!今日のテストでまた百点とったよ!」
「....さい」
「え?」
「いちいちうるさいのよ!なんで私があんたの面倒なんか見なきゃならないの!あんたさえいなければ私はとっくに幸せになれたのに...!」
 この言葉で俺の心は折れた。あぁ、もう昔みたいには戻れないんだ。俺を自慢だと言ってくれたのも嘘だったんだと、そう現実を突きつけられた。
 その日から母親からの暴力暴言に耐える毎日だった。俺は自慢の子供ではなくストレス発散のおもちゃでしかなかった。

 

「あ、桐谷くんだ!」
「やば...!今日もかっこよすぎ!」
「毎日ビジュ良すぎるよね!あんな人と付き合えたら自慢できるよね!」
「分かる〜」
小中共にありがたい事に女子にはたくさん好かれていた。でも全員が俺の顔しか見てない。だから自分の見た目もコンプレックスだった。
「桐谷のやつ、最近調子に乗ってね?」
「分かる。あんな顔だけのやつが女子にモテてんの意味わかんねぇ」
「ほんと。顔だけでなんでも手に入るやつは苦労なんてしてねぇんだろうな」
男子には訳も分からず(ねた)まれてるし。苦労してないわけないだろ。生きているだけ日々しんどさだけが俺を(むしば)んでいた。
 家にも学校にも居場所がない。俺が何を頑張ってもちゃんと見てくれる人も必要だと思ってくれる人もいない。
「俺なんで生きてんだろ?」
 マンションの屋上の端で風に当たりながらそんな事を考えていた時、急な大声が響いた。
「わー!」
「え、何?」
状況を理解する前に俺は大声をあげたであろうやつに腕を引っ張られて尻もちをついていた。
「何してんの!あんな所にいたら危ないじゃん!」
 その時目の前にいたのが凪だった。
「は?俺がどこで何しててもお前には関係ないだろ。てか、誰?」
「関係なくないし、危ないものは危ないよ!放っておけない!なんで命を粗末にするようなことするの?もっと大事にしなきゃ!これから楽しいこときっとあるよ!」
こいつはきっと周りの人間から信用されて愛されてきたんだろうな。俺とは住む世界が違う。だからこんな事言えるんだ。
「うざ。赤の他人が分かったような口聞いてんじゃねぇよ!」
 そう言って俺は屋上を後にした。初対面のくせにお節介で正論をぶつけてくるあいつにイライラした。
 凪の第一印象はめんどくさい奴。もう一生関わりたくない。そう思うほどに最初は嫌っていた。
 これが凪との出会いだった。




「今日は転校生を紹介するわね。入って」
「は?」
 先生の声で教室に入ってきた奴を見て目を疑った。
「砂山凪です!よろしくお願いします!」
 あの日もう会うことも関わることもないと思っていた奴だったからだ。びっくりしすぎて目を離せずにいるとあいつと目が合った。
「あ!昨日の人だ!」
 (話しかけてくるな)
そう思ったがもう手遅れだったみたいだ。
「あら?桐谷くん、砂山くんと知り合いなの?じゃあちょうどいいわ!桐谷くん、砂山くんに学校の事いろいろ教えてあげてね!砂山くんの席は桐谷くんの隣だから」
「はい。桐谷くん?よろしくね!」
 ちょうど良くない。なんで俺がそんなこと...。文句が止まらない俺をよそ目に凪は爽やかな笑顔を向けて挨拶してきた。
 

 頼まれたものは仕方ない。凪が学校に慣れるまでの間案内係をする事になった。こいつも学校に慣れたら俺から離れるだろう。まぁ俺といてもいい事ねぇしな。そう思っていたのに...
「桐谷くん!移動教室一緒に行こう!」
「桐谷くん!何読んでるの?面白い?」
「桐谷くん!一緒に帰ろう!」
「桐谷く...」
「お前なんなの!」
 凪が転校してきて5ヶ月くらいが経過した。さすがにもう学校に慣れただろ?なのになぜだか毎日のように俺に(かま)ってくる凪にまたもイライラして我慢出来ず怒鳴ってしまった。
「なんで俺に構うんだよ?他に友達いんだろ。学校にも慣れただろ」
「うん、そうだね」
「じゃあなんで」
「えっと...桐谷くんと仲良くなりたいから、なんだけど」
 俺と友達...?こいつは正気か?
「俺はお前と仲良くなりたいなんて思ってない。他に友達いんならそっち行けよ。もうこれ以上俺に関わるな。話しかけんな。俺は...一人がいいんだよ」
 凪は転校してきたばかりだから知らないだろうけど俺と関わるとそいつも周りから目の敵にされる。だから俺は一人でいた方がいい。そうすれば俺のせいで誰かが傷つく事もない。それに俺は一人でいる方が楽だ。そういつも自分に言い聞かせていた。
 (少し言いすぎたか...?いや、でもこれくらい言えばあいつも俺を()けるだろう。これでいいんだ)
 なぜか胸がチクリと痛んだ。

「おはよう桐谷くん」
「...おう」
 その日以来凪とは朝、挨拶するだけの関係になった。これでまた静かに過ごせる。
そんな俺の気持ちが変わったのはそれから数日後の出来事だった。




 (やべ。宿題のノート忘れた。仕方ない取りに戻るか)
 部活後の重い腰を上げて教室に戻った。

 (教室電気ついてる。誰かいるのか?)
もう下校時刻だから誰もいないと思っていた。教室に近づくと中から話声が聞こえてきた。
「砂山ってさ桐谷と仲良いよな」
「う〜ん。別に仲は良くないかな?僕嫌われてるみたいだし」
 凪とその友達か?話の内容は俺みたいだけど、聞いちゃまずいか?そう思っても宿題を取らないで帰る訳にもいかず悩んでいるとまだ話が続いていた。
「あんまあいつに近づかない方がいいぜ。ろくな事がねぇから」
「ろくな事?」
「そっか、砂山は転校してきたばっかで知らないのか。あいつああ見えて結構ヤバいやつなんだよ。たくさんの女と関係持って使えなくなったら捨てて取っかえ引っ変えにしてるとか、暴力沙汰で誰彼構わず殴ってるとか、先生に()び売って点数を上乗せしてもらってるとか、そんな噂が絶えない。あいつが良いのは顔だけ。俺もあいつに彼女取られてムカつくんだよな〜」
 それは根も葉もない噂だ。めんどくさくて知らないフリをしていたらどんどん噂があらぬ方向にでかくなった結果だ。まぁ、もうどうでも良いけど。どうせあいつも信じるんだろうな。
「それってただの噂でしょ。僕は確かに転校してきて間もないけど桐谷くんはそんな事しないって事だけは分かるよ」
 予想外の言葉に耳を疑った。
「桐谷くんは確かにモテるよね。だって桐谷くんは誠実な人だもん。よく告白現場に居合わせることあるけど毎回『好きじゃない奴とは付き合えない』って断ってるし、お試しでって言われても『思わせぶりな事したくないし期待も持たせたくないからそういうのは無理』って。そんな人が女の人取っかえ引っかえとか傷つけるような事絶対しない」
 そんな所まで見られてたのか。なんでそんな事まで覚えてんだよ...。
「それに先生に媚び売らなくても桐谷くんは点数取れると思うよ。だって休み時間もずっと勉強してるし、範囲外も予習してるし、そんな人が高得点取れるのは当然だよ。全部桐谷くんが努力してる証拠だよ!そんな根も葉もない噂を信じてる人より桐谷くんを好きになるなんて彼女さんは見る目あるね」
「は?お前、俺らよりあいつを選ぶわけ?あいつは一人が良いんだよ。お前だってどうせ酷くあしらわれてるんだろ?あんな奴放っておけよ」
「一人が良いなんて思ってる人はあんな寂しそうな顔しない。僕は誰に何を言われても桐谷くんと仲良くなる事諦めるつもりないよ!今は嫌われててもいつかは絶対心開いてもらうんだから!話はそれだけ?じゃあ僕先帰るね。あ、その事本人の前で言ったりこれ以上言いふらさないでね。桐谷くんの事、傷つけるのは許さないから」
 あいつが教室を出る前に早足で逃げてきた。
 凪はずっと俺の全部を見て認めてくれてたんだ。あんな事言われたのは初めてで、でもずっと誰かに気づいて欲しいと思ってた事だ。涙が出そうになる気持ちをグッと(こら)えながら校門を背にボーッとしていると「桐谷くん?」と名前を呼ばれた。
「何してるの?もしかして誰か待ってる?」
「....お前の事待ってた」
「え?」
「一緒に帰ろ」
「....!うん!」
 そうキラキラした目で笑顔で俺を見てくる凪をすごく愛おしいと思った。

 俺をちゃんと見てくれる人はいる。そう思えるだけ嬉しかった。でも凪が俺を認めてくれても何かが変わる訳ではなかった。どうせ家に帰れば...。
「桐谷くん?」
「え、なに?」
「勘違いだったらごめんなんだけどもしかして家帰りたくない?」
「え...?な、なんで?」
「いや、学校にいる時も浮かない顔してるけど今は今にも死にそうみたいな顔してるから学校より家にいる方が辛いのかなって」
「...お前ちょっと怖いんだけど」
「え!なんで!」
「なんで俺の思ってる事全部分かんの?」
「だって顔に書いてあるもん」
「なんて?」
「俺、今、辛いって」
「ふっ。なんだそれ」
「あ、初めて笑ったとこ見たかも!僕そっちの方が好きだな〜」
「意味わかんねぇし...」
「あ、照れてる?」
「照れてない」
「え〜!」
察しがいいのかなんなのか本当に俺の事よく見てるんだな。でも凪なら俺の事情を分かってくれるかも知れない。受け止めて貰えるかも。そう思ったら全部吐き出していた、今まで怖くて誰にも話せなかった事全部。
「なるほどね。じゃあさ今日ウチ来る?」
「は?」
「うんそうしよ!それがいい!」
「いや、ちょっと待てって...」
 俺が返事をする間もなく凪に手を引かれる。
「という事で今日ウチに泊めることにしたから!良いよね?」
「あら凪の友達?もちろん大歓迎よ!布団用意しておくわね」
「え、えっと」
 答える暇もなく気づけば泊まることまで決まってしまった。急に来たのに迷惑とか思わねぇのかな?



 その日は凪の家族と共に過ごした。凪の家族は皆良い人で一緒にいるのは楽しかった。だけど昔の自分の家族の事を思い出して苦しくもあって。俺はきっと家族とこうなりたかったんだろうな。でもそんな事を考えてる暇なんて俺にはなかったみたいだ。
「桐谷くん、今からお母さんが迎えに来るって」
「え...」

「すみませんうちの息子が!こんなとこで何してんの?早く帰るわよ」
 客人用の作った声で凪の母親に話した後、いつもの低い声に戻って俺を睨みつけてくる母さん。やっぱりそう上手くはいかないか。これ以上凪たちに迷惑をかけたくなくて帰ろうとした時、手を握られた。
「きりや...じゃなかった。悠くんは今日は僕とお泊まり会なのでお帰りください。僕はこのまま悠くんを返したくない」
「は?そんな事聞いてないし。ほら帰るわよ」
「ダメです。悠くんを傷つけるような人の元に彼を返す訳にはいきません。彼が今までどれだけ苦しみに耐えてきたか分かりますか?」
「なんなのあんた?部外者のくせに分かったような口聞かないで!息子の事は親である私が一番分かってるの!まるで私が傷つけてるみたいな言い方して、冗談じゃないわ!これ以上口答えするなら警察に通報するから」
「待てよ」
 凪と母さんの言い合いを黙って聞いていたらつい声を出していた。これ以上黙ってると凪にも被害が及びそうで黙って聞いてる訳にはいかなかった。
「なんで迎えに来たの?母さんは俺の事いらないって、お前さえいなければってそう言ってただろ?じゃあ迎えになんてくるなよ!もう散々なんだよ...。俺なんか捨てて幸せになればいいだろ!」
 今まで言う事が出来なかった母親への想いが溢れてくる。
「あんた...ここまで誰が育ててあげたと思ってるの!恩を仇で返すなんて何考えてんのよ!あんたは誰からも必要とされてないくせに!」
 そんな事俺が一番分かってる。分かってるけど面と向かって言われんのはやっぱり辛い。
「僕が必要としてます。僕には悠くんが必要です」
 図星をつかれ(うつむ)いたまま言葉に詰まっていると凪が真剣な顔でそう答えてくれた。俺、凪が隣にいるから、こうして手を握ってくれてるからちゃんと想いを言葉に出来てんだな。握ってくれる凪の手を握り返してまた母さんに目線を移した。
「育ててもらった事は感謝してる。だから俺はあんたから離れる。そうすれば幸せになれるんだろ?仇でなんて返してない。これがお互いにとって一番いい選択だろ」
「あんたまでなんなのよ!もう好きにしなさい」
 そう言って母親は去っていった。それを見ていた凪達からの視線が俺に向く。
「あ、あの。お騒がせしてすみません。明日には出ていくんで...」
「なんで?別にいつまでもここにいてくれて良いのよ」
「え?」
「そうだよ!遠慮しないで!」
 そう皆頷きながら俺を受け入れてくれた。凪の家族の優しさが温かさが今の俺には沁みすぎて涙が溢れてきた。こんなにも泣いたのはいつぶりだろうか?


「悪い。みっともないとこ見せて」
「ううん。もっと早く悠くんに出会えてれば良かった。そしたらもっと早く助けてあげられたかもしれないのに。今までよく頑張ったね!偉いよ悠くん!」
 そう言って俺の頭を撫でてくる。凪はいつも俺が欲しい言葉を一番にくれる。いつも俺を人生のどん底から救いあげてくれる。
「ありがとう、凪」
「....!どういたしまして。えへへ、初めて名前呼んでくれたね」
「そんな喜ぶことじゃねぇだろ」
「え〜!だって嬉しいもん!」
 またキラキラした笑顔。たまに変なとこもあるけどそんなとこも全部愛したいと思えるくらい俺は凪の事が好きになっていた。
「なぁ凪。これからも俺の傍にいてくれる?」
「もちろん!僕が悠くんの居場所になるよ!何があってもずっとそばにいる、約束!」
「ありがとう」
 君が俺の世界を変えてくれた。君が俺に生きる希望をくれた。だから俺はこうして生きていられる。凪の笑顔も愛おしい所も全部俺が守っていきたい。この日俺は無縁だと思っていた初恋をした。