朝の冷たい空気の中、レジーナは庭にしゃがみ込み、何かのチェック作業をしていた。
 これでよし、と一人で頷いていると、

「今、いいだろうか」

 背後から呼び止められた。父の声ではなく、若い男の声だ。
 咄嗟に振り向くと、魔力を吸わせてくれた、あのルキアスが立っているではないか。
 レジーナは思わず笑みを浮かべた。

「この前はありがとう! おかげで父が助かったわ!」
 
 お礼を言うと、ルキアスも笑顔で返してきた。

「君の父が無事で何よりだ。昨日は何があったかよく思い出せないが……」
「あら、大活躍だったわよ。地域のリーダーにふさわしい振る舞いだったわ」
「それが伯爵(はくしゃく)の仕事だからな。そして国の仕事をするのは、君たち公爵の役目だ」
「うんうん。今に国をひっくり返して見せるから、見ててよ」
「楽しみにしておこう。ところで」

 そう言ってルキアスは、レジーナに三本の発煙筒を渡してきた。

「これが必要だと聞いたが」
「ええ、とっても。助かるわ」

 レジーナは姿勢を正して受け取る。
 するとルキアスは表情を緩め、

「君の力になれることを祈るよ」

 と微笑んだ。
 街の女性たちが見たら、黄色い声を上げそうな笑顔だ。
 今は若干、引きつっているようだが。

「これで、辺境騎士がすぐに駆けつけるのよね?」
「ああ、魔物を見つけた時に使うものだからな」
「それなら良かった。ありがたいわ」
「……このあたりに魔物などいないはずだが、何に使うか教えてくれるだろうか」

 レジーナは溜め息をついて足元の雪に王冠を描く。

「私を婚約破棄した輩」
「王子のことか?」
「魔物ならどんなに良かったことか。常夏のスカイリア島で私たちをあざ笑ってる」
「……王族がそんな振る舞いをするのか? 嘘だろう?」

 レジーナは笑いながら答える。

「私は王子なんて言ってないわ、地面に落書きしただけよ。落ち着いて」
「……それが事実なら、由々しき事態だ……」
「大丈夫、ルキアス。極寒の地で暮らす平民には常夏の世界なんて関係ないわ。ただし……」

 レジーナは、しつこく届くアトミオス王子からの手紙を見せた。
 その内容は、『大学費と寮費を払え。ママがそう言ってるんだぞ』というものだった。
 そして、それとはまったく矛盾する内容の契約書もルキアスに見せた。
 そこには、
『いかなる場合も例外なく全額を出すからメンツのために魔法大学に行け』
 と書かれている。
 こちらもアトミオス王子のサイン入りだ。

「ママが言うから……? ……なんだこいつは? これでも王子か?」

 ルキアスは顔をしかめて言った。

「ずっとこの手紙が来てるんだけど……そろそろ本人が浮遊船で来そうです」

 レジーナは笑って答える。

「バカな。いくら王族と言えど、公爵令嬢の庭で暴れ回ったらただごとじゃ済まない」
「ええ。ただごとじゃ済まない騒ぎにする予定です」
「何をする気だ?」
「ルキアス。この地域をよく見ておくよう、辺境騎士様たちにお伝えいただけないかしら?」 
「それなら構わないが」
「彼らはただ、警備を強化するだけ。たとえ何も起きなくても領主の名は傷つかないわ」
「何かあれば偶然で、何も無ければ、静かに終わるのか……しかし、そう都合よく行くかな」

 相手は王族だぞ、とルキアスは付け足す。

「ええ。王族だからこそです」

 とレジーナは返す。

「どういうことだ?」
「あの人のことだから、きっと浮遊船を使って乗り込んでくるわ」
「浮遊船で? 港以外への停泊は違法なはずだが」
「これまでも何度も、そういうことがありましたから」
「……何度も?」

 レジーナは何も答えずに、ただ笑うだけだった。
 その無言の回答を見て何を思ったか、ルキアスは少し考えてから腕組みをする。

「元婚約者を付け回し、違法に浮遊船を停泊。しかも辺境騎士によって現行犯逮捕となれば」
「王室の大スキャンダルよ。王位継承権にも関わってくるんじゃないかしら」

 レジーナは大笑いする。
 つられて、ルキアスも大笑いを始めた。

「今日のことは、何も聞かなかったことにしよう」
「そうそう。私たちはただ、仲良く世間話をしていただけ。あっはっは!」  

 笑い声が落ち着く頃、ふとルキアスは懐からペンダントを取り出した。

「そういえば、これを診てもらいたいのもあって来たのだった」

 レジーナはそれを眺め、興味深く観察する。

「あ、いつも持ってるやつ。壊れちゃったの?」
「この前、うっかり服と一緒に洗濯してしまってな」
「……んー。直せるけど、私は魔力がないから手伝ってね?」
「わかっている。魔法回路の確認は一緒にしよう」
「あーあ。私にも魔力があれば良かったのになー」
「君が魔法を使い放題になると、恐ろしいな…」
「えー? そのうち、本当にそうなるかもよ?」
「レジーナが? そりゃ、この王国中が大騒ぎだ!」

 二人は楽しそうに笑い合った。
 ――本当にそんな日が来るとは夢にも思わずに。