とんでも婚約破棄から始まる雪国スローライフ(仮)

 朝。
 レジーナが身支度をしていると、トーマスが不安そうに話しかけてきた。

「やっぱりアトミオス王子へ大学費と寮費を払おう……」
「踏み倒すって言ったはずだけど?」
「親族に頭を下げて、どうにか工面してもらおう。屋敷も売ればなんとかなる」
「弱気になる必要はないわ。こっちには手紙も契約書も残ってるんだし」

 もう何度目かわからないこのやりとりに、レジーナはすっかり不機嫌になっていた。
 トーマスもまずいと思ったのか、

「気晴らしに東の国風カフェに行かないか」

 と提案してきた。
 過去にレジーナが前世知識で生み出したレシピを提供したことがある、和風のお店だ。
 
「いいよ、行こう。ちょうど甘いものがほしかったしね」

 親子二人、並んで家を出る。
 カフェに到着すると、入るなり店のオーナーが話しかけてきた。

「レジーナ様! おしるこはおかげで大繁盛ですよ!」
「それはよかったわ! じゃあ、おしるこ二つ」

 トーマスは席に着くと、コートを脱ぎながら質問してきた。

「玄関にあった旧式の『浮遊船係留(けいりゅう)アンカー』は何に使ったんだ」

 レジーナは笑って答える。

「え、いらなかったんでしょ? まだ使ってないわよ?」
「い、いや……いいんだ」

 トーマスはまだ何か言いそうにしていた。
 しかし店員がおしるこを持ってきたため、関心がそちらに移ったようだ。

「とりあえず食べようか」
「パパ、餅で喉つまらせないでね!」

 スプーンですくいとった餅を、勢いよくかきこんでいく。
 しかし、その食べ方が良くなかったようだ。

「うっ……!」

 トーマスは喉元を抑えると、みるみる顔色が青ざめていった。
 レジーナは最初、冗談かと思ったが、どうやらそうではないらしい。
 本当に餅を喉に詰まらせたようだ。
 
「パパ? どうしちゃったのよ!」

 こんな時、どうすればいいのだったか。
 そういえば前世では、掃除機を使って救助する報道を見かけた気がする。

「すいません! フルード式魔道具の掃除機はありますか!」

 血相を変えた店員がすぐさま持ってきた。
 だが思っていたよりも餅が喉の奥に入り込んでいたらしく、なかなか吸い出せない。

「む、ぐ……っ」
 
 トーマスはついに、もがく力すら失い始めている。
 本気でまずいと思ったレジーナは、ポケットから自作の魔道具を取り出した。
 これはLv999の治癒魔法が使える性能だが、魔力ゼロの自分では使えない。
 また、寒冷地にいる平民たちは魔力を持たないため、彼らを頼っても無駄だ。

「もう! 私に魔力さえあれば! すみません! フルードのタンク貸してくださーい!」

 フルードの入ったタンクをつなげてみた。
 しかし、『フルード、デハ、魔力ガタリマセン』と音声が再生されるだけだった。
 やはり通常の魔道具を使うには、魔力持ちでなければ動かない。

「誰かー! 魔力持ちの領主様はいませんかー! 救護が必要なんです!」

 レジーナは店外に出て、必死になって魔力を持った人間を探す。
 すると、ここミリオングラード領の領主を務めるルキアス伯爵(はくしゃく)が、空から降りてきた。
 黒い髪と海色の瞳を持ち、すらりと背の高い美青年である。
 甘く端正な顔立ちをしていて、平時であれば思わず見惚れるような容貌だろう。
 だが今は、人の顔をジロジロ見ている場合ではない。

「レジーナ公爵令嬢! 大声で私を呼ぶなといつも言ってるだろう?」
「やっぱり居たのね、ルキアス伯爵(はくしゃく)!」 
「何があった! いつもの変な魔道具の実験か?」
「ルキアスこそ、また屋根の上を歩いて、街の見回り領主してたの?」
「君こそ、まさか父君に餅を食べさせていないだろうな⁉︎ あれほど忠告したのに!」
「どうでもいいわ! 早く来て!」
 
 高所で様子を伺っていたなら、呼ぶ前に来て欲しい。

「助けるのはいいが、何となく嫌な予感がするぞ!」
「この魔道具にありったけの魔力をこめて! 早く!」

 ルキアスが警戒するので、レジーナは無理やり手を掴んで魔道具にタッチさせた。

「うわ! 待て! 強引に魔力が吸われている感覚があるぞ!」
「私は平気だから心配しないで! ほら、怖くない!」

 レジーナがルキアスの手を押さえていると、魔道具から音声メッセージが流れた。

『高イ魔力ヲ検知! 魔力ドレイン開始シマス!』
「今まさに危険性を自白したように聞こえるが……⁉︎」

 魔道具から伸びた十本のアームが、ルキアスを絡めとる。

「何だこれは、うわー!」

 青年は全力で逃げようとするが、魔道具は飛びついて首に吸着した。
 この魔道具は、レジーナの入念な作り込みで、一度見つけた魔力は、絶対に逃さない。

「ま、魔力が……レジーナ、君はいつも強引に魔力を…」

 ルキアスが倒れそうになる。
 レジーナは彼の体を支えてカフェの椅子に横たわらせた。

「ルキアス、魔力ありがとう! これからもよろしくね!」

 魔道具を首から引き剥がし、トーマスの体に当てる。
 これで治癒魔法が発動するはずだが。

『生命ノ危険! デスガ魔法ハ必要アリマセン! 背中ヲ叩ケバ大丈夫!』
「そっか、背中を叩けば良かったんだ! この魔道具いらない!」

 レジーナは、ぽいっと魔道具を投げ捨てた。
 そして、トーマスの背中を叩くと、口から餅がぽーんと飛び出した。
 
「本当に餅が詰まった……」
「パパ、もう大丈夫そうね」

 父の無事を確認すると、レジーナは気絶しているルキアスの髪を撫でた。

「ごめんね、魔力持ちの領主ルキアス……でも、また呼んだら来てね?」

 レジーナは会計を済ませて店員に、

「領主が起きたら、発煙筒を持って私の家に来るよう、言っておいてください」

 と言い残し、トーマスを連れて店を出た。

 トーマスは心配そうに言う。

「またルキアス伯爵(はくしゃく)から魔力を奪って気絶させてないだろうな…?」
「ルキアスは領主だから疲れてるのよ! 私は平気だから心配しないで!」
「レジーナ、やっぱりアトミオス王子へ大学費と寮費を…」
「何を言ってるの? もう大丈夫よ! パパは家に帰ったら休んでね!」

 この時、世界はまだ知らなかった。
 王国をひっくり返す最強の二人、ルキアスとレジーナが動き始めたことを。