トーマスは夢の中で、廃材屋との会話を思い出していた。
あれはそう、フルード式魔道具の「浮遊船係留アンカー」をタダで貰った時のことだった。
「今の浮遊船はアンカーやケーブルなんて、いらないんですよね。
もう十年間、誰も使ってないんで。でも何かに使えないかと持っててご覧の通りで」
そう言って廃材屋が渡してきたアンカーは、まだ使えそうな代物だった。
トーマスが子供の頃は、港に浮遊船がケーブルを何本も垂らしていたものだ。
そうやって空に浮いて係留されていたのだ。
しかし現代の浮遊船はフラフラ動かないし、ケーブルも使わない。
「そうだよな、今時の浮遊船はアンカーなしでも空に静止できる」
トーマスが昔を懐かしみながら言うと、廃材屋は頷いた。
「今の貴族さんたちは、フルード式魔道具なんて恥ずかしくて使わないですからねえ」
「カジキとか鯨でも捕まえるなら使えるかもしれんが、鯨なんて食べないしなあ」
「隣国では、これを浮遊船に打ち込んで落とすのに使うってさ、戦争の多い国は嫌ですねえ」
「まったくだ、何かに使えるかもしれん。十本ともくれ」
———
バシュ! バシュ! バシュ! バシュ! バシュ!
何かが連続射出される音で、トーマスを目を覚ました。
意識がはっきりしてくると、脳裏に物騒な妄想が浮かんだ。
……地面からアンカーが次々と撃ち出され、空を飛ぶ浮遊船に突き刺さっていく。
コントロールを失った船がいくつも墜落し、地上で大爆発をする。
その騒ぎの中心で、レジーナが高笑いしているのだ。
「ああ、そんなバカな……!」
トーマスは布団の中でガタガタと震えた。
窓の外に視線を向けると、レジーナが何か作業をしているのが見える。
地面が開き、庭の三方向からケーブルのついたアンカーが次々に飛び出てくる。
それらは高さ五十メートルの弧を描き、庭の反対側の地面に突き刺さった。
フルード式魔道具の「浮遊船係留アンカー」だ。
「よし! 念のため追加二本できた! 合計五本できたわ!」
レジーナの叫ぶ声が聞こえる。
「また何か始める気か……まさか戦争を」
トーマスはカーテン越しにその光景を覗きながら、身震いした。
しばらくそうやって見守っていると、レジーナは後片付けをして家に戻ってきた。
「あー、寒い!」
「さっきは何を……船をどうするつもりだ?」
「パパ、何を言ってるの? ここは港じゃないわ」
「そうだな……俺も自分で何を言っているのかわからん」
「それより、ご飯にしよう!」
トーマスは静かに頷くと、
「今日は俺が作ろう」
そう言って台所に立った。
フルード式魔道具の様子を見ながら、まずは野菜スープを作る。
それが済むと、チーズとパンをスライスし、食卓に並べていく。
寒冷な地域で生まれ育っただけあって、トーマスの味付けは塩辛い。
しかしその方が食が進むらしく、レジーナは美味しそうに頬張っていた。
「ん~。これこそ実家の味だよねえ。美味しい」
「それならよかった。あまり料理は自信がなくてな」
「手先が器用な人は、料理も上手いと思うよ」
雰囲気が和らいだところで、トーマスはずっと気になっていたことを切り出してみた。
「なあ、アトミオス王子から来ていた大学費と寮費の件、やっぱり考え直さないか?」
レジーナはスープを飲み干してから言った。
「いーや踏み倒す。こっちには契約書もあるんだから」
力強い口調だった。
レジーナはそこで話を打ち切ると、「寝る」と言ってリビングから出て行った。
トーマスは腕組みをして考えこむ。
レジーナが幼い頃、飲み物をこぼした時に、
「ティッシュはないの?」
と言い、何のことか分からず驚いたことを思い出していた。
「レジーナは昔から不思議な子だった。小学校に入る前から読み書きも計算もできていた」
フルードのタンクを見つめる。青く光り、機械を動かす燃料。
温めたり、火をつけたり、何かを回したり、光らせることはできる。
でも、人の体を治したり、魔物から身を守ったりはできない。
高度な魔法回路を動かすには、フルードではなく魔力が必要だ。
「俺にも魔力があればな…」
トーマスはじっと自分の手を見ていた。
その夜。
トーマスは玄関に、整然と並んでいるものを見つけた。
錆だらけだったはずの「浮遊船係留アンカー」が、新品同様に磨かれてあるのだ。
「あの子は何に使うつもりだ……」
青ざめたまま自室に向かうと、こっそりアトミオス王子宛に、
『大学費と寮費を払うので、新居に置いてるレジーナの家具や服を返してください』
と手紙を書いた。
そこから先は、疲れ果てて眠りこけてしまった。
だからレジーナが灯籠を手に部屋へやってきたことには、気付かなかった。
「アンカーで何をするつもりだ……」
レジーナが悪夢を見てうなされている父の額に手を置くと、寝言がぴたりと止んだ。
そして、静かになった部屋でアトミオス王子宛の手紙を拾い上げると——
ためらうことなく破り捨てた。
「前世と真逆の親だけど、過保護すぎる親も困ったものね……」
