「レジーナ?」
翌朝のことである。
トーマスが目を覚ますと、リビングのストーブが点いていないことに気づいた。
いつもなら早起きするはずのレジーナが、部屋の中に見当たらないのだ。
まだ眠っているだけならいいのだが、そうでなかったら……と思うと胸がざわついた。
(まさか、悪い男にさらわれたのか? いや、散歩中に崖から落ちて、川の底に……?)
親バカを発揮し、悪い想像がどんどん膨らんでいく。
こうなるともう、居ても立っても居られなかった。
トーマスはコートを着込むと、勢いよく外に飛び出した。
「レジーナー!」
叫びながら森の中に目をやる。
一瞬、この中をさまよい歩くレジーナのイメージが浮かんだ。
けれどさすがに、それはないだろうと思い直して街へと向かう。
娘が行きそうな場所はどこだろう? 真っ先に浮かんだのは、廃材屋だった。
近頃はアンカーを弄っているようだし、何か用事があるかもしれないと思ったのだ。
「レジーナを見ませんでしたか?」
廃材屋に声をかけると、
「見てませんね」
と答えが返ってきた。
「娘さん、また徹夜で何か作ってるんじゃ?」
「そうだろうか……」
「レジーナ様なら大丈夫。きっと何か面白いことをしてるはずですよ」
「年頃の娘は、何を考えてるのかわからなくてな」
「トーマス公爵だって、急に家から出てこなくなった時期があったでしょう」
「ああ、あったな」
「そして久々を顔を見せたら、国にかけあって税金を下げてくれた」
廃材屋はまるで、今見てきたように思い出話を語る。
「それと同じですよ。レジーナ様は何か大きなことをなさろうとしているのでしょう」
トーマスは誇らしいような気恥ずかしいような気持ちになった。
「……俺の考えすぎだったのかな」
「そうですよ。昨日だって元気そうでしたし。また私たちを驚かせてくれますよ」
街の人々は、トーマスが思っている以上にレジーナを信頼しているらしかった。
(婚約破棄の件もあって、俺は神経質になっているのかもな)
少し心配しすぎたか、と頭を冷やして帰宅した。
するとリビングでコーヒーを淹れているレジーナと目が合ったではないか。
「レジーナ」
声をかけようとしたところ、何やら忙しそうに部屋に戻ってしまった。
仕方ないので、トーマスは徴税官の報告書に目を通すことにした。
だが娘のことが気になって、ちっとも集中できやしない。
そんな状態が続き、ついにお昼過ぎになった。
痺れを切らしたトーマスは、レジーナの様子を見に行くことにした。
娘の部屋の前まで足を運び、ドアをノックすると、
「取り込み中」
と返事がきた。
「何かあったんじゃないのか?」
「何もないー」
トーマスが心配してもう一度ノックすると、勢いよくドアが開けられた。
「パパ、うるさい! 静かにして!」
部屋の中にはアンカーとケーブルと、沢山のフルード式魔道具を分解した部品が見える。
「娘の部屋を覗き見しないで! パパは仕事して!」
「税金の使い道なんかより、娘の方が大事だよ」
「仕事だって大事でしょ!」
乱暴にドアを閉められてしまった。
トーマスはがっくりとうなだれる。
「心配しすぎか……」
父娘のコミュニケーションは難しい。
トーマスは考え込んだ末、レジーナが好きな東の国風の食材を食糧庫から持ってきた。
そして、それらをテーブルの上に並べた。
これで機嫌を直してくれるといいのだが。
「レジーナ、もう昼過ぎだぞ」
「……」
「お前が作ってた不思議な料理……おどんだったかな、あれをまた作ってくれないか」
おどん? おでん? どっちだったか。とにかくそんな名前だったのを覚えている。
旨味がにじみ出た甘塩っぱい煮込み料理で、冬場になると無性に食べたくなる味だ。
娘は一体どこでこんなレシピを覚えたのだろう?
トーマスが不思議がっていると、ゆっくりとドアが開いた。
レジーナは、ため息をつきながら部屋から出てくる。
「使っているよ」
トーマスは笑顔を浮かべ、灯籠をテーブルに置いた。
「あ、これは新鮮な大根と卵と竹輪とハンペンね! いいわ、おでんを作るわね!」
レジーナは困り顔で笑いつつも、食材を見て喜んだ。
東の国の料理にはやはり目がないようだ。
手際よく仕込みを始め、鍋をスープで満たしていく。
あとフルード式コンロをテーブルに置き、火にかけるだけという段階で手が止まった。
なかなか着火しないのだ。
見かねたトーマスが、コンロに手を伸ばす。
「おかしいな、フルードはまだ残ってるのに」
「フルードの流れが悪くなってるのよ、ほらここ! 貸して」
レジーナはトーマスからコンロを取り上げ、修理を開始する。
どうも父より手際が良さそうだ。
「最近はなんでも複雑すぎて、俺はもうついていけないよ」
「このコンロは温度を自動調節してくれるから、昔より複雑になってるのよ」
「温度を自動調節……そんな機能が……」
「パパ、しっかりして!」
「あ、ああ……そうだな……」
「直った! 食べましょう!」
レジーナはコンロの火を点け、鍋を温める。
しばらくするとスープが煮立ち、コトコトと音が鳴り始めた。
湯気に乗って、香ばしい匂いが部屋の中を満たす。
「たまらない香りだ。もういいんじゃないか」
「うん、食べちゃおう。——いただきます」
「いただきます」
娘と二人、温かな鍋料理をつつく。
ささやかだが平和な庶民の日常だった。
「勉強しない貴族はたくさんいたからね。成績の悪い子に片っ端から声をかけてたの」
「そうだったのか。勉強を手伝うかわりに魔力を供給してもらうなんて、すごいじゃないか」
「師匠……家庭教師の先生も魔力持ちだから、よく魔力を提供してくれてたし」
「ああ、あの家庭教師の先生か……噂では王宮錬金術師という……」
「ええ、あの先生にフルードや魔道具の魔法回路につても沢山教えて頂いたからね」
トーマスはコンロを眺めながら呟く。
「フルードな……本物の魔力とは似ても似つかないがな……」
「そうよね、重たいし、夜も青く光ってまぶしいし……」
「ああ、フルードはすぐ無くなるから、お金がいくらあっても足りない……」
「それでも魔力ゼロの私たちはフルード式魔道具なしだと生活できないから仕方ないよね」
湯気が静かに立ちのぼる。
ふと、トーマスは懐かしむように笑った。
「そういえばな、納屋を片づけていたら——お前が昔作った蒸留機とかいうのを見つけたぞ」
レジーナが顔を上げる。
「えっ、まだ残ってたの? あー思い出した。それ使って焼酎を作ってたのよね」
「焼酎……なんだそれは? 聞いたことがないぞ」
「東の国のお酒よ、遠い昔、聞いたことがあるの」
「昔からそうだが、お前は色々なことを知ってるよな……」
「えっ?」
「王立図書館の本にもない、誰も聞いたことがない。そんな知識を一体どこから……」
時たまレジーナが口にする、不思議な知識についてたずねると、いつも話題を逸らされる。
「細かいことは気にしないで、私の焼酎、飲んでみて!」
レジーナは部屋に戻ると、一本の瓶を抱えて引き返してきた。
中には白ワインのような色をした液体が入っている。
「この匂い……酒か?」
「飲んでみて」
レジーナが注いでくれた焼酎を、トーマスはぐい、と一口飲み、目を丸くした。
鼻に抜ける香りは、どこか懐かしい甘い匂いだ。
「燃えるように熱いが、コクがある……何だこれは、すごい酒だな」
「五年ものの長期熟成だからね」
「チョウキジュクセイ……?」
「果報は寝て待てってことよ!」
意味はわからないが、レジーナは楽しそうだ。
トーマスもほろ酔い加減で微笑み返した。
数時間後。
酔いが回って機嫌良く寝息を立てるトーマスの肩に、レジーナはそっと布団をかけた。
「パパ、ごめんね。雄弁は銀、沈黙は金よ。私は絶対にアトミオス王子に勝つわ、でも今はまだ内緒」
翌朝のことである。
トーマスが目を覚ますと、リビングのストーブが点いていないことに気づいた。
いつもなら早起きするはずのレジーナが、部屋の中に見当たらないのだ。
まだ眠っているだけならいいのだが、そうでなかったら……と思うと胸がざわついた。
(まさか、悪い男にさらわれたのか? いや、散歩中に崖から落ちて、川の底に……?)
親バカを発揮し、悪い想像がどんどん膨らんでいく。
こうなるともう、居ても立っても居られなかった。
トーマスはコートを着込むと、勢いよく外に飛び出した。
「レジーナー!」
叫びながら森の中に目をやる。
一瞬、この中をさまよい歩くレジーナのイメージが浮かんだ。
けれどさすがに、それはないだろうと思い直して街へと向かう。
娘が行きそうな場所はどこだろう? 真っ先に浮かんだのは、廃材屋だった。
近頃はアンカーを弄っているようだし、何か用事があるかもしれないと思ったのだ。
「レジーナを見ませんでしたか?」
廃材屋に声をかけると、
「見てませんね」
と答えが返ってきた。
「娘さん、また徹夜で何か作ってるんじゃ?」
「そうだろうか……」
「レジーナ様なら大丈夫。きっと何か面白いことをしてるはずですよ」
「年頃の娘は、何を考えてるのかわからなくてな」
「トーマス公爵だって、急に家から出てこなくなった時期があったでしょう」
「ああ、あったな」
「そして久々を顔を見せたら、国にかけあって税金を下げてくれた」
廃材屋はまるで、今見てきたように思い出話を語る。
「それと同じですよ。レジーナ様は何か大きなことをなさろうとしているのでしょう」
トーマスは誇らしいような気恥ずかしいような気持ちになった。
「……俺の考えすぎだったのかな」
「そうですよ。昨日だって元気そうでしたし。また私たちを驚かせてくれますよ」
街の人々は、トーマスが思っている以上にレジーナを信頼しているらしかった。
(婚約破棄の件もあって、俺は神経質になっているのかもな)
少し心配しすぎたか、と頭を冷やして帰宅した。
するとリビングでコーヒーを淹れているレジーナと目が合ったではないか。
「レジーナ」
声をかけようとしたところ、何やら忙しそうに部屋に戻ってしまった。
仕方ないので、トーマスは徴税官の報告書に目を通すことにした。
だが娘のことが気になって、ちっとも集中できやしない。
そんな状態が続き、ついにお昼過ぎになった。
痺れを切らしたトーマスは、レジーナの様子を見に行くことにした。
娘の部屋の前まで足を運び、ドアをノックすると、
「取り込み中」
と返事がきた。
「何かあったんじゃないのか?」
「何もないー」
トーマスが心配してもう一度ノックすると、勢いよくドアが開けられた。
「パパ、うるさい! 静かにして!」
部屋の中にはアンカーとケーブルと、沢山のフルード式魔道具を分解した部品が見える。
「娘の部屋を覗き見しないで! パパは仕事して!」
「税金の使い道なんかより、娘の方が大事だよ」
「仕事だって大事でしょ!」
乱暴にドアを閉められてしまった。
トーマスはがっくりとうなだれる。
「心配しすぎか……」
父娘のコミュニケーションは難しい。
トーマスは考え込んだ末、レジーナが好きな東の国風の食材を食糧庫から持ってきた。
そして、それらをテーブルの上に並べた。
これで機嫌を直してくれるといいのだが。
「レジーナ、もう昼過ぎだぞ」
「……」
「お前が作ってた不思議な料理……おどんだったかな、あれをまた作ってくれないか」
おどん? おでん? どっちだったか。とにかくそんな名前だったのを覚えている。
旨味がにじみ出た甘塩っぱい煮込み料理で、冬場になると無性に食べたくなる味だ。
娘は一体どこでこんなレシピを覚えたのだろう?
トーマスが不思議がっていると、ゆっくりとドアが開いた。
レジーナは、ため息をつきながら部屋から出てくる。
「使っているよ」
トーマスは笑顔を浮かべ、灯籠をテーブルに置いた。
「あ、これは新鮮な大根と卵と竹輪とハンペンね! いいわ、おでんを作るわね!」
レジーナは困り顔で笑いつつも、食材を見て喜んだ。
東の国の料理にはやはり目がないようだ。
手際よく仕込みを始め、鍋をスープで満たしていく。
あとフルード式コンロをテーブルに置き、火にかけるだけという段階で手が止まった。
なかなか着火しないのだ。
見かねたトーマスが、コンロに手を伸ばす。
「おかしいな、フルードはまだ残ってるのに」
「フルードの流れが悪くなってるのよ、ほらここ! 貸して」
レジーナはトーマスからコンロを取り上げ、修理を開始する。
どうも父より手際が良さそうだ。
「最近はなんでも複雑すぎて、俺はもうついていけないよ」
「このコンロは温度を自動調節してくれるから、昔より複雑になってるのよ」
「温度を自動調節……そんな機能が……」
「パパ、しっかりして!」
「あ、ああ……そうだな……」
「直った! 食べましょう!」
レジーナはコンロの火を点け、鍋を温める。
しばらくするとスープが煮立ち、コトコトと音が鳴り始めた。
湯気に乗って、香ばしい匂いが部屋の中を満たす。
「たまらない香りだ。もういいんじゃないか」
「うん、食べちゃおう。——いただきます」
「いただきます」
娘と二人、温かな鍋料理をつつく。
ささやかだが平和な庶民の日常だった。
「勉強しない貴族はたくさんいたからね。成績の悪い子に片っ端から声をかけてたの」
「そうだったのか。勉強を手伝うかわりに魔力を供給してもらうなんて、すごいじゃないか」
「師匠……家庭教師の先生も魔力持ちだから、よく魔力を提供してくれてたし」
「ああ、あの家庭教師の先生か……噂では王宮錬金術師という……」
「ええ、あの先生にフルードや魔道具の魔法回路につても沢山教えて頂いたからね」
トーマスはコンロを眺めながら呟く。
「フルードな……本物の魔力とは似ても似つかないがな……」
「そうよね、重たいし、夜も青く光ってまぶしいし……」
「ああ、フルードはすぐ無くなるから、お金がいくらあっても足りない……」
「それでも魔力ゼロの私たちはフルード式魔道具なしだと生活できないから仕方ないよね」
湯気が静かに立ちのぼる。
ふと、トーマスは懐かしむように笑った。
「そういえばな、納屋を片づけていたら——お前が昔作った蒸留機とかいうのを見つけたぞ」
レジーナが顔を上げる。
「えっ、まだ残ってたの? あー思い出した。それ使って焼酎を作ってたのよね」
「焼酎……なんだそれは? 聞いたことがないぞ」
「東の国のお酒よ、遠い昔、聞いたことがあるの」
「昔からそうだが、お前は色々なことを知ってるよな……」
「えっ?」
「王立図書館の本にもない、誰も聞いたことがない。そんな知識を一体どこから……」
時たまレジーナが口にする、不思議な知識についてたずねると、いつも話題を逸らされる。
「細かいことは気にしないで、私の焼酎、飲んでみて!」
レジーナは部屋に戻ると、一本の瓶を抱えて引き返してきた。
中には白ワインのような色をした液体が入っている。
「この匂い……酒か?」
「飲んでみて」
レジーナが注いでくれた焼酎を、トーマスはぐい、と一口飲み、目を丸くした。
鼻に抜ける香りは、どこか懐かしい甘い匂いだ。
「燃えるように熱いが、コクがある……何だこれは、すごい酒だな」
「五年ものの長期熟成だからね」
「チョウキジュクセイ……?」
「果報は寝て待てってことよ!」
意味はわからないが、レジーナは楽しそうだ。
トーマスもほろ酔い加減で微笑み返した。
数時間後。
酔いが回って機嫌良く寝息を立てるトーマスの肩に、レジーナはそっと布団をかけた。
「パパ、ごめんね。雄弁は銀、沈黙は金よ。私は絶対にアトミオス王子に勝つわ、でも今はまだ内緒」
