翌日。
 日が高くなり始めた頃、レジーナは庭に出向き、スコップで雪をかき分けていた。

「あったあった」

 埋まっていた赤いロープを見つけ出すと、ぐっと引っ張る。
 すると地面がぱっくりと開き、フルード式魔道具「浮遊船係留(けいりゅう)アンカー」が一本、
 バシュッ! 
 と音を立てて射出された。
 それは上空百メートルまで到達したところで落下を始め——

 ドンッ!

 庭の反対側に着地し、地面に深々と突き刺さった。 
 
「これなら三本あればいいかな?」

 満足げに頷くと、レジーナは腰のポーチから図面を取り出して広げた。
 そこに書いてあるのは、自宅周辺の地形図だ。
 複数の箇所にバツが付けてあり、浮遊船が庭の中央部分に書いてある。
 よく見ると侵入経路を示す矢印も書き記されていた。

「あっちの木を切って、入りやすいようにしたほうがいいわね」

 レジーナは図面を見ながら呟く。
 そんな光景を、父、トーマスは不安そうに眺めていた。

「レジーナ……何を始める気だ……パパには教えてくれないのか……?」

 いつも一人で勝手に娘を心配したがるトーマスは、
 アンカーを使って大暴れする娘を想像して、不安に震える手でコーヒーをすすっていた。



 作業を終えたレジーナは自宅に戻り、昼食の準備に取りかかる。
 フルード式魔道具のコンロに火を点けて鍋を沸かしていると、

「ごめんくださーい」

 玄関から声がした。来客だ。

「はーい! 今行きまーす!」

 誰だろうと思って向かうと、『桃猫トマトの宅配便』の配達員だった。

「こちらレジーナ様宛となっております、ご確認ください」

 そう言って渡してきたのは、一通の手紙だった。
 送り主は……元婚約者のアトミオス王子。

「げ。あのマザコン、今度は何の用よ」

 その名前に反応したのか、トーマスも恐る恐るといった様子で手元を覗き込んでくる。
 レジーナは封を切り、その場で中身を取り出して読み始めた。

『君の大学費と寮費は、僕の実家が援助していたのを忘れないように。
 僕が婚約を破棄したから、今まで出してやったお金を僕に全部、返すべきだ。
 今までおごった食事代もついでに請求するから、きちんと確認するように。
 ママと相談して、書き漏らしのない完璧な請求書を送るから、楽しみにしてろよな。
 もしも支払わないようなら、新居に置いてあるお前の家具や服は返さないからな』

 読み終えるなり、レジーナは笑いながら破り捨てた。
 
「パパ、これ捨てといて。読む必要のない文章だったみたい」
「金に関することだろう? いいのか?」

 レジーナが台所に戻ろうとすると、トーマスは慌ただしくリビングへ向かった。
 何をするのかと思えば、さきほど破り捨てた手紙を繋ぎ合わせようとしているのだ。
 しかもその横には新しい手紙があって……

『支払います。分割にさせていただくことは可能でしょうか』

 と書き始めているではないか。
 トーマスは地上での暮らしが長すぎて、弱気になっているのかもしれない。
 レジーナはペンを取り上げると、威勢よく告げた。

「いーや踏み倒す」
「なんだって?」
「パパだって知ってるでしょう! あいつが私に何を言ってきたか」

『いかなる場合も例外なく全額を出すから、僕のメンツのために魔法大学に行けー!』

 と、しつこく頼んできたのはアトミオス王子なのだ。

「契約書だって残ってるしね。弱気になる必要はないわ」

 何か言いたそうなトーマスから手紙を取り上げると、破いてストーブに入れてやった。

「……いや、これでよかったのかもしれないな」

 燃える手紙を眺めながら、トーマスは頷いたり唸ったりを繰り返している。
 相手が情けないマザコン男だと知ったら、心配しすぎだと理解できるのだろうか。
 そのあたり、じっくり親子で話し合った方がいいのかもしれないとレジーナは思う。

「そういえば、私がおしるこのレシピを教えてあげたカフェのオーナーは元気にしてる?」
「ああ、あの甘いスープか」
「そうそう。寒い時期にはぴったりなのよ」
「餅が年寄りには食べ辛いが、美味いと評判だぞ。繁盛してるようだ。久しぶりに行くか?」
「だめよ、パパがお餅で喉つまらせたら大変」
「そんなこと、あるはずないだろう」

 父は笑っているが、レジーナは前世の記憶を思い返していた。
 正月になると、毎年のように餅を喉に詰まらせるニュースが流れていたことを。
 ちょうど今のように、雪が積もる時期の風物詩だったはずだ。
 窓の外に目をやり、降りしきる雪を眺める。年寄りには堪える寒さだろう。
 父にはあまり、無理をさせない方がいいのかもしれない。
 レジーナは「今日は私が買い物に行くわ」と声をかけ、街へと向かった。

「行ってきます」
「気をつけてな。風船をあげるからおいでというピエロがいても無視するんだぞ」
「パパ、そんなピエロいるわけないじゃない! じゃあね!」

 そう言うトーマスの方こそ心配だ、とレジーナは思う。
 自分にとっては、たった一人の父親なのだから。
 

 商店街に向かうと、

「トーマス公爵はお元気?」

 と通行人のおばさんに声をかけられた。

「おじさんっぽくなったけど元気よ」
「あら。渋くていい男じゃないですか。うちの旦那もああいう歳の取り方をしてくれたらね」
「娘の私から見ると、普通のおじさんなんだけど」
「ご立派な方ですよ。あの方が解決した揉め事はいくつもあるんですから」
「パパ、そんなことしてたの?」
「ええ。水や農地の取り合いで揉めている地域を、よく仲裁してらっしゃるんですよ」

 このおばさんが言うには、トーマスはなかなかのやり手なのだそうだ。
 いわく、あの人がやってくると話が進みやすい。
 しかも公爵なのに威張らないから、みんなに好かれているらしい。

「パパ、ちゃんとかっこいいところもあったんだ……」
「そうですよ! お父様を大事になさってください。そっくりな親子なんですから」
「えっ。私、パパと似てる?」
「よく似てらっしゃいますよ。……そのうちレジーナ様も、何か大きなことをなさるのかも」

 レジーナは、

(性格はあまり似ていないと思うのだけど)

 と言いたいところをぐっとこらえて、立ち話を切り上げた。
 
(まあ、大きなことを企んでるのはその通りなんだけどね)

 確かにそこは父親譲りかもしれないと思いながら、家具屋へと向かう。
 
「いらっしゃいませ」
 
 店に入ると、女性店主が愛想よく挨拶をしてきた。
 レジーナは「おはよう」と返すと、興味深そうに陳列された商品を眺め始める。
 なかでも特に興味を引かれたのは、フルード式魔道具の灯籠(とうろう)だった。

「これは?」
「以前レジーナ様が作り方を教えてくれた、紙で作ったランプですよ」
「ほんとに作ってくれたんだ!」
「ええ。貼り替えたり、作り直していくと愛着がわきますね。持ってみてください」

 店主は、ガラスのランプにはない軽さが気に入っていると笑った。

「軽いので、持ち歩きやすいし、お客さんにも大評判なんですよ」
「でしょ?」
「この間なんて、飲食店から二十個も受注がありましたの」
「すごいじゃないの!!」
「ええ、冬場には助かる臨時収入です。レジーナ様のおかげです」
「私も一つ、買っていこうかな。設計者として完成度が気になるし」
「ありがとうございます!」

 店主は陳列棚に置かれた灯籠(とうろう)を、うっとりとした目で眺めている。

「この優しい光……こいつを浴びるだけで、本当に治癒魔法がかかればいいのにと思います」

 レジーナは少し考えてから言った。

「いいね、将来作ってみようかな? 浴びるだけで治癒効果と加護効果のある灯籠(とうろう)……」
「いやあ、フルード式魔道具で治癒や支援の魔法はできないでしょう、夢のまた夢ですよ」

 冗談を言っていると思ったらしく、店主は笑っていた。
 レジーナも微笑み返したが、その目は真剣だった。

 その日の夜。
 寝息を立てるトーマスの寝室にそっと入ったレジーナは、布団をかけ直してやると、

『パパも使ってね』

 書かれた手紙とともに、灯籠(とうろう)を枕元に置いた。
 これが後にレジーナが作る、

『家にあるだけで一家全員の体調がよくなる魔道具「灯籠(とうろう)」』

 のきっかけであった。