ちょっと、待ってくれ。
 あの時のあの会話は、友達間での冗談ではなかったのか。
 あの「好き」は、友達としての「好き」ではなかったのか。
 友達なんてずっといなかったから、わからない。
 冗談でないのだとしたら、あれは。

『――コウ先輩のことが好きなんで、俺』

 あの日聞いた、あの「好き」は……?

「俺、嬉しかったのに」

 そのとき、天海の声が震えていることに気づいた。
 怒りのせいかと思ったが、違う。
 ゆっくりと顔を上げた天海は、今にも泣き出しそうな表情をしていた。

「コウ先輩、俺のこと嫌いになっちゃったんですか?」
「ち、違う!」

 思わず大きな声が出てしまった。
 だって、まさかそんな顔をするなんて思わなかった。
 俺なんかのことで、こいつが泣くなんて考えもしなかった。

「嫌いになんてなるわけないだろ!」

 とにかく必死だった。
 ハルトを泣かせてしまった。その罪悪感でいっぱいだった。
 俺なんかのために、ハルトにそんな顔をして欲しくなかった。

『たかが紙切れ一枚で、お兄は友達をぽいってひとり捨てるんだよ』

 そんな美月の声が蘇る。

(俺は、なんてことを……!)

「じゃあ、なんで」

 上目遣いでじっと見つめられて、俺はズキズキと痛む胸を押さえながらゆっくりと答えていく。

「ごめん……俺に、自信が無かっただけなんだ」
「自信?」
「俺なんかが、天海の……ハルトの傍にいていいのかわからなくて……友達って言ってもらえて嬉しいのに、それでもやっぱり、ハルトに俺は相応しくないって……」

 消したくても消えないあの赤い文字が脳裏に浮かんで、また手が震えてきた。

「ひょっとして、誰かに何か言われました?」

 その低い声にギクリと顔が強張る。

「……そうなんですね?」

 ――次の瞬間。

 ガンッ!! と凄まじい音が辺りに響いてビクッと肩が跳ねた。
 ハルトが鉄柵を思い切り殴ったのだとわかり俺は硬直する。

(え……?)

 ふぅ~と、やたら長い吐息が聞こえた。

「……誰です?」
「へ?」
「そのクズはどこの誰です」
「い、いや、わからない」
「はい?」
「……と、匿名の、手紙、で……」
「うっわ悪質。ガチで腹立つ」
「ご、ごめん」

 思わず謝罪の言葉が出てしまって、ハルトが俺を見た。

「なんでコウ先輩が謝るんです? 先輩は被害者なのに」
「で、でも、そのせいで俺、お前を……」

 ハルトを泣かせてしまった。
 ……いや、泣いてはいなかったみたいだけど、泣きそうな顔をさせてしまった。

 すると、ふっと漸くハルトの顔にいつもの笑顔が戻った。

「確かに、そのクズの言葉を真に受けて、先輩俺を避けてたんですもんね」
「……っ」
「ショックだったなぁ。俺、先輩に何かしちゃったかなぁって色々考えて、ここのところちゃんと眠れてないんですよ?」
「ご、ごめん!」

 勢いよく頭を下げる。

 ……俺は、ハルトのことを酷く誤解していたようだ。
 俺なんかひとりいなくなったところで、痛くも痒くもないだろうと思っていた。
 そんなことなかったのだ。
 俺のことでこんなにも悩んで、こんなにも怒ってくれる。
 こんなにいい友達を、俺は手放そうとしていたんだ。

「本当に、悪かった……っ」

 罪悪感と、失ってしまう前に気付けた安堵感で、俺はいつの間にかボロボロとカッコ悪く涙を流していた。

 そのとき、ふわりと温もりに包まれた。
 ハルトが俺を抱きしめてくれたのだとわかって、かぁっと顔が熱くなった。
 でも人の温もりなんて酷く久しぶりで、そのあたたかさにまたじわりと涙が溢れてきた。

「良かったです。先輩に嫌われたんじゃなくて」

 俺はハルトの腕の中で、コクコクと何度も頷く。

「匿名の言葉なんて無視しちゃえばいいんですよ。むしろ、どんどん仲良いとこ見せつけてやりましょう?」
「で、でも、そんなことしたら……」

 相手を煽るだけではないか。
 更なる嫌がらせをされるのではないか。
 そんな不安が過る。

「大丈夫です。先輩は俺が守りますから」
「守るって……そこまでして俺といなくたって」
「俺がコウ先輩といたいんです。だから、これからはこういうことがあったらすぐに俺に言ってくださいね」
「……わかった」

 頷くと、ぎゅっと俺を抱きしめる腕に力がこもった。

 もう、どっちが先輩だか後輩だかわからない。
 情けないったらないけれど、でもハルトがそう言ってくれるなら本当に大丈夫な気がしてきた。

「ねぇ、先輩」
「ん?」
「俺、今先輩の泣き声聞いて確信しちゃったんですけど」

 そこで腕が緩んで、間近で見つめられた。

「やっぱり、先輩が『月灯』ですよね?」
「!!?」

 いきなり頭をぶん殴られたような衝撃が襲った。
 遠く遥か宇宙空間が見えた気がした。
 そこからなんとか戻ってきて、サーっと全身の血が引いていくのがわかった。

「――なっ、なな、んなわけないだろっ!?」
「アハハ。先輩、やっぱ嘘が下手だなぁ」

 そう笑われて、これはもう誤魔化せないやつなのだと俺は諦め頭を垂れた。

「……いつから?」
「最初は本当に知らなかったんですよ。ただ同担だと思ってました。でも、これだけ話してれば気付きますよ。声とか息遣いで。俺、知っての通り『月灯』のガチファンなんで」

 今日は何から何まで最悪だ。
 でも、これまでハルトを欺いてきたツケが一気に回ってきたのだろう。
 罪悪感でまた涙が出そうになりながら俺は謝罪する。

「ごめん、今まで黙ってて……」
「仕方ないですよ。『月灯』は謎なところが魅力なんですから。まぁ、もしかしてそうなのかなぁって気付いたときは、めちゃくちゃ恥ずかしかったですけど」

 そうして照れたようにハルトは笑った。
 ……それはそうだろう。俺だって聞いてて恥ずかしかった。

「でも、それ以上に嬉しかったです。だって、推しが目の前にいるんですよ。最高じゃないですか!」
「そ、そっか……」

 結局恥ずかしくなって視線を逸らしていると、ハルトは続けた。

「先輩、前に言いましたよね。俺のこと有名人だって」
「え、あ、あぁ」
「確かに知り合いは多いですし、俺のことを好きと言ってくれる人は多いです。すごく有難いことなんですけど、それに疲れちゃうこともあって……」

 それは少しわかる気がした。
 あんな視線にいつも晒されているのだ。いつも気を張っていないといけない。疲れもするだろう。

「そんなときに俺を癒してくれたのが『月灯』の歌声だったんです」
「え……」
「だから、先輩と一緒にいて癒されるのも当然というか、納得というか」

 と、そこでハルトは「あっ」と慌てたような声を上げた。

「一応、勘違いしないで欲しいんですけど。俺、『月灯』だって気付いたから先輩のこと好きになったわけじゃないですからね」
「え?」

 また言われた「好き」という言葉に俺は目を瞬く。

「これ言うと引かれちゃうかもしれないんですが……電車で初めて先輩と話した日あるじゃないですか」
「あ、あぁ」

 俺がスマホを落としてしまった、あの日だ。

「実はそれよりずっと前から、俺、先輩のこと気になってたんです」
「へ?」

 呆けた声が出てしまった。

「そもそものきっかけは、先輩が『月灯』の動画見てるのがちらっと見えちゃったからなんですけど。それから、どうすればこの人と友達になれるかなぁってずっと機会伺ってて」

 俺がポカンとしていると、ハルトは恥ずかしそうにはにかんだ。

「先輩、普段無表情なのに、たまにすごく優しく笑うんですよ。それに寝顔も無防備でちょっと心配になるくらい可愛いし。気付いたら目が離せなくなってて。今考えると、俺あの頃から先輩に惹かれてたんだと思います」

 ――なんだこれ。

「そうそう、先輩眠って俺に寄り掛かるの、あれが初めてじゃないですからね」
「えっ」
「前にも、丁度俺が隣に座ったときに寄り掛かられて、あのときも嬉しかったなぁ」

 ――なんだこれ……!

 恥ずかしさが限界突破したのだろうか、バクバクと苦しいほどに動悸がしてきた。苦しいけれど、不快ではない。
 こんなこと初めてで、どういう反応をしていいのかわからない。

 だってこんなの、まるで告白ではないか。

「だから、あの日先輩がスマホ落としてくれて、やっとチャンスが巡ってきたって飛びついちゃいました」

 と、やんわりと両手を握られてどきりとする。
 真剣な瞳が、俺を見つめていた。

「先輩、改めてちゃんと言わせてください」
「え……?」
「俺、コウ先輩のことが好きです。俺とお付き合いしてくれませんか?」
「!」

 本当にガチの告白をされて、自分の顔が真っ赤に染まるのがわかった。

 ――本気か? 嘘だろ? 大丈夫か? だって、俺だぞ?

 友達が出来るのだって約十年ぶりだというのに、いきなりお付き合い?
 そんな高度過ぎるコミュニケーション、俺に取れるのか?

 色んな疑問や不安が次々頭に浮かぶ。
 でも、その中にハルトを拒否するようなものはひとつも出てこない。

 それに、嬉しかった。
 信じられないくらいに胸がいっぱいで、顔が勝手に緩んでいくのがわかった。

 そんな正直な自分の気持ちを、俺は信じることにした。

「俺で、良かったら……」

 小さく答えながら、ハルトの両手をそっと握り返す。
 すると、その手をぐいと引かれてもう一度強くハグされた。

「俺は、コウ先輩が良いんです! 何度も言ってるじゃないですか!」
「そ、そっか……」
「どうしよう。俺、幸せ過ぎてどうにかなりそうです!」
「大袈裟だな」

 ふっと思わず笑ってしまうと、ハルトは興奮するように続けた。

「だって、好きな人が最推しなんて、その時点でもう奇跡みたいなのに、その人と両想いなんて……なんかもう泣けてきたんですけど」
「なんだよそれ」

 小さくツッコミながら、こちらまでまた涙が滲んできてしまって困った。

 こんなふうに言ってくれるのはきっと、俺の生涯でハルトだけだろう。
 むしろ幸せなのは俺の方だ。
 彼のような人に好きになってもらえて、幸せなのは俺の方なのに。
 それをうまく言葉に出来なくてもどかしかった。

 だから。

「ありがとう」

 せめてもと、感謝の気持ちを伝える。

「俺を好きになってくれて、ありがとう」

 もう一度、今出来る精一杯の笑顔で言う。
 すると、ハルトは感激したように顔を真っ赤に染め上げた。

「あーもうっ! 先輩メロ過ぎなんですけど!?」

 そうしてまたガバっと勢いよく抱きしめられた。

(メロ?)

 そういえば最近よく見かける言葉だ。
 確か、メロメロになるほどカッコいいとか、可愛いとか、そんな意味だったはず。
 どちらにしても俺には到底相応しくない言葉である。

「そんなの、お前の方がよっぽど……」

 そう続けようとして、ぐう~とどちらのものかわからない腹の音が弱々しく鳴り響いた。
 俺たちは顔を見合わせ同時に吹き出した。

「そういえば、お昼まだ食べてなかったですね」
「だな」
「うわっ、もうこんな時間だ! 先輩、早く食べちゃいましょう!」
「お前、昼飯は?」
「今日は焼きそばパンです!」

 そうしてポケットから取り出した焼きそばパンは大分ぺしゃんこになってしまっていて、俺たちはそれを見てまた笑った。



 ――美月になんて報告しようか。

 ちゃんと仲直りしたぞ。
 仲直りどころか、なんかお付き合いすることになったぞ。
 あいつは一体どんな反応をするだろう。
 驚き過ぎて、ぶっ倒れてしまわないだろうか。
 それとも、怒るだろうか……?

 一抹の不安を覚えながら、俺はとりあえずハルトとの久しぶりのランチタイムを楽しむことにしたのだった。



 END.




   *** オマケ ***


「オリジナル楽曲!?」
「そう、今挑戦しようとしてて」
「……コウ先輩」
「ん?」
「それ、俺にも手伝わせてくれませんか?」
「え?」
「『月灯』に最っ高に合う楽曲を、俺が全身全霊かけてプロデュースしたいです!」

 その目がガチ過ぎて、正直ちょっと引いてしまったなんて言えない……。