それから、ほぼ毎日のように登下校時と昼休みを俺はハルトと過ごすようになっていた。
ひとりでいるより気疲れするし、月灯の話をされるとやっぱり恥ずかしいけれど、基本はハルトが喋ってくれるし俺が話す側に回ったときもコミュ症丸出しのたどたどしい俺の喋りをハルトは最後までちゃんと聞いてくれる。
徐々に俺はハルトといる時間を心地よく思えるようになっていた。
ただ、周囲からの好奇の視線だけは未だに慣れなかった。
視線を感じる度に、本当に俺がこいつの隣にいていいのか、本当にハルトのことを「友達」と呼んでいいのか不安になるのだった。
――それに。
「ふあ~」
久し振りに秋晴れとなり、暖かな日差しに恵まれた日。
中庭のベンチで俺は弁当、ハルトは購買のカレーパンを食べ終わり他愛のない話をしている最中、ハルトが大欠伸をした。
目を擦りながらハルトが苦笑する。
「すみません、実は今朝早く撮影の仕事があって」
そういえばモデルの仕事をしているのだったか。
改めて住む世界が違うなと感心しながら首を振る。
「大変だな。今、少し寝れば?」
「いいですか?」
「い、いいよ、全然」
「ありがとうございます」
お礼を言うなり、ハルトは俺の膝を枕に横になった。
(――は?)
てっきり座ったまま目を瞑る程度だと思っていた俺はハルトの整った顔を見下ろし固まった。
(はぁ??)
――いや、だから!
(こういうのは、彼女とやるもんだろ!?)
そう、ハルトは度々こういう、本人曰く「距離感バグってる」行動をとる。
その度に俺はこうして焦り、困っていた。
こんなところを誰かに見られたら……そう思って周囲を確認すると、案の定、中庭で昼食をとっている奴らの視線を思いっきり独占していた。
かぁっと一気に顔が熱くなって俺は慌てて俯く。
(最悪だ~~っ)
すぐさま起こそうかとも思ったが、寝ていいと言った手前申し訳なくて、仕方なく俺も目を閉じ寝たふりを決め込むことにした。
と、そのときハルトが寝返りを打つのがわかった。
「コウ先輩って、綺麗な顔してますよね」
「は?」
信じられない言葉が聞こえた気がして目を開けると、いつの間にか仰向けになってこちらを見上げていたハルトが俺の頬に手を伸ばしていた。
「二重くっきりで睫毛長いし肌も綺麗で。羨ましいな」
(〜〜っ、だから、そういうのは彼女にやれって!)
不覚にもドキっとしてしまったではないか。
「う、羨ましいって、お前……」
ガチのイケメンが何言ってんだと心の中でツッコむ。
「羨ましいですよ。先輩、コンタクトにしないんですか?」
そう言って、いきなりメガネを外された。
「ちょ……っ」
「ほら、目の大きさ全然違う。勿体ないですよ。コンタクトにしたほうが絶対モテるのに」
ド近眼なのでレンズの厚いメガネを掛けると目が元より小さく見えてしまうことはわかっている。でも。
「コンタクトにはしないし、別に、モテたくもないし……」
本心からそう答えると、少しボヤけたハルトが呟くように小さく言った。
「確かに、先輩がモテたら俺嫉妬するかも」
「何を、……っ」
今度はメガネを付けられて、俺は咄嗟に目を瞑る。
再び目を開けると、俺の膝の上でハルトが笑っていた。
「うん、コウ先輩はやっぱメガネしてた方がいいです」
「……どっちだよ」
そう小さくツッコミながら俺は小さく息を吐いた。
やっぱり、良くわからない奴だと思った。
***
「オリジナル?」
思わず、俺は訊き返していた。
美月の部屋で次の歌について話し合っているときだ。
「そ。これまでカバーばっかだったでしょ? そろそろオリジナル曲に挑戦してみない?」
確かにこれまで大体月1ペースでアップしてきた『月灯』の歌は全てカバーだ。
オリジナル曲……なんだか一気にハードルが上がった気がして俺はごくりと唾を飲み込んだ。
「で、でも、作詞作曲はどうすんだ?」
俺にそんな才能はないし、美月も同じはずだ。
「依頼する」
「誰に」
「それはまだ考え中」
カクッと肩を落とす。
と、美月は腕を組んで難しい顔をした。
「公募も考えたけど、落選したことでアンチになったりしたら嫌だし」
俺は何度も大きく頷く。
今でも所謂アンチと思われる奴らは一定数いて、そういう奴らからの心無いコメントはたった一つだけでもがっつりメンタルを削られる。
そんなのが増えたらと思うとゾッとした。
「だからさ、お兄も考えておいてよ」
「考えておいてと言われても」
「他の歌い手さんに曲提供してる人とかで、お兄の気になってる人をピックアップしといて」
そういうことかと、俺は頷いた。
(オリジナルかぁ……)
翌日の朝、俺はいつもの電車のいつもの車両に乗っていた。
昨夜、遅くまで色んな楽曲を聴いていたのでとても眠い。
バッグを抱きしめ目を閉じてウトウトとしていると。
「コウ先輩、おはようございます」
「!」
はっと顔を上げると、いつの間にか俺の前にハルトが立っていた。
「お、おはよ」
すると、そんな俺を見てふっとハルトが笑った。
「眠そうですね。目、半分閉じてますよ」
そう指摘されて苦笑する。
「昨日あんま寝てなくて」
「そうなんですね。じゃあ駅着いたら俺が起こしますんで寝ちゃってください」
「そ、そうか?」
「この間のお返しです」
にっと笑って言われて、俺はこの間の昼休みのことを思い出した。
「助かる」
申し訳ないが俺はその言葉に甘えることにした。
起こしてもらえると思ったら安心して、数十分の間俺は普通に爆睡してしまった。
「先輩」
「……ん」
「そろそろ着きますよ」
「……?」
なんだかやたら近くでハルトの声が聞こえると思い、重い瞼を開けると、本当にすぐ眼前にハルトの笑顔があってぎょっとする。
「ご、ごめん!」
いつの間にか横に座っていたハルトの肩に思いっきり寄り掛かってしまっていたようだ。
慌てて身体を起こし俺はズレてしまったメガネを直す。
「あの後隣空いたんで、良かったです」
「や、マジで悪かった」
「全然、気にしないでいいですよ」
ハルトのことを散々距離感バグってるとか言っておいて、自分だってバグってるじゃないかと猛省する。
それに、いくらハルトがいいと言ってくれても、周りはそうは思わないかもしれない。
なんだあいつ晴翔くんに慣れ慣れしくして、そう思われているかもしれない。
恥ずかしくて、怖くて、周囲が見れなかった。
「嬉しかったです」
「え?」
改札を出てすぐに隣に並んだハルトが言った。
「先輩が俺に気を許してくれたみたいで」
かぁっと顔が熱くなる。
「最初の頃、先輩、俺との間に結構壁作ってたじゃないですか」
「え、えっと……」
図星で何も言えない。
「最近その壁が薄くなってきてる気がして、俺嬉しいんです。すみません、なんか生意気言って」
ぶんぶんと首を横に振って、俺は「ごめん」と謝る。
「え、なんで先輩が謝るんです?」
きょとんとした顔で訊かれて、俺は俯きながらぼそぼそと話していく。
「……ハルトにだけじゃなくて、俺、その、コミュ症だから。ハルトがなんで俺なんかと一緒にいてくれるのか全然、未だにわかんなくて」
「俺は、先輩と話したいから一緒にいるんです」
あっけらかんと即答されて俺は顔を上げる。
ハルトが優しく微笑んでいた。
「最初は『月灯』の話が出来るのが嬉しかったからですけど、今はなんか先輩といると癒されるっていうか、先輩の隣が今俺にとって一番心地いい場所なんです」
「……」
今度はきっと俺の方がきょとんとした顔をしているだろう。
そんな俺を見て、ハルトはにっこりと続ける。
「簡単に言っちゃうと、コウ先輩のことが好きなんで、俺」
「……は?」
(好き……?)
「うん、やっぱこれが一番しっくり来るな」
ひとりで納得したようにうんうん頷いているハルト。
その視線が再び俺の方へ戻ってくる。
「先輩は?」
「え?」
「コウ先輩は、俺のこと好きです?」
「そ、そりゃ、好きだけど」
嫌いだったら、とっくに逃げ出している。朝の電車の時間だって変えるし放課後もさっさとひとりで帰る。
戸惑ったり困ったりすることは多々あるけれど、人としてハルトのことは凄いと尊敬しているし、好きだ。
すると、ハルトははにかむようにして笑った。
「あは、良かった。じゃあ俺たち両想いですね」
「あ、あぁ」
そんな言い方をされるとなんだかちょっとムズ痒いけれど、俺も一緒に照れ笑いを浮かべた。
ハルトが嬉しそうで、俺も嬉しかった。
人から面と向かって「好き」なんて言われるのは初めてで、正直俺は浮かれた。
『月灯』に対してコメントで「好き」と言われるのも勿論嬉しい。けれど、それとはまた全然違う。
俺自身を、『森光輝』を好きだと言われることがこんなにも嬉しいなんて。
今ならなんだって出来る気がした。コミュ症だって克服できる気がした。
――だから。
学校に着いてハルトと別れた後、俺の下駄箱に入っていたそのメモを見た時には本気で冷や水をぶっかけられたような気分になった。
『晴翔くんから離れろ。ウザい。身の程を知れ』
赤いマジックで殴り書きされた短いそれは、俺の浮かれた気持ちをどん底にまで落ち込ませるに十分な力があった。
いじめに遭っていた頃の記憶が一気にフラッシュバックした。周囲からクスクスと笑われているような幻聴が聞こえた。足が震えて立っていられなくなって俺はその場に座り込んだ。
(わかってるよ。そんなの、一番俺がわかってる。……わかってたのに)
彼の優しさに甘えてしまった。
友達だと言ってもらえて、好きだと言ってもらえて、身の程をわきまえずいい気になってしまった。
あいつは、俺なんかが隣にいていい奴じゃなかったのに。
「ごめんなさい……すみません……」
――もう、ハルトには……天海には近づかないから。
許してください。



