「――は!? 今、天海晴翔って言った!?」
帰宅した妹の部屋にお邪魔し天海の話をすると、妹はクワっと目を見開いた。
「い、言ったけど」
「は!? 晴翔くんがお兄のファンで? 私の絵をロック画面にしてくれてるって言ったの!?」
「あ、ああ」
俺がその反応に驚きながら頷くと、美月はふらりと揺れながら力なく自分のベッドに腰を下ろした。
――あの後。
HRが終わり教室を出ると、宣言通り天海は廊下で俺のことを待っていてくれた。
笑顔で手を振られ、俺もつい釣られて手を振ってしまった。
こんな友達同士みたいなやりとり初めてで、正直少し心が浮かれた。
しかし、そこから電車内で別れるまでの間、天海の口から出るのはやっぱり『月灯』の話ばかりで、やっぱり俺は色々な感情に耐えなければならなかった。
お蔭で帰宅してからドっと疲れ、美月が帰って来るまで自室で横になっていたのだが。
「晴翔くんが……私の絵を……」
うわ言のように呟いている美月に俺は訊く。
「天海のこと、知ってるのか?」
そういえば、美月も天海も同じ高1だ。
もしかしたらどこかに接点があるのかもしれない。ふたりとも陽キャだし。
そう思ったのだが、美月はまたそこでぎょっと目を剥いて俺を見上げた。
「はぁ!? まさか晴翔くんのこと知らないのお兄!」
「え……?」
俺が目を瞬いていると美月は「はぁ〜」と大きな溜息を吐いてから手にしたスマホを素早く操作し俺に見せてきた。
「あ、天海」
そこにはつい先ほどまで話していた天海が爽やかスマイルで映っていた。
「天海晴翔くん! インスクフォロワー数5万人越えのモデルもやってる所謂インフルエンサー!」
「……え!?」
今度目を剥き驚いたのは俺の方だ。
天海がそんな有名人だったなんて全然知らなかった。
俺はインスクなんてキラキラしたSNSは見ないし登録もしていない。
でも考えてみたらあの顔面とコミュ力。むしろあれで凡人という方がおかしい。
ということは、今日クラスの奴らからの視線は、「なんでクラス一の陰キャがあんなイケメンと?」ではなく、「なんであの天海くんがあんな陰キャと?」だったわけか。
どちらにしても、不釣り合い過ぎて視線を集めていたわけだ。
美月が眉間を押さえながら言う。
「そっか、お兄、一緒の高校だったんだ」
「……だったみたいだ」
「……もしかして、晴翔くんと連絡先交換とかしたの?」
こくりと頷くと、美月はがくりと俯いた。
「……私、ここまで誰かに『lua』は私ですって言いたくなったの初めてかもしんない」
「だ、ダメだろ! 俺までバレる!」
「わかってる……わかってるんだけど、あーめっちゃジレンマーー! 晴翔くんとお近づきになれるチャンスなのにーー!」
頭を抱え叫んだ後で、美月はハッとしたように俺を見た。
「晴翔くんと友達になったんだよね、お兄」
「ま、まぁ、一応……?」
「もし、もしね、晴翔くんがウチに遊びに来るなんてことがもしあったら、絶対に教えて! 絶対に家にいるようにするから!!」
「わ、わかった……」
その勢いに気圧されるように俺は頷いていた。
(てか、ウチに来るまで仲良くなるなんてことはないだろ)
そう内心で思いながら。
天海の方が余っ程有名人だったわけか。
でも、そんな天海の推しは『月灯』なわけで。
改めて、胸のあたりがなんだかムズムズとした。嬉しいが、やっぱり恥ずかしい。
寝るばかりになりベッドで昨夜上げた動画のコメントを見ていると、ポコンと音を立ててメッセージアプリの通知が届いた。
天海からだ。
『森先輩こんばんは。今日はたくさん月灯の話が出来て楽しかったです。ありがとうございました』
律儀だなぁと思った。電車で別れる際にもほぼ同じことを言われた気がする。
こういうところが好かれる理由なんだろう。
どう返信しようか考えていると、続けてメッセージが入った。
『明日も同じ電車ですか?』
「!?」
焦る。
これは、どう見ても明日も一緒に行こうという誘いではないか。
女の子ならきっとドキっとしてしまうシチュエーションだろうが、明日もまた今日のように羞恥と本当のことを言えない罪悪感と戦わないといけないのだと思ったら手が止まった。
しかし既読はもう付けてしまった。早く返信しないとまずい。でも、どうしよう。
「~~っ」
俺はミスを連発しながらメッセージを打っていく。
『こっちこそ楽しかった。明日も同じ電車の予定。寝坊しなければ』
明日やっぱり無理だと思ったら寝坊したことにすればいい。
そうしっかり予防線を張って、何度も見直してから俺は送信した。
するとすぐに既読マークが付いた。
『了解です。もし会えたらまた一緒に登校出来たら嬉しいです』
そして「おやすみなさい」と可愛らしい猫のスタンプが送られてきた。
はぁ~と息を吐いて、俺はベッドの上で大の字になる。
「というか、あいつ俺なんかと一緒にいて楽しいか?」
思わず声が出ていた。
好きな話が出来るのは確かに楽しいだろうが、相手はこの俺だ。
面白い返しが出来るわけでもないし、ほぼ相槌を打つことしか出来ない。
(それにそんだけ人気なら友達だってたくさんいそうなのに、月灯の話が出来るからって朝も昼も帰りも俺とっておかしくないか?)
なんなら彼女だっていそうなのに……。
「イケメン、わっかんね~~」
そうぼやいて俺は寝返りを打った。
……それにしても、今日は疲れた。
こんなに家族以外の誰かと話したのは何年振りだったろう。
お蔭ですぐにうとうととしてきて、俺はもう寝ようと眼鏡を外した。
いつもなら眠くなるまでずっと『月灯』の動画コメントを見ているのに。
そして、俺はいつもより大分早く眠りについたのだった。
***
翌日朝、結局俺はいつもと同じ電車のいつもの車両に乗っていた。
朝飯を食べながら美月に言われたのだ。
「折角そんなガチファンと話せる機会が出来たんだから、今回の新曲どうだったとか色々聞いて今後に活かさなきゃ!」
確かに。
そんなこと全然考えていなかった。
でもその後で美月は続けた。
「お兄が嫌なら私がその電車に乗りたいくらいなんだけど。え、何時発だっけ?」
「い、いや、お前電車違うだろ」
その目がガチで、俺は顔を引きつらせながら小さくツッコミを入れていた。
(そういえば天海ってどこから乗ってくるんだ?)
そう思いながらスマホを見ていると、駅が近いのか丁度隣の席が空いてすぐに別の奴が座ってきた。
「おはようございます、先輩」
「えっ!?」
隣の席に座ってきたのは天海だった。
「そんなにびっくりします?」
「や、だって、いつから」
「アハハ、先輩見つけて徐々に近づいてました」
(こっわ! メ○ーさんかよ!)
「丁度先輩の隣空いてラッキーでした」
「そ、そっか」
空笑いしながら、俺は気づいてしまった。
周囲の学生たちの、特に女子の視線がこちらに集まっていることに。
(やっぱこいつ、有名人なんだ)
一気に肩身が狭くなって、俺は俯いた。
しかしそんなことお構い無しに天海は俺に話しかけてくる。
「そうだ、先輩。光輝先輩って呼んでもいいですか?」
「だ、ダメだ!」
思わず即答すると、流石に天海は驚いた顔をした。
慌てて謝り弁解する。
「……あ、ごめん、その……この名前、俺に全然合ってなくて好きじゃなくて……」
「そうなんですか? 良い名前なのに。うーん、じゃあ、コウ先輩ならどうです?」
「え……」
にこにこと言われて、そういえばガキの頃は友達に「コウ」と呼ばれていたことを思い出した。
「ま、まぁ、それなら……」
「良かった! じゃあコウ先輩、俺のことはハルトって呼んでくださいね」
「え、」
期待するようにこちらをじっと見つめる天海に、俺はゆっくりとその名を口にする。
「……は、ハルト……?」
「はい!」
満面の笑みで返事をされて、俺も釣られて笑顔をつくった。
(……な、なんだこの恥ずかしいやり取りはーー!?)
じわじわと顔が熱くなってきて、俺は眼鏡を直すふりをして慌てて顔を隠した。
……人を名前で呼ぶなんて、いつぶりだろうか。
それこそ小学生以来かもしれなかった。
それからまた天海……ハルトの『月灯』語りが始まり、あっという間に学校の最寄り駅に着いた。
そこから10分ほどの距離を並んで歩きながら、同じ制服を着た生徒たちの視線を痛いほどに感じた。
(なんで俺、昨日はこれに気付かなかったんだろ……)
昨日はハルトとの会話でいっぱいいっぱいだったのだ。
流石に耐えられなくなり、俺は意を決した。
「だから、月灯はやっぱりああいう曲がぴったりだと思うんですよね」
「あ、あのさ、」
「はい、なんです?」
「あ……ごめん、俺、昨日は知らなかったんだけど、……は、ハルトって有名人なんだな」
するとハルトは目を大きく見開いてから恥ずかしそうに笑い前を向いた。
「有名人て、そんなんじゃないですよ」
「いや、だって、みんなすげぇこっち見てくるし」
「そうですか? 気のせいですよ」
気のせいなわけないだろと思いながら、俺は続ける。
「そんなお前がさ、俺みたいのと一緒にいたら、なんつーか、イメージ悪くならないか?」
「……イメージってなんです」
「え?」
ハルトが急に足を止めた。
俯いてしまったせいで前髪がかかりその表情は見えないが、口調が怒っているように聞こえて俺は慌てた。
「や、だから、俺なんかと一緒にいない方がいいんじゃないかな~と」
「コウ先輩」
顔を上げたハルトは笑っていた。
「俺たち、友達ですよね?」
「え? あ、ああ」
「俺は友達と一緒にいるんです。何かおかしいですか?」
「や、おかしくはないけど……」
「ですよね! じゃあ、行きましょう!」
そうしてハルトは俺の手を取ってまた歩き出した。
――は?
「そうだ、一昨日上がった新曲、今までとちょっと路線が違いますよね」
「え、あ、あぁ」
そう答えながらも、俺はハルトに引っ張られている自分の手を凝視していた。
(は? なんで手繋いでんの? 友達と手繋ぐか普通?)
女子ならまだしもだ。
でもその手を振り払うことも出来ず、俺は更なる視線を感じながら昨日ハルトが自分で言っていた言葉を思い出していた。
――俺、どうも人との距離感バグってるらしくて――
(こういうことか!?)
学校まであと5分ほどの距離が、やたら遠く長く感じられた。



