俺には誰にも言えない秘密がある。
それは、俺がSNS上で今話題の謎に包まれた歌い手『月灯』であること。
月灯の素顔は非公開。性別、年齢も非公開。
公開されているのはその歌声と立ち絵のみである。
そして月灯の正体、中の人である俺は森光輝。17歳、高2。
キラキラと眩しそうな名前だが眼鏡が手放せないド近眼なド陰キャである。
これまでの人生で「友達」と呼べる相手がいたのは小学生の低学年まで。
小3でイジメにあったのが原因で、それから人との付き合いが苦手になった。
所謂コミュ症というやつだ。
そんな俺の秘密の歌い手活動はひょんなことから始まった。
「お兄、歌い手やってみない?」
「は?」
俺とは正反対の陽キャでギャルな妹、美月(当時中3)からそんなふうに言われたのは去年の春、高校に入学してすぐの頃だった。
勿論最初は断った。
ネット上で自分を晒すなんて冗談じゃない。
でも美月はこう続けたのだ。
「顔出ししなきゃいいじゃん。今そんな人いくらでもいるし」
「いや、てかなんで俺が。やりたかったらお前が自分でやればいいだろ」
すると妹は「はぁ」と大きなため息を吐いて言った。
「お兄はさ、昔っから友達全然いないド陰キャじゃん?」
「ぅぐっ」
遠慮なくグサリと胸に刺さる台詞を放った後で妹はこう続けた。
「でも歌だけは上手いじゃん」
「そ、そうか?」
いきなり持ち上げられて、俺はちょっと舞い上がってしまった。
美月が俺を褒めるなんて滅多にない。というかこれが初めてかもしれない。
「そこだけは、自信持っていいと思うんだよね」
そこだけ、をめちゃくちゃ強調されたけれど。
少しその気になってしまった俺だったが、しかしすぐに思い直した。
「でも俺、録音の仕方とか動画の作り方とか全然わからねーし」
「そこであたしの出番よ」
「え?」
「立ち絵ならあたしが描けるし」
美月は昔から絵が上手い。
それこそSNSにしょっちゅう描いたイラストを上げているようで結構人気があるらしい。
そんな妹がにぃっと笑った。
「だからさ、あたしが「お兄プロデュース」やったげる!」
それが始まり。
まんまと妹の策略にハマった感はあるけれど、言われるままお試しでSNSに上げてみた動画がまさかの大バズリしてしまったのである。
『声キレイ過ぎ』
『え、これ男? 女?』
『癒される歌声』
『これは伸びる』
止まらない通知に驚きすぎて何も言えなくなっている俺の代わりに美月がめちゃくちゃ喜んだ。
ちなみに美月は『月灯』のデザインを男か女か分からないような中性的なキャラに仕上げてくれた。
「ほら、思った通り! バズったんなら次も即上げなきゃ! お兄、次何歌う!?」
美月も自分の描いたイラストが注目されて嬉しいようだった。
はじめはスマホ録音だったのが徐々にマイクや機材を揃えていき、美月の編集スキルもどんどん上がっていった。
「お兄、そろそろ顔出ししてみる?」
「は!? いやいや絶対ムリ!」
俺は全力で断った。
最近よく『素顔が気になる』系のコメントが増えてきたのだ。
ちなみにまだ性別も明らかにしていない。
「じゃあ、歌以外にそろそろ雑談枠とか」
「コミュ症の俺に雑談なんか出来るわけねーだろ!」
「ですよねー」
「それに喋ったら流石に男だってバレるし、話し方で俺だってこともバレるかもしれねーだろ!」
「まぁ、確かに」
妹は納得してくれたようで、俺はほっとした。
俺自身が出るなんて、せっかく人気の出てきた『月灯』に自分で泥を塗るようなものだ。
メディアからの取材や出演などの依頼も増えてきていたが全て丁重にお断りしていた。
(こうなったら、もう絶対にバレるわけにいかない)
『月灯』が有名になっていく毎にその気持ちは強くなっていった。
そんなこんなで、秘密の歌い手活動を始めて早一年半が過ぎていた。
ただ、ネット上で人気になったところで、普段の俺の生活は何も変わっていなかった。
日々の楽しみは出来たけれど、長年拗らせてきたコミュ症はなかなか治るものではない。
高校では相変わらず、ぼっちな陰キャ生活を送っている。
しかし、ある日のこと。
俺はまさかの大失敗をした。
朝、電車の中でうつらうつらしていたら、うっかりスマホが手から滑り落ちてしまったのだ。
思いの外勢いよくすっ飛んでいってしまった俺のスマホは、斜め前に立っていた人の靴で止まった。
(はっず……!)
しかもそれはうちの学校の男子生徒で、ネクタイの色で一年生だとわかった。
そいつは俺のスマホを拾い上げると、すぐに俺に返してくれた。
「す、すみません」
「いえ」
そいつはにっこりと笑った。
その笑顔を見て、俺はあまりの爽やかさに不覚にもドキリとしてしまった。
(イケメンの笑顔、半端ねー)
そう、彼はガチのイケメンだった。
背もすらっと長身で、清潔感もあって、何より笑顔の破壊力が凄まじかった。
さぞやモテることだろう。
(俺が女だったら今ので惚れてたかもな)
しかし、返してもらったスマホに目を落として俺はヒッと悲鳴を上げそうになった。
スマホ画面には『月灯』の動画が流れていた。
先ほどまで、つい昨夜上げたばかりの新曲動画のコメントをチェックしていたことを思い出した。
(み、見られた? や、でも動画見てただけだし、まさか身バレはないよな……?)
そう自分を落ち着かせて俺はスマホをバッグに仕舞った。
間もなくして学校の最寄り駅に着くと、俺は先ほどの奴の顔を見ないように素早くホームに降りた。
そのまま改札に向かおうとして。
「あの、すみません!」
「!?」
後ろから掛かった覚えのある声にぎくりとして、ゆっくりと振り返ると案の定先ほどの爽やかイケメンが俺を見ていた。
「な、なにか?」
「あの、さっき、ちらっとスマホ画面見えちゃったんですが」
ひゅっと息を吸い込む。
「もしかして、月灯の」
――あ、終わった。と思った。
『月灯』の正体がこんなド陰キャの冴えない男なんて、俺の歌い手活動もこれで終了だと覚悟を決めた。しかし。
「ファンですか?」
「……へ?」
彼の目はなぜかキラキラと輝いていた。
(ファン……?)
「実は俺も月灯の大ファンで!」
そうして彼は興奮したように自分のスマホのロック画面を見せてきた。
そこには妹が描いてくれた『月灯』のイラストがババンと映っていて、顔が熱くなった。
実際に面と向かってファンと話すのはこれが初めてだ。
なんと答えていいかわからず、でもとりあえず身バレしたわけではなさそうだとわかり、俺はこくりと頷いていた。
すると彼は更に目を輝かせた。
「やっぱり! 同じ学校で月灯ファン見つけたの初めてだ! えっと、2年生、ですよね?」
俺のネクタイを見て彼は言った。
「あ、ああ」
「やっべ、マジで嬉しいです!」
「そ、そっか。……じゃ、じゃあ俺、急ぐから」
から笑いをしながらそそくさと去ろうとすると、彼はそんな俺に思い切るように続けた。
「あ、あの!」
「え?」
「その、良かったら俺と友達になってくれませんか?」
「…………は?」
大分長い間を開けて、俺は呆けた声を出していた。
***
「せんぱーい!」
昼休み、いつものように教室でぼっち弁当を広げようとしていたときだ。
廊下の方からそんなデカイ声が飛び込んできてギクリとした。
(こ、この声は、まさか……)
「森せんぱーい!」
今度は名指しで呼ばれ恐る恐る視線を送ると、案の定、朝のあの一年が俺に向かってブンブン手を振っていて。
「お昼、一緒に食べませんかー?」
爽やかな笑顔でそう続けた。
クラス中の視線が俺に集中していた。
そりゃそうだ。クラス一の陰キャがあんな爽やかイケメンにランチに誘われているなんてちょっとした事件である。
――どういうこと?
――なんで、あいつ?
――どういう関係?
そんな皆の心の声が聞こえてくるようだった。
行きたくなんてなかったが、この場にも居られなくなり、俺は慌てて弁当を持って廊下に出た。
「こんな呼び出し方はやめてくれ」そう言おうとしたが、それよりも早く彼は嬉しそうに言った。
「よかった。朝あんまり話せなかったから、もっと先輩と話したくて」
「え、えーとな、」
「今日天気いいし、屋上とかどうです?」
「あ、ああ」
「じゃあ行きましょう!」
……結局、何も言えないまま俺は彼について行くかたちになってしまった。
彼の名前は天海晴翔と言うそうだ。俺とは違い、まさに名は体を表す、彼にぴったりな名前だと思った。
そんな彼から今朝友達になってくださいと言われた俺は、ちゃんとその言葉を理解しないまま、つい「あ、ああ」と返事をしてしまったのだ。
――いや、なにOKしてんだ俺…!?
そう気がついたのは、学校に着いて昇降口で彼と別れてからだった。
それまであいつはとにかくずっと喋り通しだった。
対して俺は「ああ」とか「うん」と「へぇ」とか、そんな相槌しか打たなかったように思う。
というか、そういう反応しか出来なかったのだ。
天海の話はほぼ『月灯』への賛辞だった。
それを聞いているのが『月灯』本人とも知らずに。
「月灯の歌を子守唄にいつも寝てるんです、俺」
「特に好きなのが去年の12月にアップされた6曲目で……」
「謎に包まれたところがまたいいんですよねぇ」
嬉しい気持ちは勿論あるが、それ以上に恥ずかしくて堪らなかった。
しかもその感情を隠さなければいけないのだ。
コミュ症の俺にはめちゃくちゃ難易度が高かった。
(なのに、朝あまり話せなかったから、だと……?)
まだこれ以上話すことがあるのかと、俺は屋上への階段を上りながら戦慄した。
天海の『月灯』ガチファンぶりは想像以上だった。
「で、あの歌は最初の息遣いがガチで最高なんですよ、わかります?」
「あ、ああ」
「あの息遣いだけで俺白飯3杯行けます」
「そ、そりゃ、凄いな」
(こいつ、こんなこと言っちゃってるけど、俺が本人だって知ったらどうなっちまうんだ!?)
俺だったら恥ずかしぬ。
別の意味でヒヤヒヤしてきて、お蔭でこっちは弁当の味が全くしなかった。今日のおかずは俺の好きな唐揚げだというのに。
ちなみに天海は購買のコロッケパンを食べ終え、今はコーヒー牛乳を飲みながら話している。
屋上には俺ら以外にも生徒はいて、やっぱりちらちらと見られているのがわかった。
(そりゃ気になるよな……正反対のふたり過ぎて)
「え、森先輩はいつ頃から『月灯』のファンなんですか?」
「え?」
急にこちらに話を振られて箸が止まった。
「俺ね、結構古参なんですよ?」
「え、えっと、俺は……」
(え、これはどう答えるのが正解だ……?)
妹情報によるとファンの間では古参マウントというものが存在しているらしい。
本人である俺がある意味最古参であるわけだけど。
天海がどういう奴かまだよくわからないので正解がわからない。
なので俺は無難なところにしておいた。
「確か、4曲目くらい、だったかな?」
「そうなんですね。俺、実は2曲目です!」
天海がドヤ顔でピースサインを作り、俺はとりあえずホッとする。
同時に、そんな前から知ってくれていたんだなとムズ痒くなった。
「それは、確かに古参だな」
「でしょ? でも4曲目わかります! あそこから音質がぐっと良くなったんですよね! 『月灯』の声がよりクリアになって、多分あの曲からマイク録音にしてくれたんだと思うんですよ。マジ感謝って感じです!」
そう、確かにあの曲からスマホ録音からマイク録音に変えたのだ。
特にそれをどこかに明記してはいないのだが、ファンの間ではそれが定説となっている。
「それに、専属絵師の『lua』さんのイラストも俺あれが一番好きで」
『lua』とは妹の絵師名だ。確か、どこかの国の言葉で「月」だったと思った。
そういえば、朝見せられた天海のスマホのロック画面はそのイラストだったなと思い出す。
(あいつに言ったら喜ぶだろうな)
帰宅したら話してやろうと思った。
――と、そのとき昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴り響いた。
(あー、やっと終わった。これで解放される)
「えー、もう終わりかー。まだ全然話し足りないのにな」
「えっ」
思わず声が出てしまっていた。
(これだけ話してまだ足りないのか!?)
すると、天海は俺の方に膝を向けて言った。
「森先輩。今日放課後って何か用事あります?」
「え? や、別にないけど……」
帰宅部なので、いつも放課後は真っ直ぐ家に帰る。
「じゃあ一緒に帰りませんか? 電車一緒ですし!」
(か、帰りも!?)
やっと解放されると思ったのに、まだ続くのかと顔に出てしまったかもしれない。
「え、えーと」
俺が答えに窮していると、天海の顔がはじめて曇った。
「あ……すみません、あの、迷惑だったら言ってくださいね。俺、どうも人との距離感バグってるらしくて、よく注意されるんです」
そうして頭に手をやり苦笑した天海を見たら、NOなんて言えるわけがなかった。
「全然、迷惑なんてないから。お、俺も、『月灯』の話出来て嬉しいし」
恥ずかしさの方が何倍も大きいけれど。
すると、天海の顔が再びぱーっと輝いた。
「良かった! じゃあ放課後、教室まで迎えに行きますね!」
その笑顔が本当に眩しくて。
(イケメン、ずっりぃ~~!)
俺は思わず目を細めていた。



