(こんなのワンパンで終わらせたいんだが……)

 マオは渋い顔で、頭上を飛び回るリリィを見上げる。

(ダメです! 勝つのが目的ではありません。あくまでもウケるキャラで人気を得るのが最優先です!)

 リリィは必死にブンブンと腕を振った。

(人気……余にはよくわからん概念だ……)

 マオは深い、深いため息をつく。そして、ようやく重い腰を上げるように、背中の大剣に手をかけた。

「……あー、めんどくさい」

 心の底からの本音が、思わず口から漏れる。

〔お、ついに剣を!〕
〔剣士要素きた!〕
〔でもあの大剣、振れるの?〕
〔身長より長いぞw〕

 ジャリィン……

 重厚な金属音が、石造りの部屋に響き渡る。
 鞘から姿を現したのは、まさに規格外の大剣だった。

 刀身の幅は三十センチ、長さは百八十センチ。マオの小さな体より長い、漆黒の刃。刀身に刻まれた古代ルーン文字が、血のように薄く赤い光を放っている。その重量は、普通の人間なら持ち上げることすら困難だろう。

 しかし――

 マオは片手で、まるで木の枝のように、いとも簡単に構えてみせた。

「悪いが一撃で終わらせる」

 その瞬間――マオの深紅の瞳が、ギラリと妖しい光を放った。

 それは、かつて大陸を恐怖に陥れた魔王の眼光。ただし今は、美少女の愛らしい顔に宿っているという、奇妙なアンバランスさを持って。

 グァァァァァ!

 オーガが地響きのような咆哮を上げた。

 その巨体が地を蹴る。ドスン、ドスンと床が震え、天井からパラパラと小石が落ちてきた。まるで暴走する機関車のようにものすごい速度で突進してくるオーガ。

 グァッ!!

 筋肉が盛り上がり、血管が浮き出る。オーガは全身の力を棍棒に込め、目にもとまらぬ速さで振り下ろした――

〔ああっ!〕
〔マオちゃーーーーん!〕
〔避けてぇ!〕

 ズガァン!

 耳をつんざく轟音。

 棍棒が床に激突し、石床が爆発したかのように粉々に砕け散り、土煙が濛々と舞い上がる。まるで小規模な地震が起きたかのような衝撃が、ダンジョン全体を揺るがした。

 しかし――

 そこにマオの姿はなかった。

 いや、正確には――マオは既に空中にいた。

 後方に跳んだ勢いのまま、石の壁を蹴り、三角飛びの要領で一気にオーガの頭上へと舞い上がっていたのだ。銀髪が月光を浴びたように煌めき、ドレスの裾が花のように広がる。

 その姿は、まるで死を運ぶ天使のようだった。

「死ねぃ!!」

 普段の無表情からは想像もつかない、獰猛な叫び。

 マオが大剣を振り下ろす――。

 ズバッ!と一閃。

 時が、一瞬止まったかのような静寂。

 そして――。

 オーガの巨体が、脳天から股下まで、真っ二つに切断された。

「グ……オ……?」

 困惑と理解不能の声。オーガは自分に何が起きたのか、最後まで分からなかった。

 ズルリ、と左右に体が割れ始め、ドサリという重い音と共に、二つになった巨体が床に崩れ落ちていく――。

 ボス部屋に、死の静寂が訪れた。

 たった一撃で、C級ダンジョンの主が沈黙したのだ。一般にはパーティがチームプレーで少しずつHPを削り、一時間くらいかけて倒すのがセオリーのオーガが瞬殺だったのだ。

〔!?!?!?!?〕
〔は?〕
〔ワンパン?〕
〔強すぎて草〕
〔これバグだろ〕
〔チートかよ〕
〔マオちゃーーーーん!!〕
〔神だ!〕
〔伝説を見た〕
『〇〇さんが20ゴールドをスパチャしました!』
『△△さんが10ゴールドをスパチャしました!』
『□□さんが10ゴールドをスパチャしました!』
『××さんが50ゴールドをスパチャしました!』

 画面がスパチャの通知で埋め尽くされていく。エフェクトが次々と炸裂し、まるで祝砲のようである。一ゴールドは日本円にして五百円相当。万円単位のスパチャが乱舞したのだった。

【同接:5892人】

 気がつけば、視聴者数が五千人を突破していた。初配信でこの数字は、まさに異例中の異例だった。

「出ました! RTA新記録! 二十三分十五秒! ぶっちぎりの歴代最速!!」

 リリィが興奮のあまり、空中で何度も宙返りをしながら叫ぶ。小さな羽がキラキラと光の微粒子を撒き散らし、まるで祝福の雨のようだった。

「やったぁ! マオちゃん! 大記録でーーす!!」

(やりましたよ! 陛下! バンバン儲かってます!!)

 リリィの念話は歓喜に満ちていた。

(余は雑魚を倒しただけなんだが? なぜ儲かるのか……?)

 マオはつまらなそうに、ブスッとした顔で突っ立っている。倒したオーガの死体を見下ろし、まるで踏み潰した虫でも見るような、物足りなさそうな表情だった。

(陛下! 何やってるんですか! 早く決めポーズ!)

(え? あれ、本当にやるのか?)

(今やらずにいつやるんですか!!)

 リリィは焦れったそうに、マオの銀髪をパシパシと小さな手で叩いた。

(くぅぅぅ、あんなものを公衆の面前に晒さねばならんとは……余の威厳が……魔王の誇りが……)

 内心の葛藤は凄まじかった。五百年の時を生きた魔王としてのプライドが、激しく抵抗している。

 しかし――

 魔王軍の困窮を救うためなら何でもせねばならないのだ。