「おい! マオ! 聞いてんの?」

 パンパンパン!

 肩を叩かれる感触が、マオを現実へと引き戻す。

 気が付くと、シアンが苛立たしげに、マオの肩を何度も叩いていた。

「え、あれ……? (ドット)は……?」

 マオは混乱した頭を振る。

「何を寝ぼけてるんだよ! (ドット)って何だよ?! 」

 シアンの声が、ヒステリックに跳ね上がった。

 マオは慌てて周囲を見回し――息を呑む。

 渋谷の夜景。ネオンの光。

 戻ってきた――――。

 あの無限の宇宙から、この世界へ。

 しかし――。

 何かが、決定的に違う。

 ピンクのドレスは、まるで今仕立てたばかりのように美しく輝いている。血の一滴も、汚れ一つもない。

 胸に手を当てれば肋骨は全て揃っている。傷一つない。

 それどころか――全身に、今まで感じたことのない生命力が満ち溢れていた。

 血管を流れる血が歌うように躍動し、細胞の一つ一つが光を放っているかのよう。五百年の魔王人生で、こんなに身体が軽く、力に満ちたことはなかった。

 そして何より――頭が、恐ろしいほどクリアだった。

 この日本という国の成り立ち。技術の仕組み。経済の流れ。文化の本質。

 全てが、まるで生まれた時から知っていたかのように、手に取るように理解できる。

 女神の琥珀色の瞳の奥で輝く力の正体も、シアンの青い髪に宿る神性の源も、全てが、透けて見える。

 (これが……)

 マオは震える手を見つめた。

 ((ドット)のくれた加護……)

 あの宇宙での絶望に塗れた苦闘の時間――――。

 しかし、この世界では一瞬。時の流れすら、あの存在の前では意味を持たないのか?

「ふわっはっはっは!」

 心の底からこみあげる笑みにマオは身をゆだねた。

「そうか、おっけー、そういうことなら……」

 深紅の瞳が、炎のように輝き始める。

「余がイノベーションの起こる世界に変えてやる!」

 声に絶対的な自信を込め、女神の目を真っ直ぐに見据えた。

「ほう……?」

 女神の完璧な眉が、わずかに顰められる。琥珀色の瞳に、警戒の色が浮かんだ。

「どうやって……やるつもりか?」

「分からん!」

 マオはあっけらかんと言い放った。

「だが、そこはリリスに手伝ってもらうのでな」

 ニヤッと笑ってシアンを見る。

「はぁっ!?」

 シアンが素っ頓狂な声を上げる。

「何言ってんの! もう僕は絶対嫌だからね!」

 腕を組み、プイッと子供のように横を向いた。青い髪が、怒りでふわりと逆立つ。

「じゃあ」

 マオの笑みが、さらに深くなった。

「勝った方の言うことを聞く、というのはどうだ?」

 挑発的な提案が、夜風に乗って響く。

「へっ!?」

 シアンの碧眼に、侮蔑の光が宿った。

「いいけど……あんた、バカなの?」

 鼻で嗤う。

「あんたの攻撃なんて、全く効かないのよ? この僕に勝てるとでも思ってるの?」

 シアンは勝ち誇ったように胸を張る。

熾天使(セラフ)に、ただの魔王が挑むなんて、千年早いわよ」

「そうか?」

 マオは首をゆっくりと傾げた。

 そして、すっと腕を宙へと伸ばす――――。

 その動作は、あまりにも自然で、優雅だった。

「天誅!」

 バシィィィィィンッ!

 紫色の稲妻が、天から降り注ぐ。

 神の裁きの雷が、あっさりとシアンを貫いた。

「ぎゃあああああ!」

 シアンの絶叫が、夜空を切り裂く。

 青い髪が爆発したように逆立ち、全身から煙が立ち上る。シルバーのボディスーツは焼け焦げ、ボロボロに破れた。

「ごほぉぉぉ……」

 力なく呟きながら、シアンは黒焦げになって墜落していく。

「ま、魔王……」

 女神の声が、完全に震えていた。琥珀色の瞳が、信じられないものを見るように見開かれる。

「お、お前まさか……」

 その美しい顔に、初めて本物の恐怖が浮かんだ。

「そう」

 マオは満足そうに微笑む。

「直談判は、してみるものだな。くっくっく……」

 低い笑い声が、勝利の宣言のように響く。

 しかし、その瞳の奥には――。

 宇宙の深淵を覗いてしまった者だけが持つ、言葉にできない重みが宿っていた。

 世界を守るために、自らの命を賭けた魔王。

 そして今、新たな力を得て帰還した、世界の管理者。

 物語は、ここから新たな章を刻み始める――。