「はぁぁぁぁっ!」

 絶叫と共に、巨大な魔法陣の一部を火焔が吹き飛ばしていく。古代ルーンが砕け散り、幾何学模様が歪む。

 ヴゥゥゥゥンッ!

 不完全になった魔法陣が、断末魔の叫びを上げながら暴走を始める。真紅の稲妻が四方八方にほとばしり、制御を失った莫大なエネルギーが吹っ飛び、まるで巨大隕石の落下のように近くの山脈へと着弾した。

 刹那、天と地が眩い光で埋め尽くされる――。

 山が、消えた――――。

 文字通り、蒸発してしまったのだ。

 百万年の風雪に耐えてきた山脈が、一瞬で原子レベルまで分解され、虚無と化す。もしマオが魔法陣を破壊していなければ、この光景は人々の頭上で起きていただろう。

 熱線が大気を焼き、衝撃波が大地を抉る。

「きゃははは!」

 シアンの狂気じみた笑い声が、阿鼻叫喚の中に響き渡る。

「楽しいなぁ! 久しぶりに身体を動かすと、血が騒ぐ! くふふふ……」

 そして――。

 ドォォォォンッ!

 衝撃波が津波のように全てを薙ぎ払いながら迫ってくる。

「ま、まずい!」

 マオは焦った。あんなものを喰らったら全滅ではないか。

 しかし――あんな怒涛の如く押し寄せる衝撃波を止める方法など思いつかなかった。

 守ろうとしたのに失われてしまう――――。

 くぅぅぅ……。

 マオは自分の無力さにただ打ちひしがれていた。

 次の瞬間だった――なんと巨大な透明のドームが会場を覆っていくではないか。

「えっ、ま、まさか……」

 見れば、聖女がステージの上で、全身から神聖な光を迸らせながら必死に祈りを捧げている。額には玉のような汗が浮かび、その手は震えていた。

「エリザベータ……お主……」

 聖なる光の障壁が、破壊の波を受け止めていく――――。

 聖女の頑張りにマオはハッとする。

 悩んでる場合ではない。なんとしても、この狂った熾天使(セラフ)を止めねばならない。

「倒せぬとて、突破口を見つけねば……!」

 マオは、持てる全てを発揮して、ありとあらゆる攻撃を解き放っていった。

 業火の雨、氷河の槍、雷神の怒り、重力の檻――五百年の戦いで身につけた全ての魔法を、惜しみなく、容赦なくシアンへと叩き込む。

 熾天使(セラフ)とて、完全無欠ではあるまい。どこかに、必ず突破口があるはずだ――――。

 次々とシアンに命中していく超ド級の魔法たち。辺りは怒涛の魔法ラッシュでエネルギーが渦巻いていった。

 だが――。

「ふふっ」

 耳元で、甘い吐息。

「これでおしまい?」

 振り返る間もなかった。シアンは、いつの間にか背後で笑っていたのだ。

「へっ?」

 次の瞬間、マオの身体を激しい衝撃が襲い、爆発的に吹き飛ばされる。

 ごはっ!

 ドガァァァァンッ!と、少し離れた遺構に盛大に激突し、マオの身体は壁を貫通する――――。

 瓦礫が雪崩のように崩れ落ち、土煙が立ち込めた。

 ぐぅぅぅ……!

 マオはゴポッと血を吐きながら、震える手で瓦礫を押しのけた。肺に穴が開いたような激痛が走る。

 とっさに張ったシールドがなければ、肉片になっていた。だが、それでもあちこちの骨が砕け、内臓が破裂寸前である。

(圧倒的すぎる……)

 絶望が、黒い波のように心を呑み込んでいく。

 全力の攻撃が、まるで春風のように受け流される。これは戦いですらない。ただ、いたぶられているだけだ。

(やはり……創造主に逆らうなど……愚かだった……)

 意識が薄れていく。視界が赤く染まり、音が遠のいていく――――。

 だが――諦めたらもうそこで終わりである。最後まであがいてやる。あんなクソ天使の思い通りにさせてなるものか!

「痛ててて……」

 力を振り絞って瓦礫の中から身を起こした時――マオは強烈な違和感を覚えた。

「……へ?」

 痛みの中でも、周囲の異質さが意識を引き戻す。

「な、なんだこれは……」

 石造りの古代遺跡の中に、なぜか近代的な――いや、未来的な研究室が広がっていた。

 銀色に輝く金属の机。透明なガラスの装置。見たこともない文字が踊る光の板。まるで、別の世界から切り取られた空間のようだった。

 そして――。

 テーブルの中央に、一つの黒い板が静かに横たわっていた。

 手のひらサイズの漆黒のガラス板。表面は黒曜石のように滑らかで、触れると微かに――まるで生きているかのような温もりを感じる。

「なんだ? 魔道具……いや、違う……」

 マオは恐る恐る、その神秘的な板を手に取った。

 瞬間――。

 シャラーン♪

 澄み切った電子音が、まるで天使の歌声のように響き渡る。

 ガラスの中央に、白い(かじ)りかけのリンゴマークが、幽玄な光と共に浮かび上がった。

「う、動いた……。こ、これは……?」

 マオは初めて見る不思議なデザインのリンゴマークに目が釘付けとなる。

 一体このマークは何なのか? なぜ齧りかけなのか――――?

 続いて『ようこそ』という文字が、星のように輝きながら浮かび上がる。

「な、なんだ……? 魔道具が歓迎……している?」

 マオは困惑に眉を寄せた。

 今まで見てきたどの魔道具とも根本的に違う。魔力の流れも感じない。霊力も、神力も、何も感じない。まるで、この世界の理から完全に独立した、異界の物体のようだった。

 やがて画面に、小さな絵――アイコンが整然と並ぶ。

 その中に、血のように赤い丸ボタンのアイコンが、脈打つように点滅していた。

【緊急退避用】

 退避? 何から? 誰のための?

「そこで何やってんの? くふふふ……」

 シアンの声が、瓦礫の向こうから響いてくる。

 だが――。

「へっ!?」

 マオの手にあるものを見た瞬間、シアンの顔が劇的に変わった。

 血の気が引き、碧眼が大きく見開かれる――――。