「あ、あのですね!」

 リリィが慌てて話題を変えた。

「ダンジョンは魔王軍にとって神聖な場所です。さすがに一万では貸してくれないかと……。でも、十万ならどうでしょう? ダンジョン入場税を上げれば、すぐにペイできるかと……」

「確かに……」

 枢機卿が顎に手を当てる。

「大陸中から冒険者が集まれば、宿泊費、飲食代、装備の修理代……十万払ってもトータルでは大幅な黒字になりそうだな」

「じゃあ、十万で魔王軍に聞いてみますねっ!」

 リリィが嬉しそうにマオを見る。

「うむ、十万なら……話はつくだろう」

 マオは思わず顔をほころばせた。十万ゴールド。それだけあれば、兵士たちに温かい食事を――。

「ちょっと待ちなさい」

 聖女の冷たい声が、思考を断ち切った。

「何? あなたたち、魔王の知り合いなの? もしかして……魔王軍の関係者?」

 鋭い視線が、マオとリリィを射抜く。

「へっ!?」

 マオの心臓が、一瞬止まった。

「い、いやいや! 魔王なんて会ったこともないですよ!!」

 必死に手をぶんぶんと振る。冷や汗が、背中を流れ落ちた。

 刹那、聖女の瞳が黄金に輝いた。

 キラキラと光る粒子が、マオの周りを舞い始める。暖かく、そして恐ろしいほど純粋な神聖力の波動神威(ディヴァイン)真実(トゥルース)――――。

(う……! こ、これは……!)

 マオの全身が硬直した。嘘発見の神術。もし嘘をついていれば、光が赤く染まり、真実ならそのまま消える。

 永遠にも思える数秒が過ぎ――。

「……嘘は、ついてないわね」

 光の粒子が、静かに消えていった。聖女が、つまらなそうに唇を尖らせる。

(セーフ……!)

 マオは内心で安堵の息をついた。『魔王に会ったことがない』――自分で自分に会うことはできない。だから、嘘ではなかったのだ。もし『魔王軍の関係者ではない』と言っていたら、完全にアウトだった。

「嘘発見スキルをつかったな!?」

 マオは猛然と抗議した。

「いきなりそんなものを使うとは、失礼極まりない!」

「あら、失礼?」

 聖女は悪びれもせず、マオを睨み返した。

「だって、あんたのこと信用できないんだもの。素性も知れない小娘が、いきなり大金を要求してくるなんて怪しいじゃない」

「くっ……」

 怪しいのはその通り。自分は教国最大の敵、魔王なのだから。

「まぁまぁ」

 枢機卿が慌てて仲裁に入った。額から汗が流れている。

「では、月骸の(ムーンレス)聖壇(レクイエム)でマオ殿がダンジョンボスという企画で決定ということで」

「分かりました。準備します!」

 リリィは枢機卿にぺこりと頭を下げた。

「それで……魔王軍との交渉はどうしましょう?」

 教国から魔王軍と交渉となると窓口が限られ、する側もされる側もそれなりに面倒な手続きが必要になる。本当は今ここでサインしてしまいたいのだが、そういうわけにもいかない。

「私が行くわ!」

 聖女が突然、立ち上がった。

「へ?」「は?」

 マオとリリィが、同時に凍りついた。

「魔王軍に十万ゴールドだなんて、もったいない!」

 聖女の瞳に、ケチな商人のような光が宿る。

「私が直接乗り込んで、値切ってやるわ! あの貧乏魔王、きっと私の美貌にメロメロになって、タダ同然で貸してくれるはずよ!」

「メ、メロメロ……?」

 マオはポカンと口を開いたまま固まった。

「だ、ダメだ!」

 枢機卿が真っ青になって立ち上がる。

「君は教国の象徴だ! 魔王城で直談判など、危険すぎて許可できん!」

「何言ってるの?」

 聖女は胸を張った。

「私には神の(ディヴァイン)恩寵(グレイス)があるのよ? 魔王なんて、指一本で倒せるわ」

「い、いや、しかし……」

「そもそもね」

 聖女の声が、急に低くなった。

「私が聖女になって十年。まだ一度も魔王の顔を見たことがないの」

 疑念に満ちた瞳で、円卓を見回す。

「本当に存在するのかすら、怪しいと思ってるのよ」

「い、いや……さすがに、居るのでは……?」

 マオは思わず口を挟んだ。

「何言ってるのよ!」

 聖女が声を荒げた。

「この五十年、魔王を見た人間なんて誰一人いないのよ? もう死んでるか、逃げ出したかもしれないじゃない!」

 聖女はものすごい剣幕でビシッとマオを指さした。

 マオは唖然とする。

 ――『あなたの目の前にいるんだが……』

 その言葉を飲み込むのに必死だった。

(この女、本当に魔王城に来る気か……?)

 新たな混乱の予感に、胃がキリキリと痛み始めた。

 自分の城に、宿敵である聖女が乗り込んでくる。しかも、値切りに――――。

 この前代未聞の事態に、五百年生きた魔王も、対処法が思いつかなかった。