(この距離なら……瞬殺だ……)

 この至近距離で天穿(アジュール)(ストライク)を放てば、いかに神の(ディヴァイン)恩寵(・グレイス)を持つ勇者といえど、回避も防御も不可能――即死だ。

 マオの拳が、微かに震えた。

(やってしまえ……今ここで、この偽善者を……!)

 しかし――。

 キュッとマオは下唇を強く噛んだ。

(ダメだ……今ではない……)

 魔王が勇者を殺害する。それは即ち、停戦協定の破棄であり、全面戦争の再開を意味する。

 しかし、疲弊しきった魔王軍に、人類との総力戦を戦い抜く力は残されていない。自分は確かに最強だが、一人で数千キロに及ぶ戦線全てを守ることは不可能だ。

(く、くぅぅぅ……! 世が世なら、貴様などこの場で八つ裂きにしてやったものを!!)

 あまりにも許しがたい勇者の妄言。だが、部下たちのために、今は耐えるしかない。

 魔王軍の再興。財政の立て直し。まずはそこから。

 マオは大きく深呼吸――――。

 青白い光が、ゆっくりと消えていく。

 覚悟を決めると、マオは震える声で言葉を紡いだ。

「わ、私は……トップ配信者になりたいんです! 魔王を倒すことなんて、興味ありません!」

 両手を胸の前で組み、懇願するような仕草を作る。

「配信者?」

 レオンが眉をひそめた。

「そんな色物じゃなくて、もっと王道で勝負しようよ! 勇者パーティで活躍すれば、貴族にだってなれるんだよ? 富も名誉も、全てが君のものになる!」

(魔王が、人間の貴族にだと!? 不敬にもほどがある!!)

 怒りが再度沸点を超えそうになる。

 マオの小さな拳が、血が滲むほど強く握りしめられた。

 しかし、次の瞬間――。

 マオは自分でも予想外の言葉を口にしていた。

「色物で結構です! 私は……観てくれるたくさんのファンの笑顔に囲まれていたいんです! それが、私の夢なんです!」

 きっぱりと言い切り、マオは両腕を大きく広げて、周りの冒険者たちを示した。

 言葉が口から零れ落ちた瞬間、マオは自分自身に驚愕した。

(は……? な、なぜ余がそんなことを……!?)

 配信は金のためだ。魔王軍を救うための、屈辱的な手段に過ぎない。

 魔王がなぜ、人間どもの笑顔などを求める必要があるのか。

(違う……これは設定だ……そう、高度な設定上の演技に過ぎない……)

 慌ててブンブンと首を振る。

 しかし、不思議なことに、先ほど受けた歓声の温もりが、まだ胸の奥に残っていた。

「あっ、そうか!」

 レオンが、突然何かに気づいたように手を打った。

「君は僕のことを誤解しているんだ! 確かに僕のパーティは美女揃いだけど、君を口説こうとかそういうんじゃなくて……」

(は? 誰もそんなこと言ってないだろうが!!)

 マオの額に、怒りの筋が浮かぶ。この男の自意識過剰ぶりにも程がある。

「そうだ! こうしよう!」

 レオンの瞳が、挑戦的な輝きを帯びた。

「軽く剣を交えて、僕の本当の力を理解してもらおう! 剣士同士、言葉より剣で語り合おうじゃないか!」

「は? 嫌です」

 マオは即答した。

 しかし――。

(ちょっと陛下! OKです! OKしてください!!)

 肩の上のリリィが慌てたようにパシパシとマオの頭を叩いてくる。

(勇者レオンとの模擬戦なんて、全世界が注目する超特大コンテンツですよ! 視聴者数爆上がり! スパチャも盛大に飛びますよ!!)

(馬鹿を言うな! 世界大戦が始まってしまうだろうが!)

(『マオ』としてならセーフです! 正体がバレなければ問題なし! これはビッグチャンスですよぉ!)

(お、お前という奴は……!)

 レオンも食い下がってくる。

「そんな真面目な試合じゃないよ! 軽くカンカンと剣を合わせるだけ! ね? 剣士は剣で語るものだろう?」

 マオは深く、深くため息をついた。

 そして、諦めたようなジト目でレオンを見上げる。

「……配信は、させてもらえるんですね?」

「もちろん! 大歓迎だよ!」

 レオンが嬉しそうに頷く。

「じゃあ、あそこの空き地を借りよう!」

 そう言って、馬車を停めるような広いスペースを指差した。

 周囲からは、期待に満ちたざわめきが湧き上がる。

 勇者と謎の美少女剣士の対決。

 それは確かに、世紀の一戦となることは間違いなかった。

 ただし、その真の意味を理解している者は、この世に二人しかいなかったが――――。