ホテルの部屋は、やはり子ども二人と親という図式に分かれていた。レイの予想どおりというか当然というか、海莉は神室とのツインルームだ。
「一ノ瀬スマホ出せ」
夕食を終えたあとそれぞれ部屋へと向かったのだが、入ったがいなや、神室がいきなり詰め寄ってきた。
「は? なに、いきなり」
神室は片手を差し出して海莉ににじり寄ってくる。
「俺としろくまの写真、撮ってだろ」
「……撮ってないって」
旭山動物園は満員電車並に混雑していた。母と義父は、そんな館内で果敢にも息子の写真を撮ると言って聞かず、神室と二人であれもこれもとポーズを取らされていた。
小学生でも嫌がりそうなことを、恥ずかしさのあまり死ねる想いで耐えていたのだが、神室は澄ました顔で快諾していた。よく平気だなと感心していたら、どうやらあれも表向きの演技だったらしい。
「嘘つけ。見せろ」
「嫌だよ」
「口答えしてないで、貸せ!」
取られまいとして距離をとっても、神室はしつこく追い回してくる。
よほど写真を撮られたことが不服だったようだ。スマホを渡したら削除されるに違いない。
あんなに楽しげにポーズを撮っていたのに、今になって顔を真っ赤にするほどキレている。その変わりようがおかしくてたまらず、海莉はにやけてしまう口元を抑えられない。
「何笑ってんだ」
「ごめ……平気そうだったっていうか、むしろ嬉しいのかと思ってたから」
「嬉しいわけねーだろ。父さんもおまえの母さんも頭がおかしい。男子高校生と動物の写真なんて撮って何が面白いんだ」
「いいじゃん。神室の百万ドルの笑顔にアザラシも見惚れてたよ」
海莉は笑みを噛み殺しながらスマホ画面を神室に向けた。マリンウェイと呼ばれる床から天井へと続いている水槽を横に、神室が笑顔でピースをしていた瞬間なのだが、ちょうどよいタイミングでアザラシが神室のほうを向いた写真が撮れたのである。
「……この世から抹消しろ」
眼力で削除するとばかりに睨みを向けた神室が、「消さないと殺す」と海莉ごと殺意をあらわに、奪い取ろうと近づいてくる。
「いいじゃん、イケメンなんだから」
「うるさい、黙れ。何枚撮ったんだ」
「ホッキョクグマとアザラシくらいだよ」
「嘘つけ。あちこちで撮ってただろ? 見てたぞ」
ツインとはいえ、ベッド二つと椅子やテーブルくらいしかないこんなところで、男子高校生が追いかけ回るには狭苦しい。海莉が器用に逃げ回っても、神室は固い意志で追いかけてくる。
そんな中、ひらひらと掲げていたスマホが振動し、海莉は驚いた拍子に画面をタッチしてしまった。
『海莉! やっと電話に出た!』
スピーカーにしていないのに、レイの声がはっきりと聞こえてきた。
『なんで写真送ってくれないの? メールには必ず添付してって言ったでしょ』
レイの声は神室にも聞こえていたようで、写真という単語でぴくりと反応し、送ってとレイが言ったところで、鬼の形相のごとく険しい顔に変わった。
「写真って、神室のじゃない、風景だよ」
「……誰だよ」
「と、友達」
「あの途中入学組のやつか?」
「それって颯のこと? 違う、地元の……いや、レイはイギリスにいるけど……あの、毎日電話してる友達で」
「俺の睡眠を妨害してくれてるやつか!」
神室の形相が鬼から閻魔に悪化した。毎朝海莉が電話していることを知っているらしい。隣の部屋だから聞こえているのだろうか。謝罪すべきか迷っている間にも『海莉?』『聞こえてる? なんで返事しないの?』とレイの声が漏れ聞こえてくる。
「うるせえから、黙らせろ」
神室は海莉をきつく睨みつけると、そっぽを向いてベッドへ腰を下ろした。いったん休戦してくれるらしい。海莉はほっとしつつも急いでスマホを耳に当てた。
「ごめん、これから夕食だから、また後で電話するよ」
『それいつ? なんですぐに返事しないの?』
「いま神室と一緒なんだよ」
『やっぱり義兄弟でツインなんじゃないか! そういうのすぐにメールしてって言ったじゃん!』
「そうだけど、そんな暇なかったし」
『メールを送る余裕がないくらい神室と仲良くしてたってこと?』
「神室じゃなくて、母さんたちだよ……てか、今レイと話していられる状況じゃないから、また後でかけ直すね」
『待って海莉、僕と話していられない状況って、どういうこと?』
「ごめん、絶対に後でかけ直すから」
『なにしてるの? いま説明し』
海莉は一方的にレイとの通話を切った。神室から険しい顔で睨まれ、その圧に耐えながら通話を続けるのは至難の業だった。
「……神室の写真じゃないよ。レイは北海道に行ったことがないらしいから、どんなところなのか見てみたいって言ってて」
「それなら、俺の写真なんて撮る必要はなかっただろ」
「そうだけど、イケメンの写真は絵になるし……」
「バカにしてんのか?」
「神室だって俺の写真撮ってたじゃん」
「……撮ってねえよ」
「撮ってたよ!」
「振りだよ振り。父さんたちの手前、撮ってる振りしてただけだ」
海莉が神室の写真を撮ったのも、最初は母たちに気を遣ってのことだった。まるで小学生の子どものために考えた旅程ではあったものの、息子たちを楽しませようとする心意気は伝わっていた。その気持ちを汲んで楽しげな振りをしたほうがいいと、スマホを家族の写真で埋めていったのだ。
海莉は撮っていくうちに、神室の美貌が絵になると気づき、次第に撮ること自体が楽しくなっていった。
神室は海莉のまえ以外では品行方正な美少年なので、表向きの笑顔はうっとりするほど、それこそ百万ドルという表現をしても言い過ぎではないというくらいに魅力的だった。
「何見てんだよ」
「……いや、かっこいいなと思って」
「ふざけんな、消せ!」
まじまじと写真を見ていた海莉は、神室からスマホを奪われそうになり、咄嗟にドアのほうへ向かった。すると驚いたことにノックの音が聞こえ、逃げるついでにドアを開けると母が顔を覗かせた。
「夕食に行きましょう」
「やった。お腹ぺこぺこだよ」
母か義父の前なら、神室は別人のようにおとなしくなってくれる。助かった。
ルームキーを急いで手に取った海莉は、神室のほうを見ないように母の後を追った。
「一ノ瀬スマホ出せ」
夕食を終えたあとそれぞれ部屋へと向かったのだが、入ったがいなや、神室がいきなり詰め寄ってきた。
「は? なに、いきなり」
神室は片手を差し出して海莉ににじり寄ってくる。
「俺としろくまの写真、撮ってだろ」
「……撮ってないって」
旭山動物園は満員電車並に混雑していた。母と義父は、そんな館内で果敢にも息子の写真を撮ると言って聞かず、神室と二人であれもこれもとポーズを取らされていた。
小学生でも嫌がりそうなことを、恥ずかしさのあまり死ねる想いで耐えていたのだが、神室は澄ました顔で快諾していた。よく平気だなと感心していたら、どうやらあれも表向きの演技だったらしい。
「嘘つけ。見せろ」
「嫌だよ」
「口答えしてないで、貸せ!」
取られまいとして距離をとっても、神室はしつこく追い回してくる。
よほど写真を撮られたことが不服だったようだ。スマホを渡したら削除されるに違いない。
あんなに楽しげにポーズを撮っていたのに、今になって顔を真っ赤にするほどキレている。その変わりようがおかしくてたまらず、海莉はにやけてしまう口元を抑えられない。
「何笑ってんだ」
「ごめ……平気そうだったっていうか、むしろ嬉しいのかと思ってたから」
「嬉しいわけねーだろ。父さんもおまえの母さんも頭がおかしい。男子高校生と動物の写真なんて撮って何が面白いんだ」
「いいじゃん。神室の百万ドルの笑顔にアザラシも見惚れてたよ」
海莉は笑みを噛み殺しながらスマホ画面を神室に向けた。マリンウェイと呼ばれる床から天井へと続いている水槽を横に、神室が笑顔でピースをしていた瞬間なのだが、ちょうどよいタイミングでアザラシが神室のほうを向いた写真が撮れたのである。
「……この世から抹消しろ」
眼力で削除するとばかりに睨みを向けた神室が、「消さないと殺す」と海莉ごと殺意をあらわに、奪い取ろうと近づいてくる。
「いいじゃん、イケメンなんだから」
「うるさい、黙れ。何枚撮ったんだ」
「ホッキョクグマとアザラシくらいだよ」
「嘘つけ。あちこちで撮ってただろ? 見てたぞ」
ツインとはいえ、ベッド二つと椅子やテーブルくらいしかないこんなところで、男子高校生が追いかけ回るには狭苦しい。海莉が器用に逃げ回っても、神室は固い意志で追いかけてくる。
そんな中、ひらひらと掲げていたスマホが振動し、海莉は驚いた拍子に画面をタッチしてしまった。
『海莉! やっと電話に出た!』
スピーカーにしていないのに、レイの声がはっきりと聞こえてきた。
『なんで写真送ってくれないの? メールには必ず添付してって言ったでしょ』
レイの声は神室にも聞こえていたようで、写真という単語でぴくりと反応し、送ってとレイが言ったところで、鬼の形相のごとく険しい顔に変わった。
「写真って、神室のじゃない、風景だよ」
「……誰だよ」
「と、友達」
「あの途中入学組のやつか?」
「それって颯のこと? 違う、地元の……いや、レイはイギリスにいるけど……あの、毎日電話してる友達で」
「俺の睡眠を妨害してくれてるやつか!」
神室の形相が鬼から閻魔に悪化した。毎朝海莉が電話していることを知っているらしい。隣の部屋だから聞こえているのだろうか。謝罪すべきか迷っている間にも『海莉?』『聞こえてる? なんで返事しないの?』とレイの声が漏れ聞こえてくる。
「うるせえから、黙らせろ」
神室は海莉をきつく睨みつけると、そっぽを向いてベッドへ腰を下ろした。いったん休戦してくれるらしい。海莉はほっとしつつも急いでスマホを耳に当てた。
「ごめん、これから夕食だから、また後で電話するよ」
『それいつ? なんですぐに返事しないの?』
「いま神室と一緒なんだよ」
『やっぱり義兄弟でツインなんじゃないか! そういうのすぐにメールしてって言ったじゃん!』
「そうだけど、そんな暇なかったし」
『メールを送る余裕がないくらい神室と仲良くしてたってこと?』
「神室じゃなくて、母さんたちだよ……てか、今レイと話していられる状況じゃないから、また後でかけ直すね」
『待って海莉、僕と話していられない状況って、どういうこと?』
「ごめん、絶対に後でかけ直すから」
『なにしてるの? いま説明し』
海莉は一方的にレイとの通話を切った。神室から険しい顔で睨まれ、その圧に耐えながら通話を続けるのは至難の業だった。
「……神室の写真じゃないよ。レイは北海道に行ったことがないらしいから、どんなところなのか見てみたいって言ってて」
「それなら、俺の写真なんて撮る必要はなかっただろ」
「そうだけど、イケメンの写真は絵になるし……」
「バカにしてんのか?」
「神室だって俺の写真撮ってたじゃん」
「……撮ってねえよ」
「撮ってたよ!」
「振りだよ振り。父さんたちの手前、撮ってる振りしてただけだ」
海莉が神室の写真を撮ったのも、最初は母たちに気を遣ってのことだった。まるで小学生の子どものために考えた旅程ではあったものの、息子たちを楽しませようとする心意気は伝わっていた。その気持ちを汲んで楽しげな振りをしたほうがいいと、スマホを家族の写真で埋めていったのだ。
海莉は撮っていくうちに、神室の美貌が絵になると気づき、次第に撮ること自体が楽しくなっていった。
神室は海莉のまえ以外では品行方正な美少年なので、表向きの笑顔はうっとりするほど、それこそ百万ドルという表現をしても言い過ぎではないというくらいに魅力的だった。
「何見てんだよ」
「……いや、かっこいいなと思って」
「ふざけんな、消せ!」
まじまじと写真を見ていた海莉は、神室からスマホを奪われそうになり、咄嗟にドアのほうへ向かった。すると驚いたことにノックの音が聞こえ、逃げるついでにドアを開けると母が顔を覗かせた。
「夕食に行きましょう」
「やった。お腹ぺこぺこだよ」
母か義父の前なら、神室は別人のようにおとなしくなってくれる。助かった。
ルームキーを急いで手に取った海莉は、神室のほうを見ないように母の後を追った。



