ゴールデンウィークを翌週に控えた教室では、どこそこへ旅行に行くなどの話題で浮き立っていた。颯も家族旅行をするそうで、二泊三日で日光へ行くという話を何度も聞かせられていた。
「羨ましいなあ。いつか俺も行ってみたい」
「二回目だけど、前回はワールドスクエアにしか行かなかったから、今回は江戸村に行く予定なんだ」
「江戸村とか、めちゃくちゃ楽しそう」
「だろ? 海莉はどこか行く?」
颯は否定されるのを見越したような顔で訊ねてきた。颯の海莉に対する態度は、格下を相手にしてやっているという不遜さがありありと見て取れて、たまに嫌な気分になる。同じ途中入学組という共通点も、颯はだからこそ海莉を下に見てもいいという理由に使っている気がしてならない。
「俺の家は北海道だよ。飛行機になんて初めて乗るから、まずそれが楽しみ」
「北海道? まじで? てか、海莉のお父さんやお母さんって何をしてる人?」
「えっ?」
「新潟にいたって言ってたけど、転勤とかの関係?」
突然あれこれと質問されて、海莉は言葉に詰まってしまった。颯が海莉のことを気に掛けるとは、よほど北海道という返答が意外だったらしい。
「……詳しくはわかんないけど、母さんはファッションブランドのデザイナー?ってやつで、海外にも支店を持ってるとかなんとか」
「まじ? すごいじゃん」
「すごいのかよくわかんないけど、そのせいで海外によく行ってたから、新潟の祖父母の家に預けられていたんだ」
「へえ。でもそれで、なんで東京に? お父さんは?」
「えーっと……」
海莉はどう答えていいものかわからず、背中からどっと嫌な汗が吹き出てきた。後ろにいる神室が耳をそばだてていたらと思うと、へたなことは言えない。友人たちと談笑していたはずの神室の声が、この話題になったあたりから聞こえなくなっているのだ。
「兄弟とかはいる?」
「えっと……颯は……」
「俺は姉と妹がいるって何度も話してるだろ? 海莉は? 一人っ子?」
面倒そうに問われて、颯はお愛想で聞いているだけのようだとぴんときた。急に興味が湧いてきたわけではないようだ。
だとすれば、適当に誤魔化して、すぐ他の話題に切り替えればいい。そう思ったが、つくり話をするというのは嘘をつくわけで、どうしようと考えあぐねていたところ、後ろから「竹村くん」と神室の声が聞こえてきた。
「えっ? はいっ?」
「さっき谷崎さんが探していたみたいだけど、行かなくても大丈夫? 保健委員がどうのって」
「……あ……今日俺の担当日だった……ありがとう、神室くん」
みるみる顔を青くした颯は、神室に何度も頭を下げて、教室を駆け出ていった。
海莉はその姿を目であったあと、神室が海莉のほうを見ていることに気づいて目を向けた。すると一瞬、自宅にいるときのように強く睨まれ、すぐに逸らされた。
言い訳くらい考えておけよ。
そんなあらぬ声が聞こえてきた気がして、申し訳ない気持ちがせり上がってくる。しかし、義兄弟であることを隠しておきたいのは神室だけであり、事実を打ち明けたところで海莉は何ともない。むしろクラスメイトから無視されるという不遇な扱いから解放されるのではないだろうか。
責められる道理がないどころか、神室がすべての元凶のような気がしてきた。気がついた海莉は、途端に腹立たしくなり、次に聞かれたら遠慮せずに事実をぶちまけてやろうと決意した。
しかし、颯は海莉の父母のことなど頭から吹き飛んでしまったようだった。神室から話しかけられたことがよほど嬉しかったらしく、その日以降、話題といえばそのことばかりとなり、海莉はほっとした反面、いい加減同じ話ばかりでうんざりする日々を過ごすこととなった。ゴールデンウィークへと突入したときは、旅行云々以上に、颯から解放された喜びのほうが大きいほどだった。
北海道へと出発する当日の朝、海莉はいつもよりも早くレイから起こしてもらって、荷物を確認しながら、だらだらと喋っていた。
『ねえ海莉、旅行ってホテルなんだよね? 部屋は一人?』
「どうだろう。何も聞いてない」
『親と子で別れて、神室とツインとかじゃないよね?』
「あー……その可能性はあるかも」
『NO! もし二部屋しかなかったら、お母さんと同室にして』
「はあ? 高校生にもなって母親と同室とかありえないだろ!」
『お母さんは血の繋がった家族だけど、神室は血の繋がらない他人じゃないか!』
「だけど修学旅行とかもそうじゃん」
『あれは同室に何人もいるでしょ? 神室と二人きりになんかになって何か起きたらどうするの?』
「何かって、何? 殴り合いとか?」
『殴り合い? 神室ってファイタータイプなの?』
「いや、どちらかと言えば口で戦うタイプっぽいけど、何かってなんの心配してるんだよ」
『ホテルの部屋で二人きりと言ったら一つしかないでしょ? 思春期なんだから』
呆れ果てたとばかりのレイの言葉を聞いて、さすがの海莉もあることが頭に思い浮かんだ。しかし、異性同士ならまだしも、同性に当てはめるようなことではない。
「大丈夫だよ。心配してくれてありがとう。神室から何されても慣れたもんだし、二日くらいなんてことないよ」
『慣れてるって、どういうこと?』
「いつものことじゃん? 俺は平気だよ。レイが心配するようなことは何もないって」
『いつものことって、僕に言わないことを何かされてるの?』
わなわなと震える声が返ってきて、海莉は苦笑した。レイは本当に心配性だ。いつも嫌味を言われているから、二人きりになっては、よほど嫌な目に遭うと考えているのだろう。会えない距離というのは、こういうときに歯がゆいものだ。顔を合わせていればニュアンスなんかですぐに伝わることなのに。
「大丈夫だって。とりあえず、もう準備しなきゃいけないから、あとはメールでやり取りしよ」
『待って海莉、何をされてるのかだけ説明して』
「大丈夫だって。じゃあ、レイも勉強頑張って。おやすみ」
『海莉、待って!』
旅行へ行くという日に、長々と通話をしていられない。サイレントモードにした海莉は、スマホを部屋に置いて、朝食を取りにダイニングへ向かった。
戻ってきたあと、着信履歴がひどいことになっていたが、十五分ほどで諦めたらしい形跡があった。ここで詫びるようなメールを入れてしまうと、着信がくるかもしれない。余裕はあったが、空港へ到着するまで連絡しないことに決めた。
というのも、母と義父は、旅行中の三日間だけは仕事を忘れて、家族との時間を大切にすると約束してくれたのである。仕事用のパソコンやスマホは自宅へ置いていくと宣言してくれたので、息子がその気遣いを無下にするわけにはいかない。
お昼前には旭川空港へと到着し、昼食をとったのちに旭山水族館へ向かった。午後は上野ファームで花々を楽しみ、アイヌ博物館を見学したあと、一日のスケジュールは終了した。そして、ホテルへ着いた一行はチェックインを済ませ、それぞれの部屋で夕食前に一休みをすることになった。
母と義父は、宣言どおりスマホを使うにも写真を撮るばかりで、息子たちに会話を振ったり、家族で盛り上がろうとする気概の見える一日だった。神室もよそ行きの態度を崩すことなく、海莉に対しても親しげに話しかけてくるものだから、上っ面だとわかっていても気分がよかった。
おそらく、神室だけでなく、母や義父も無理をしていたことだろう。本音では退屈だったかもしれないし、不安を抱えていたかもしれない。しかし、気を使うというのは、家族としてあるべき形をつくろうと、全員が協力していることに他ならない。なんでも最初は形からだ。感情なんて、日によって変化するものなのだからと、海莉は意外にも前向きに楽しんでいる自分に驚いていた。
「羨ましいなあ。いつか俺も行ってみたい」
「二回目だけど、前回はワールドスクエアにしか行かなかったから、今回は江戸村に行く予定なんだ」
「江戸村とか、めちゃくちゃ楽しそう」
「だろ? 海莉はどこか行く?」
颯は否定されるのを見越したような顔で訊ねてきた。颯の海莉に対する態度は、格下を相手にしてやっているという不遜さがありありと見て取れて、たまに嫌な気分になる。同じ途中入学組という共通点も、颯はだからこそ海莉を下に見てもいいという理由に使っている気がしてならない。
「俺の家は北海道だよ。飛行機になんて初めて乗るから、まずそれが楽しみ」
「北海道? まじで? てか、海莉のお父さんやお母さんって何をしてる人?」
「えっ?」
「新潟にいたって言ってたけど、転勤とかの関係?」
突然あれこれと質問されて、海莉は言葉に詰まってしまった。颯が海莉のことを気に掛けるとは、よほど北海道という返答が意外だったらしい。
「……詳しくはわかんないけど、母さんはファッションブランドのデザイナー?ってやつで、海外にも支店を持ってるとかなんとか」
「まじ? すごいじゃん」
「すごいのかよくわかんないけど、そのせいで海外によく行ってたから、新潟の祖父母の家に預けられていたんだ」
「へえ。でもそれで、なんで東京に? お父さんは?」
「えーっと……」
海莉はどう答えていいものかわからず、背中からどっと嫌な汗が吹き出てきた。後ろにいる神室が耳をそばだてていたらと思うと、へたなことは言えない。友人たちと談笑していたはずの神室の声が、この話題になったあたりから聞こえなくなっているのだ。
「兄弟とかはいる?」
「えっと……颯は……」
「俺は姉と妹がいるって何度も話してるだろ? 海莉は? 一人っ子?」
面倒そうに問われて、颯はお愛想で聞いているだけのようだとぴんときた。急に興味が湧いてきたわけではないようだ。
だとすれば、適当に誤魔化して、すぐ他の話題に切り替えればいい。そう思ったが、つくり話をするというのは嘘をつくわけで、どうしようと考えあぐねていたところ、後ろから「竹村くん」と神室の声が聞こえてきた。
「えっ? はいっ?」
「さっき谷崎さんが探していたみたいだけど、行かなくても大丈夫? 保健委員がどうのって」
「……あ……今日俺の担当日だった……ありがとう、神室くん」
みるみる顔を青くした颯は、神室に何度も頭を下げて、教室を駆け出ていった。
海莉はその姿を目であったあと、神室が海莉のほうを見ていることに気づいて目を向けた。すると一瞬、自宅にいるときのように強く睨まれ、すぐに逸らされた。
言い訳くらい考えておけよ。
そんなあらぬ声が聞こえてきた気がして、申し訳ない気持ちがせり上がってくる。しかし、義兄弟であることを隠しておきたいのは神室だけであり、事実を打ち明けたところで海莉は何ともない。むしろクラスメイトから無視されるという不遇な扱いから解放されるのではないだろうか。
責められる道理がないどころか、神室がすべての元凶のような気がしてきた。気がついた海莉は、途端に腹立たしくなり、次に聞かれたら遠慮せずに事実をぶちまけてやろうと決意した。
しかし、颯は海莉の父母のことなど頭から吹き飛んでしまったようだった。神室から話しかけられたことがよほど嬉しかったらしく、その日以降、話題といえばそのことばかりとなり、海莉はほっとした反面、いい加減同じ話ばかりでうんざりする日々を過ごすこととなった。ゴールデンウィークへと突入したときは、旅行云々以上に、颯から解放された喜びのほうが大きいほどだった。
北海道へと出発する当日の朝、海莉はいつもよりも早くレイから起こしてもらって、荷物を確認しながら、だらだらと喋っていた。
『ねえ海莉、旅行ってホテルなんだよね? 部屋は一人?』
「どうだろう。何も聞いてない」
『親と子で別れて、神室とツインとかじゃないよね?』
「あー……その可能性はあるかも」
『NO! もし二部屋しかなかったら、お母さんと同室にして』
「はあ? 高校生にもなって母親と同室とかありえないだろ!」
『お母さんは血の繋がった家族だけど、神室は血の繋がらない他人じゃないか!』
「だけど修学旅行とかもそうじゃん」
『あれは同室に何人もいるでしょ? 神室と二人きりになんかになって何か起きたらどうするの?』
「何かって、何? 殴り合いとか?」
『殴り合い? 神室ってファイタータイプなの?』
「いや、どちらかと言えば口で戦うタイプっぽいけど、何かってなんの心配してるんだよ」
『ホテルの部屋で二人きりと言ったら一つしかないでしょ? 思春期なんだから』
呆れ果てたとばかりのレイの言葉を聞いて、さすがの海莉もあることが頭に思い浮かんだ。しかし、異性同士ならまだしも、同性に当てはめるようなことではない。
「大丈夫だよ。心配してくれてありがとう。神室から何されても慣れたもんだし、二日くらいなんてことないよ」
『慣れてるって、どういうこと?』
「いつものことじゃん? 俺は平気だよ。レイが心配するようなことは何もないって」
『いつものことって、僕に言わないことを何かされてるの?』
わなわなと震える声が返ってきて、海莉は苦笑した。レイは本当に心配性だ。いつも嫌味を言われているから、二人きりになっては、よほど嫌な目に遭うと考えているのだろう。会えない距離というのは、こういうときに歯がゆいものだ。顔を合わせていればニュアンスなんかですぐに伝わることなのに。
「大丈夫だって。とりあえず、もう準備しなきゃいけないから、あとはメールでやり取りしよ」
『待って海莉、何をされてるのかだけ説明して』
「大丈夫だって。じゃあ、レイも勉強頑張って。おやすみ」
『海莉、待って!』
旅行へ行くという日に、長々と通話をしていられない。サイレントモードにした海莉は、スマホを部屋に置いて、朝食を取りにダイニングへ向かった。
戻ってきたあと、着信履歴がひどいことになっていたが、十五分ほどで諦めたらしい形跡があった。ここで詫びるようなメールを入れてしまうと、着信がくるかもしれない。余裕はあったが、空港へ到着するまで連絡しないことに決めた。
というのも、母と義父は、旅行中の三日間だけは仕事を忘れて、家族との時間を大切にすると約束してくれたのである。仕事用のパソコンやスマホは自宅へ置いていくと宣言してくれたので、息子がその気遣いを無下にするわけにはいかない。
お昼前には旭川空港へと到着し、昼食をとったのちに旭山水族館へ向かった。午後は上野ファームで花々を楽しみ、アイヌ博物館を見学したあと、一日のスケジュールは終了した。そして、ホテルへ着いた一行はチェックインを済ませ、それぞれの部屋で夕食前に一休みをすることになった。
母と義父は、宣言どおりスマホを使うにも写真を撮るばかりで、息子たちに会話を振ったり、家族で盛り上がろうとする気概の見える一日だった。神室もよそ行きの態度を崩すことなく、海莉に対しても親しげに話しかけてくるものだから、上っ面だとわかっていても気分がよかった。
おそらく、神室だけでなく、母や義父も無理をしていたことだろう。本音では退屈だったかもしれないし、不安を抱えていたかもしれない。しかし、気を使うというのは、家族としてあるべき形をつくろうと、全員が協力していることに他ならない。なんでも最初は形からだ。感情なんて、日によって変化するものなのだからと、海莉は意外にも前向きに楽しんでいる自分に驚いていた。



