その後は、自己紹介がてら義父の会社の話や神室がピアノを弾くなどの話へと話題が移り、しばしお茶を楽しんだあと、夕食のまえに部屋へ案内されることになった。
母と義父は仕事を片付けると言って自室へ向かってしまったため、神室が案内を引き受けてくれた。個人の居室は義父の書斎を除いてすべて二階にあるらしい。
階段を上がって二つ目の部屋のまえで立ち止まり、神室が「ここだよ」とドアを開けると、薄いブルーの壁紙が張られた洋風の部屋が目に飛び込んできた。家具は持ってこなくてもいいと聞いていたとおり、必要なものはすべて取り揃えられている。
光沢のある真っ白なデスクや、座り心地の良さそうなデスクチェア、セミダブルくらいのサイズのベッドは見るからに寝心地がよさそうだ。壁際には二人掛けくらいのふかふかとしたソファとローテーブルもあり、どれもシンプルながらに高級そうで、使うのに忍びないほど洒落ている。
「じゃあ、またあとで」
ドアの外にいた神室がさっと姿を消した。
「ありがとう」
海莉は慌てて廊下へ出たが、神室の姿はすでになかった。同時にばたんと聞こえてきた方向を見るに、どうやら部屋は隣りらしい。
夕食は一時間半後である。送った荷物は壁際に積まれてあるし、荷解きをする時間もありそうだ。
数分ほど迷った挙げ句、レイにメールを打つことに決めた。義兄がいたことと、母に対する不満など、レイに聞いて欲しいことがたっぷりとある。義父や義弟の印象を含めて、お茶のときに知り得たことをさっそく報告した。
[海莉のママは人でなしだね]
起きていたらしく、すぐに返信が来た。
[人でなしだなんて、よくそんな日本語知ってたね]
[そんなママと結婚したんだから、新しいダディも裏があるやつかもよ]
[どういう意味?]
[夫婦は従兄弟ほど似るって言うでしょ?]
[なにそれ、聞いたことない]
[あ、長く暮らしたらって意味だった。同気相求む、かな?]
日本にいたのは十歳になるまでなのに、レイは日本語が達者だ。ハーフであるうえに、イギリス人の母が日本史研究の教授だからかもしれないが、たまに海莉すら知らない言葉を使うので驚かされる。
返信に手間取っていたら、レイからさらにメールが送られてきた。
[ていうか、その弟も怪しいよ。金持ちのくせに綺麗な顔して性格もいいなんて、そんな完璧な人間がいるわけないじゃん。実はめちゃくちゃ悪いやつなんだよ。そういうやつって演技が上手いから騙されないで]
海莉はその返信におかしくなり、思わず口元を緩ませた。
完璧な人間なら実在している。スマホの向こうにいるレイがまさしくの人物だ。
小学三年のときに初めて同じクラスになったレイのことを、海莉のほうは入学当初からすでに知っていた。というよりも、レイは知らぬ生徒はいないくらいに目立っていた。
誰もが感嘆の声を漏らすほどの可愛らしい顔立ちに、ガラス玉のような青くぱっちりとした瞳は、見つめられるとどきりとするほど愛らしい。ドレスでも着ればまるでお人形のようと言いたくなるくらい可憐な美少女だった。
しかし、さばさばとして口の悪い性格のほうは当時からまったく変わっていない。まるで男子のごとく活発だったレイは、遊ぶ相手も男子ばかりで、服装はユニセックスなものを好み、明るい茶色の髪はショートカットに切り揃えられていた。
最初の席替えで隣になったのを機に話すようになり、すぐに親友と呼べるくらい仲良くなった。クラスメイトからは「おまえらはセットだな」と揶揄されるくらい常に一緒にいたものの、まだ恋愛なんてものを意識する年齢じゃなかったため、引っ越したあともしばらくは友人という感覚だった。
意識し始めたのは去年くらいだろうか。
思春期となり、友人の間でも恋愛話が飛び交うようになったとき、海莉の頭に浮かんだ相手はレイ以外にいなかった。
ただ、引っ越して以来一度も会っておらず、写真すらも送ってもらえていない現状、想いを巡らせるレイの姿は三年生のときのままだ。
なぜ、写真を送ってくれないのだろう。会えない分、どんなふうに成長をしているのか見たくてたまらないのに、レイは頑として送ってくれない。
レイとメールをしていたら、あっという間に時間は過ぎ、夕食の時間が迫っていたことに気がついて、海莉は慌ててリビングへと下りた。
「あれ? 母さんと……お義父さんは?」
ついさっき四人揃っていたダイニングテーブルには、神室の姿しかなかった。義父と母はこれから来るのだろうか。
神室は海莉の言葉に無反応を返し、海莉は恥ずかしさを覚えつつも隣の席へ腰を下ろした。姫宮が現れて食前酒ならぬ食前ジュースを置いてくれたので、気詰まりな場を持たせようと、海莉はちびちび飲み始めた。
「あー、ごめん。急遽行かなきゃならなくなっちゃって。お義父さんと三人で食べて」
母がバタバタと現れて早口でまくしたててきた。
「行くって、どこに行くの?」
「仕事よ。ごめんなさいね」
母は謝りながらも歩みを止めず、そのまま玄関のほうへと消えていった。
その姿を目で追っていると、視界に入っていた神室の横顔が海莉のほうへ向き、目が合った。何かを言いたげな顔をして、しかし神室は何も言わずに再びスマホを見始めた。
海莉は話しかけるべきか迷ったが、無視されたばかりという残滓に勇気が振るえず、手持ち無沙汰にグラスを手に取った。
すると、階段のほうから数分前の再現とばかりにバタバタとした足音が聞こえてきて、今度は義父が現れた。
「すまない。今から急遽取引先と食事になってしまった。埋め合わせはまた明日に……淳子は……」
「奥様は、お仕事で出ていかれました」
姫宮の返答に、義父は顔を強張らせ、しかし肩をすくめて「二人で楽しんで」とそれだけ言って去っていった。
家族が四人揃った初めての日であり、その最初の食事だというのに、呆気にとられるとはこのことだ。
母は相変わらずだが、義父も同様らしい。レイの言葉じゃないけれど、夫婦が似るというのは本当なのかもしれない。それとも、気が合うから再婚したのか。
姫宮がトレーを手に現れて、海莉と神室のまえにサラダを置いてくれた。夕食はコースで出てくるようだ。この裕福な邸宅の雰囲気に似つかわしい。
フォークを手に取った海莉は、昨夜のことを思い返して、現状とのあまりの違いにため息をついた。
昨夜は、海莉の引っ越し前夜ということもあり、海莉の好物である祖母お手製の料理がちゃぶ台からはみ出すほど並べられ、祖父母と三人で何時間も楽しい時間を過ごした。まるで真逆とも言える現状がこれから日常になっていくのかと思うと、もの寂しさとやるせなさに、美味さも苦さに変わりそうだった。
「……信じらんねえ」
横からぼそりと声が聞こえて、驚き肩を震わせた。無反応を決め込むのはやめにしたらしい。席について十五分たち、ようやくその声を耳にしたとほっとして、海莉は肩の力を抜いた。
「二人とも、よっぽど仕事が忙しいみたいだね」
「……いつもあんななの?」
「えっ?」
海莉のほうへ向けていた神室の表情は、声と同様に不機嫌さが表に出ていた。二時間前にこの場で見た彼とはまるで別人のようで、海莉はぽかんとしてしまった。
「……聞いてんのかよ?」
眉根の皺はより深くなり、睨むような目つきで凄まれた。海莉は青ざめて、急いで神室から投げかけられた質問を手繰り寄せる。
「……母さんとは離れて暮らしていたから、わかんない、けど……会うたびあんな感じだったかも」
ビビリながらもなんとか答えると、神室は大きくため息をついた。やれやれという様子から、神室も海莉と同じく親に振り回されているのかもと思い当たる。
あまりの変わりように驚きは冷めやらないが、大人びて物わかりのよさそうなさっきの神室よりも、苛立ちを露わにした今のほうが親しみを感じる。
「……お義父さんもそう?」
海莉は意気揚々と、神室に訊ね返した。黙って親の不在を受け入れるよりも、愚痴を言い合うほうがよっぽどいい。兄弟として距離を縮めるきっかけとなれば、むしろありがたいことだと切り替えられるだろう。
「義父さんたちのいないところでは話しかけてくるな」
しかし、神室から冷徹な目つきで鋭く刺され、海莉は刺殺されたとばかりに硬直した。
聞き間違いだろうか。不機嫌にしても、さすがに昼間と同じ人物とは思えない。まさかと思いながら神室をまじまじと見てみたが、前菜の次に運ばれてきたスープを食べ終えてもスマホをいじくってばかりで、海莉なんて存在していないかのようにちらとも目をくれない。
「……あの」
途中まで絞り出した声は、カトラリーと食器のこすれる音だけの空間にやけに大きく響いた。それでも空気のごとくに無視をされ、これ以上は無理だと、海莉は言葉を詰まらせた。
母と義父は仕事を片付けると言って自室へ向かってしまったため、神室が案内を引き受けてくれた。個人の居室は義父の書斎を除いてすべて二階にあるらしい。
階段を上がって二つ目の部屋のまえで立ち止まり、神室が「ここだよ」とドアを開けると、薄いブルーの壁紙が張られた洋風の部屋が目に飛び込んできた。家具は持ってこなくてもいいと聞いていたとおり、必要なものはすべて取り揃えられている。
光沢のある真っ白なデスクや、座り心地の良さそうなデスクチェア、セミダブルくらいのサイズのベッドは見るからに寝心地がよさそうだ。壁際には二人掛けくらいのふかふかとしたソファとローテーブルもあり、どれもシンプルながらに高級そうで、使うのに忍びないほど洒落ている。
「じゃあ、またあとで」
ドアの外にいた神室がさっと姿を消した。
「ありがとう」
海莉は慌てて廊下へ出たが、神室の姿はすでになかった。同時にばたんと聞こえてきた方向を見るに、どうやら部屋は隣りらしい。
夕食は一時間半後である。送った荷物は壁際に積まれてあるし、荷解きをする時間もありそうだ。
数分ほど迷った挙げ句、レイにメールを打つことに決めた。義兄がいたことと、母に対する不満など、レイに聞いて欲しいことがたっぷりとある。義父や義弟の印象を含めて、お茶のときに知り得たことをさっそく報告した。
[海莉のママは人でなしだね]
起きていたらしく、すぐに返信が来た。
[人でなしだなんて、よくそんな日本語知ってたね]
[そんなママと結婚したんだから、新しいダディも裏があるやつかもよ]
[どういう意味?]
[夫婦は従兄弟ほど似るって言うでしょ?]
[なにそれ、聞いたことない]
[あ、長く暮らしたらって意味だった。同気相求む、かな?]
日本にいたのは十歳になるまでなのに、レイは日本語が達者だ。ハーフであるうえに、イギリス人の母が日本史研究の教授だからかもしれないが、たまに海莉すら知らない言葉を使うので驚かされる。
返信に手間取っていたら、レイからさらにメールが送られてきた。
[ていうか、その弟も怪しいよ。金持ちのくせに綺麗な顔して性格もいいなんて、そんな完璧な人間がいるわけないじゃん。実はめちゃくちゃ悪いやつなんだよ。そういうやつって演技が上手いから騙されないで]
海莉はその返信におかしくなり、思わず口元を緩ませた。
完璧な人間なら実在している。スマホの向こうにいるレイがまさしくの人物だ。
小学三年のときに初めて同じクラスになったレイのことを、海莉のほうは入学当初からすでに知っていた。というよりも、レイは知らぬ生徒はいないくらいに目立っていた。
誰もが感嘆の声を漏らすほどの可愛らしい顔立ちに、ガラス玉のような青くぱっちりとした瞳は、見つめられるとどきりとするほど愛らしい。ドレスでも着ればまるでお人形のようと言いたくなるくらい可憐な美少女だった。
しかし、さばさばとして口の悪い性格のほうは当時からまったく変わっていない。まるで男子のごとく活発だったレイは、遊ぶ相手も男子ばかりで、服装はユニセックスなものを好み、明るい茶色の髪はショートカットに切り揃えられていた。
最初の席替えで隣になったのを機に話すようになり、すぐに親友と呼べるくらい仲良くなった。クラスメイトからは「おまえらはセットだな」と揶揄されるくらい常に一緒にいたものの、まだ恋愛なんてものを意識する年齢じゃなかったため、引っ越したあともしばらくは友人という感覚だった。
意識し始めたのは去年くらいだろうか。
思春期となり、友人の間でも恋愛話が飛び交うようになったとき、海莉の頭に浮かんだ相手はレイ以外にいなかった。
ただ、引っ越して以来一度も会っておらず、写真すらも送ってもらえていない現状、想いを巡らせるレイの姿は三年生のときのままだ。
なぜ、写真を送ってくれないのだろう。会えない分、どんなふうに成長をしているのか見たくてたまらないのに、レイは頑として送ってくれない。
レイとメールをしていたら、あっという間に時間は過ぎ、夕食の時間が迫っていたことに気がついて、海莉は慌ててリビングへと下りた。
「あれ? 母さんと……お義父さんは?」
ついさっき四人揃っていたダイニングテーブルには、神室の姿しかなかった。義父と母はこれから来るのだろうか。
神室は海莉の言葉に無反応を返し、海莉は恥ずかしさを覚えつつも隣の席へ腰を下ろした。姫宮が現れて食前酒ならぬ食前ジュースを置いてくれたので、気詰まりな場を持たせようと、海莉はちびちび飲み始めた。
「あー、ごめん。急遽行かなきゃならなくなっちゃって。お義父さんと三人で食べて」
母がバタバタと現れて早口でまくしたててきた。
「行くって、どこに行くの?」
「仕事よ。ごめんなさいね」
母は謝りながらも歩みを止めず、そのまま玄関のほうへと消えていった。
その姿を目で追っていると、視界に入っていた神室の横顔が海莉のほうへ向き、目が合った。何かを言いたげな顔をして、しかし神室は何も言わずに再びスマホを見始めた。
海莉は話しかけるべきか迷ったが、無視されたばかりという残滓に勇気が振るえず、手持ち無沙汰にグラスを手に取った。
すると、階段のほうから数分前の再現とばかりにバタバタとした足音が聞こえてきて、今度は義父が現れた。
「すまない。今から急遽取引先と食事になってしまった。埋め合わせはまた明日に……淳子は……」
「奥様は、お仕事で出ていかれました」
姫宮の返答に、義父は顔を強張らせ、しかし肩をすくめて「二人で楽しんで」とそれだけ言って去っていった。
家族が四人揃った初めての日であり、その最初の食事だというのに、呆気にとられるとはこのことだ。
母は相変わらずだが、義父も同様らしい。レイの言葉じゃないけれど、夫婦が似るというのは本当なのかもしれない。それとも、気が合うから再婚したのか。
姫宮がトレーを手に現れて、海莉と神室のまえにサラダを置いてくれた。夕食はコースで出てくるようだ。この裕福な邸宅の雰囲気に似つかわしい。
フォークを手に取った海莉は、昨夜のことを思い返して、現状とのあまりの違いにため息をついた。
昨夜は、海莉の引っ越し前夜ということもあり、海莉の好物である祖母お手製の料理がちゃぶ台からはみ出すほど並べられ、祖父母と三人で何時間も楽しい時間を過ごした。まるで真逆とも言える現状がこれから日常になっていくのかと思うと、もの寂しさとやるせなさに、美味さも苦さに変わりそうだった。
「……信じらんねえ」
横からぼそりと声が聞こえて、驚き肩を震わせた。無反応を決め込むのはやめにしたらしい。席について十五分たち、ようやくその声を耳にしたとほっとして、海莉は肩の力を抜いた。
「二人とも、よっぽど仕事が忙しいみたいだね」
「……いつもあんななの?」
「えっ?」
海莉のほうへ向けていた神室の表情は、声と同様に不機嫌さが表に出ていた。二時間前にこの場で見た彼とはまるで別人のようで、海莉はぽかんとしてしまった。
「……聞いてんのかよ?」
眉根の皺はより深くなり、睨むような目つきで凄まれた。海莉は青ざめて、急いで神室から投げかけられた質問を手繰り寄せる。
「……母さんとは離れて暮らしていたから、わかんない、けど……会うたびあんな感じだったかも」
ビビリながらもなんとか答えると、神室は大きくため息をついた。やれやれという様子から、神室も海莉と同じく親に振り回されているのかもと思い当たる。
あまりの変わりように驚きは冷めやらないが、大人びて物わかりのよさそうなさっきの神室よりも、苛立ちを露わにした今のほうが親しみを感じる。
「……お義父さんもそう?」
海莉は意気揚々と、神室に訊ね返した。黙って親の不在を受け入れるよりも、愚痴を言い合うほうがよっぽどいい。兄弟として距離を縮めるきっかけとなれば、むしろありがたいことだと切り替えられるだろう。
「義父さんたちのいないところでは話しかけてくるな」
しかし、神室から冷徹な目つきで鋭く刺され、海莉は刺殺されたとばかりに硬直した。
聞き間違いだろうか。不機嫌にしても、さすがに昼間と同じ人物とは思えない。まさかと思いながら神室をまじまじと見てみたが、前菜の次に運ばれてきたスープを食べ終えてもスマホをいじくってばかりで、海莉なんて存在していないかのようにちらとも目をくれない。
「……あの」
途中まで絞り出した声は、カトラリーと食器のこすれる音だけの空間にやけに大きく響いた。それでも空気のごとくに無視をされ、これ以上は無理だと、海莉は言葉を詰まらせた。



