「いい加減にしろよ」

 突如聞こえてきた声に、抱き合っていた海莉とレイは同時に飛び上がった。

「せめて公園の中でやれよ。うざいしキモい」
「神室……」
「アイスが溶けるし」

 神室がすぐ近くに立っていて、手に持っていたビニール袋の中をから、「ほら」とソフトクリームを取り出した。
 硬直していた海莉は、レイから離れておずおずとそれを受け取った。

「各務の分はないから」

 ふんっと鼻で笑って、神室は公園の中へと入っていく。おそるおそる見渡すと、海莉たちが抱き合っていたところは歩道で、通勤終わりか、遊びへ行くのか、スーツや私服の人たちが海莉たちに遠慮がちな目を向けながら歩いている。その数が思ったよりも多いことに気がついて、盛り上がっていた気分は一転、途端に血の気が引いていく。

「大丈夫だよ、恥ずかしくないよ」
「え……」
「愛し合う二人の姿は、隠すものじゃないんだよ」
「それは母国での話だろ。ここは日本だ」

 遠くから神室の声が聞こえて、はっとした海莉はその方向へと駆け出した。
 恥ずかし過ぎて死にたい。カフェテリアなんて場所でも堂々とキスをできるレイなら平気だろう。しかし、日本男児は違うのだ。

「待ってよ」

 レイが追いかけてくる。その声を背中に、海莉は目の前の光景に目を奪われた。神室が取り出した花火に火をつけ、あたりに色とりどりの光が放射され始めていた。

「わ!」
 
 綺麗、と感嘆の声が背後からして振り返る。ぱっと花が咲いたようなレイの笑みに花火の光が反射して、海莉は息をのんだ。
 なんて綺麗なのだろう。花火なんて目じゃないくらいに輝いている。

「ほら」

 どきどきとしていたところ、急に視界が明るくなった。神室が海莉のために火をつけてくれたようだ。
 
「ありがとう……」

 しかし、受け取ってもどうしたものか。海莉はもう片方の手にアイスを持っている。やり場に困るも、花火にきらきらとした目を向けているレイがかわいくて、溶けてもいいかという気になった。
 
「僕もやりたい」
「好きなの勝手に出してやれ」
「え、つけてくれないの?」
「なんでおまえの分もつけなきゃなんねえんだよ。ライターならそこにある」
「海莉にだけなの?」

 相変わらずだ。この二ヶ月近く見ていなかった光景に懐かしさを覚えつつも、どうしたものかと困惑してしまう。
 
「当たり前だろ。……あと言っとくけどな、おまえらがどうなろうと海莉は独占すんなよ」
「えっ?」
「おまえがちょこまかしようが、俺は今までどおり海莉とつるむから」
「ツルムってなに? どういうこと?」
「海莉を悲しませるようなら、黙っていないってことだ」

 神室はレイを睨みつけ、花火をのぞき込むためしゃがんでいたレイは立ち上がった。

「どういう意味だよ」

 レイはいつもとは違う声で神室を見下ろした。低く、声に怒りが滲んでいる。
 神室の想いを知らないのだから、当然とも言える反応だ。海莉がもしレイの立場なら同じように腹が立つと思う。
 しかし神室は、海莉とレイが話し合えるように学校から離れた場所で二人きりにしてくれた。海莉が気持ちを伝えるように背中を押してくれた。
 それは、神室の気持ちを考えれば苦渋ともいえる行動だ。

『おまえがつらそうにしてるのが耐えられないわけ』

 その理由で、神室自身もつらいのに、行動してくれたのだ。
 勝手に神室の気持ちをレイに伝えるのはよいこととは言えない。しかし、兄弟としてある愛情の他に、神室からの深い想いがあることは事実だ。そのうえで芽生えた絆なのだから、レイには知っておいてもらいたい。
 
「あいつにまた寂しい想いをさせたら、遠慮はしないって言ってんだ」
「またって、なに? 僕は寂しい想いなんてさせてない」

 レイの返答に、神室はかちんときたとばかりに立ち上がった。
 
「ふざけたこと言ってんじゃねえよ。あんな女にデレデレしやがって」
「あんな女って誰?」
「こいつがどんな想いでおまえを見てたか、知らないわけないだろ?」
「それは、だって神室と……」
「俺がなんだよ。俺と海莉はただの兄弟だ。二度とこいつに悲しい顔させんな」

 レイははっとした顔で、押し黙った。
 
「二度目はないと思え。次にさせたら、イギリスへ追い返してやる」

 神室がさらにレイへと飛ばした激に、海莉は泣き出しそうになった。
 そこまで言ってくれるなんて──
 神室の気持ちが痛いほどに、いや喜びのあまり全身が震えるほど伝わってくる。
 
「……隆司、ありがとう」

 言葉だけでは足りない。しかし、口にしなければ伝わらない。
 
「泣いてんじゃねえって言ってんだよ。笑えよバカ」
「うん」

 神室は笑えという。それはつくった笑みではない、心からの笑みを見たいという意味だろう。
 
『おまえが心から笑えるんなら』

 神室は海莉が本心から笑みを浮かべていないことに気づいてくれていた。そのためにしてくれたことだ。神室に感謝を伝えるなら、本心からの笑みを見せるべきだ。そして心からの愛を神室に向け、これからずっと大切にしていきたい。

「海莉、ごめんね。もう絶対に寂しい想いなんてさせないから」

 レイが不安げな顔で抱きついてきた。海莉がわざわざ説明をしなくても、神室の想いはレイに伝わったらしい。
 
「もう寂しくないよ。隆司もいるし」
「……僕だけでいい……って言いたいところだけど、神室のお陰だもんね。海莉のそばにいるのを認めてあげてもいいよ」

 そのとき海莉の耳に、神室のほうからカチンという聞こえない音が聞こえてきた。

「……それは俺のセリフだ。海莉がおまえじゃなきゃだめだって言うから認めてやってんのに、なんだその言い草は」

 ただでさえ目の前でべたべたとくっついているのだ。不愉快にも耐えてくれている神室に対して、さらに煽るような物言いをするとは、と海莉は青ざめた。
 
「神室は海莉とまだ半年の仲でしょ? 僕は七年なんだよ?」
「その間性別すら勘違いさせていたやつが何を言ってやがる。そんな態度取ってると、家に入れさせてやる気が失せる」
「家? それって海莉の部屋? 行きたい!」
 
 レイは一転、目を輝かせ、海莉もまさかのことを耳にして驚いた。
 
「レイを家に呼んでもいいの?」
「……数秒前まではそのつもりだったけど、やめた。あんな態度のやつを入れたくない」
「えっ……」
「しょうがないから、コントローラーももう一つ注文してたけど、返品するわ」
「レイと三人でゲームするつもりだったの?」
「だから、もうやめたって言ってるだろうが。花火も俺ら二人だけでやるから、各務はマンションへ帰れ」
「嫌だよ! まだたくさん残ってるじゃん」
「おまえのマンションからならこの公園は見えるだろ? 窓から見てろ」
「なんで……嫌だよ!」

 これはもしかして、喧嘩するほど仲が良いというやつではないだろうか。最初は違っていただろうけど、変化が起き始めているように思えてきた。
 レイを自宅に招き、三人でゲームをするつもりだったなんて、そんな夢みたいな話を神室が考えていたのだ。
 神室なりにレイのことを受け入れようとしてくれていたのかもしれない。

「アイス、溶けちゃったから新しいのを買ってこようか?」

 だとしたら、これ以上口論させてはならない。空気を変えて、神室の怒りを鎮火させるべきだ。
 
「まだ食べてなかったのかよ?」
「……ごめん。せっかく買ってきてくれたのに」
「アイスがあったの?」
「あったけど、液体に変わったってよ」
「えー」

 レイの不満げな声に、神室は口の端をあげた。

「もともとおまえの分なんてない」
「僕のことを呼んだのは神室でしょ? なんで買ってきてくれないの?」
「なんで俺が買わなきゃなんないんだ。欲しいんなら自分で買え」
「……わかった。じゃ、買いに行く。行こ海莉」
「あ、レイも行くの?」

 レイは海莉の腕を取り、自分のを絡ませて公園の出入り口へと歩き出した。
 
「待て。俺一人で置いていくつもりか?」

 神室も追いかけてくる。

「神室は要らないんでしょ?」
「要らないなんて言ってない」

 公園を出るころには、三人横並びになっていた。

「抹茶モナカあるかな?」
「抹茶あ? モナカは板チョコ入り一択だろ」
「そんなの邪道だよ。アイスは抹茶じゃなきゃ」
「ざけんな。チョコのないアイスは存在意義すらない」
「なにそれ」
「笑ってんな、バカ舌が」
 
 コンビニへの道を三人で歩いていく。海莉は口論をする二人に挟まれて、しかし口のほうは挟む隙がない。というか、仲裁するなんてもったいないと思い始めていた。
 神室もレイも、互いに相手を認めようとしている。ただ馬が合わないだけで、距離を縮めようとしているのだ。
 だとすれば、このまま続けさせておいたほうがいい。なにやら本気というよりじゃれ合っているようにも見えてきた。

 東京へ引っ越してきた当初は不安ばかりで先行きは暗かった。孤独の日々を送ると思いきや、母との仲は親子らしくなり、新しい義父ともうまくいっている。
 それは義兄弟となった神室のお陰であり、六年離れていた幼なじみは二年も早く帰ってきてくれた。
 友情というには収まりきらない感情を知り、相手もそれに応えてくれている。

「ねえ、やっぱアイスはバニラだよ」

 チョコと抹茶で争う二人はいつまでも続けているので、茶々を入れてみた。

「……海莉の意見は尊重したいけど、バニラなんて味気ないよ」
「チョコが入ってんなら許してやる」
「搾りたての牛乳をつかったジェラート食べたじゃん。あれは美味しかったでしょ?」
「なにそれ?」
「……チョコと比較してないし」
「二人だけで食べたの? どこで? ずるい!」
「じゃあ、今度帰省したら三人で行こ」
 
 じゃあ行こうと約束できる。これからずっとこんなふうに、愛する二人と過ごしていくのだ。三人でゲームをしたり、勉強もするかもしれない。帰省先は同じだし、神室にレイの料理を味わってもらいたい。
 これからいくらでも、どんなことでもできる。二人といれば寂しい想いなんて二度としないだろう。笑顔はずっと、心からのものとなるはずだ。


【本編終わり】
 ここまで読んでいただきましてありがとうございました。本編は終了となります。
 今夜か明日にでも、神室視点でその後のおまけを書けたらと考えています。楽しんでいただけていたら幸いです。ありがとうございました。