車は十五分ほど走ったのちに住宅街へと入り、洒落た高級そうな邸宅の前で停車した。車二台分ほどの間口がある車庫の横には重厚な門もあり、近隣の家と比較してもかなりの豪邸であることがわかる。
母は、車を降りると開いた門を通り抜け、洋風なつくりの庭を横目にアプローチを進み、まるで自宅かのごとく勝手知ったる様子で玄関の中へ入っていった。
まるでというか、母にとっては既に自宅だ。海莉も今日から我が家となる。
海莉は、テレビドラマのセットを見学に来たような気分で母の後を追い、玄関かまちにエプロン姿の中年女性が立っているのを見て、まばたきの速度を上げた。
「おかえりなさいませ」
「ただいま。俊司さんは?」
「ダイニングのほうにいらっしゃいます」
「ありがとう。海莉、姫宮さんよ。お手伝いに来てくださっているの。わたしがいないときに困ったことがあったら姫宮さんに相談するといいわ」
海莉は母から紹介された姫宮をまじまじと見た。友人のお母さんといった雰囲気の優しそうな人で、目が合うとにっこりと微笑んでくれた。
車だけでなくこの豪邸もしかり、お手伝いさんまでいるなんて、義父が裕福な人であるのは間違いないようだ。
「あっ、一ノ瀬……じゃない、神室海莉です。よろしくおねがいします」
「姫宮です。どうぞ、気兼ねはせず何でもお申し付けください」
姫宮と挨拶を交わしあったあと、海莉は母に促されて廊下を進んだ。
再婚したともなれば、もしや母は専業主婦になるのだろうかとぼんやり考えたこともあったが、姫宮の存在とあの話しぶりを聞く限り、仕事を辞めることはなさそうだ。
海莉は、がっかりすると思いきや安堵した自分に苦笑した。
母と暮らせることになっても、嬉しく感じることなど一つもなく不安になるばかりなのだ。苛立ちや不満すら募っているのだから、不在を喜ぶのは仕方がないだろう。
「ただいま。海莉を連れてきたわ」
母は廊下の途中で透かし戸を開けて中へ入った。中は真っ白な空間で、学校の教室よりも広々としている。手前にアイランド型のキッチンが、奥に壁掛けテレビとソファが三脚、窓際にはスタイリッシュなグレーのテーブルセットが置かれてあった。
おそらくリビングダイニングというやつなのだろう。
古い日本家屋に住む祖父母宅で育った海莉は、リビングなどという大層なものではなく、畳敷きの茶の間が生活の場だった。あまりの違いに、どうやっても馴染めそうにないと、不安が天井知らずにせり上がる。
「海莉くんか、ようやく会えたね」
ダイニングテーブルの椅子から立ち上がったのは、紳士と形容したくなるような優美な中年の男性だった。
おそらくどころか間違いなく義父だ。斜め前の席には、目を惹くほど端正な顔立ちをした少年の姿があり、この空間にいるのは当然とばかりに絵になっている。生活しているのだから当たり前だとセルフつっこみを入れながら、海莉はあたふたと頭を下げた。
「はじめまして……」
「どうぞここへ座って」
義父が自身の前の席へ座るよう手を差し出したため、海莉はぎくしゃくとしながらもなんとかそこへ腰を下ろした。
「お義父さんの俊司さんよ。それと……隆司くんは海莉と同い年だから……どちらが兄になるのかしら?」
義父の横に座った母は、海莉の横にいる少年へ問いかけた。すぐ近くにモデルのごとく綺麗な人がいると思うと、場違いであること以上に緊張してしまう。
「僕は十二月生まれですが……海莉くんは?」
その綺麗な顔がすっと海莉のほうへ向き、首を傾げた彼と目が合って、頭が真っ白になった。
「海莉は十月だから海莉のほうがお兄さんね」
母が代わりに答えてくれた。神室は嬉しげに笑みを浮かべ、海莉はもう無理だと頬を熱くしながらうつむいた。
「弟ができたって期待したのに、また兄だったとは残念だな」
「あ、俊一くんね? アメリカの大学だから、長期休みは夏になるのかしら?」
母が義父に訊ねて、義父は「ああ」と肩をすくめた。
「しかし、帰国する余裕はないそうだ」
「そうなの、残念ね。いつお会いできるのかしら?」
「ここ何年も帰ってこないからなあ……まあ、なんとか時間をつくってもらうよ。とりあえず夕食には早いが、お茶にしよう」
義父が待機していた姫宮に合図を送ると、用意していたらしい姫宮はテーブルに人数分のカップを並べ、ティーポットからお茶を淹れ始めた。香りから判断するに紅茶らしい。
義兄弟ができることは聞いていたものの、名を知らされていたのは、同い年の男子、横にいる彼のことだけだ。俊一という義兄がいることまでは聞いていなかった。そんな重要なことすら知らされていないとは、母にとって自分は思っていた以上に取るに足りない存在らしい。呆れを通り越して悲しくなってくる。
レイに愚痴って憂さを晴らさねばと感情を押し殺しながら、淹れてもらった紅茶に口をつけた。
「海莉くんに二度も試験を受けさせるようなことをして、申し訳なかったね」
「……いえ。なんとか合格できてよかったです」
「理事をしている学校を卒業してもらいたいだなんて、わがままなことを頼んでしまったが、息子になってすぐにそんな父の身勝手な願いを叶えてくれて、なんと感謝をしたらいいか」
「感謝というなら僕のほうです。隆司くんの通う学校と聞いておりましたので、僕としては心強く思います。定員が埋まっていたところを入れてもらえて、ありがとうございました」
東京の高校なんて何もわからないのだから、義家族の通う学校のほうが無難かつ安心だろう。勝手に決められたことは強引と言えるが、選択できたとしても選んでいたであろうことを考えると、ありがたいという言葉は本心からのものだった。
「……僕も、同じ学校に兄弟と通えることになって嬉しい。兄さんとは七つも離れていたから、同じタイミングで通えたことはないんだ」
言葉と同じく嬉しげに頬を染めた神室を見て、新たな親と義兄弟ができるというのは、神室も海莉と同様に不安を感じているのもしれないと思い当たった。
「そうだな。中高一貫校だから、海莉くんは馴染むまで少し大変かもしれない。隆司がサポートしてあげるといい」
「もちろんだよ。高校から入学してくる生徒も少なくないし、海莉くんならすぐに馴染めると思うけど、僕でよければいつでも力になるよ」
義父もいい人そうだし、義弟は優しそうだ。
彼らは、新しい家族を受け入れ、歩み寄ろうとしてくれている。ともすれば、海莉のほうも狼狽えてなどいないで、同じ姿勢を返すべきだ。
「有明高校は、中高一貫校なんですか?」
海莉は半月後から通う高校について、ほとんど知らずにいた。話題にあげるには最適だろう。
「そうだよ。高校から入ってくる生徒もいるから、五クラスくらいになるのかな? ほとんどが大学へ進学するから、二年で理系と文系に分かれるんだ。体育祭や文化祭は全校生徒総出で毎年かなり盛り上がる。ただ、部活動に関してはあまり活発とは言えないかな」
神室が説明してくれて、海莉はふむふむと頷き返す。そこへ義父が「俊一がいたころは違ったけどな」と割って入ってきた。
「弱小だった我が校のサッカー部を、俊一が初めてインターハイに連れて行ってくれたんだ」
「あれは凄かったね。いくら私立高とはいえ、部活動に力は入れていなかったから、施設やコーチも並だったのに、兄さん一人の力でそれらを賄ったんだから」
義父と神室は、火がついたかのように、義兄の凄さを我もと話し始めた。母も知らなかったようで、海莉と揃って興味深く聞き手に回った。すると、義兄となる人は聞くほどに凄い人だったと知り、歩み寄るなど不遜な考えなのではと思い知らされることになった。
俊一はとかく優秀な生徒で、学年でトップをとることはもちろん、全国模試でも常に一位を取り続けていたのだという。弱小部を全国大会へ連れて行ったというのは、勉強で有り余った時間とパワーを部活動に注ぎ込んだ結果だったらしく、選手の能力を的確に見抜き、キャプテン兼コーチのような存在として、部を引き立てたのだそうだ。
能力もさることながら、品行方正な態度も抜きん出ており、生徒たちからだけでなく教師からも愛され、アメリカへ行ったのは医師になるためというから、志も感嘆の域だ。
そんな人が義兄だなんて、身に余るどころじゃない。
聞くほどに身をすくませるばかりだったが、四年前に渡米して以来一度も帰国していないらしく、そのままアメリカで医師免許を取得するため、帰国の予定は今のところないという話だった。
義兄のことはとりあえず心配しなくてもよさそうだ。いまだ場違いな居心地の悪さは拭えないが、生活していれば次第に馴染んでいくだろう。義父や義弟は優しく気遣ってくれるし、自分から話題に入ることもできた。思っていたよりも、なんとかやっていけそうだと海莉は胸を撫で下ろした。
母は、車を降りると開いた門を通り抜け、洋風なつくりの庭を横目にアプローチを進み、まるで自宅かのごとく勝手知ったる様子で玄関の中へ入っていった。
まるでというか、母にとっては既に自宅だ。海莉も今日から我が家となる。
海莉は、テレビドラマのセットを見学に来たような気分で母の後を追い、玄関かまちにエプロン姿の中年女性が立っているのを見て、まばたきの速度を上げた。
「おかえりなさいませ」
「ただいま。俊司さんは?」
「ダイニングのほうにいらっしゃいます」
「ありがとう。海莉、姫宮さんよ。お手伝いに来てくださっているの。わたしがいないときに困ったことがあったら姫宮さんに相談するといいわ」
海莉は母から紹介された姫宮をまじまじと見た。友人のお母さんといった雰囲気の優しそうな人で、目が合うとにっこりと微笑んでくれた。
車だけでなくこの豪邸もしかり、お手伝いさんまでいるなんて、義父が裕福な人であるのは間違いないようだ。
「あっ、一ノ瀬……じゃない、神室海莉です。よろしくおねがいします」
「姫宮です。どうぞ、気兼ねはせず何でもお申し付けください」
姫宮と挨拶を交わしあったあと、海莉は母に促されて廊下を進んだ。
再婚したともなれば、もしや母は専業主婦になるのだろうかとぼんやり考えたこともあったが、姫宮の存在とあの話しぶりを聞く限り、仕事を辞めることはなさそうだ。
海莉は、がっかりすると思いきや安堵した自分に苦笑した。
母と暮らせることになっても、嬉しく感じることなど一つもなく不安になるばかりなのだ。苛立ちや不満すら募っているのだから、不在を喜ぶのは仕方がないだろう。
「ただいま。海莉を連れてきたわ」
母は廊下の途中で透かし戸を開けて中へ入った。中は真っ白な空間で、学校の教室よりも広々としている。手前にアイランド型のキッチンが、奥に壁掛けテレビとソファが三脚、窓際にはスタイリッシュなグレーのテーブルセットが置かれてあった。
おそらくリビングダイニングというやつなのだろう。
古い日本家屋に住む祖父母宅で育った海莉は、リビングなどという大層なものではなく、畳敷きの茶の間が生活の場だった。あまりの違いに、どうやっても馴染めそうにないと、不安が天井知らずにせり上がる。
「海莉くんか、ようやく会えたね」
ダイニングテーブルの椅子から立ち上がったのは、紳士と形容したくなるような優美な中年の男性だった。
おそらくどころか間違いなく義父だ。斜め前の席には、目を惹くほど端正な顔立ちをした少年の姿があり、この空間にいるのは当然とばかりに絵になっている。生活しているのだから当たり前だとセルフつっこみを入れながら、海莉はあたふたと頭を下げた。
「はじめまして……」
「どうぞここへ座って」
義父が自身の前の席へ座るよう手を差し出したため、海莉はぎくしゃくとしながらもなんとかそこへ腰を下ろした。
「お義父さんの俊司さんよ。それと……隆司くんは海莉と同い年だから……どちらが兄になるのかしら?」
義父の横に座った母は、海莉の横にいる少年へ問いかけた。すぐ近くにモデルのごとく綺麗な人がいると思うと、場違いであること以上に緊張してしまう。
「僕は十二月生まれですが……海莉くんは?」
その綺麗な顔がすっと海莉のほうへ向き、首を傾げた彼と目が合って、頭が真っ白になった。
「海莉は十月だから海莉のほうがお兄さんね」
母が代わりに答えてくれた。神室は嬉しげに笑みを浮かべ、海莉はもう無理だと頬を熱くしながらうつむいた。
「弟ができたって期待したのに、また兄だったとは残念だな」
「あ、俊一くんね? アメリカの大学だから、長期休みは夏になるのかしら?」
母が義父に訊ねて、義父は「ああ」と肩をすくめた。
「しかし、帰国する余裕はないそうだ」
「そうなの、残念ね。いつお会いできるのかしら?」
「ここ何年も帰ってこないからなあ……まあ、なんとか時間をつくってもらうよ。とりあえず夕食には早いが、お茶にしよう」
義父が待機していた姫宮に合図を送ると、用意していたらしい姫宮はテーブルに人数分のカップを並べ、ティーポットからお茶を淹れ始めた。香りから判断するに紅茶らしい。
義兄弟ができることは聞いていたものの、名を知らされていたのは、同い年の男子、横にいる彼のことだけだ。俊一という義兄がいることまでは聞いていなかった。そんな重要なことすら知らされていないとは、母にとって自分は思っていた以上に取るに足りない存在らしい。呆れを通り越して悲しくなってくる。
レイに愚痴って憂さを晴らさねばと感情を押し殺しながら、淹れてもらった紅茶に口をつけた。
「海莉くんに二度も試験を受けさせるようなことをして、申し訳なかったね」
「……いえ。なんとか合格できてよかったです」
「理事をしている学校を卒業してもらいたいだなんて、わがままなことを頼んでしまったが、息子になってすぐにそんな父の身勝手な願いを叶えてくれて、なんと感謝をしたらいいか」
「感謝というなら僕のほうです。隆司くんの通う学校と聞いておりましたので、僕としては心強く思います。定員が埋まっていたところを入れてもらえて、ありがとうございました」
東京の高校なんて何もわからないのだから、義家族の通う学校のほうが無難かつ安心だろう。勝手に決められたことは強引と言えるが、選択できたとしても選んでいたであろうことを考えると、ありがたいという言葉は本心からのものだった。
「……僕も、同じ学校に兄弟と通えることになって嬉しい。兄さんとは七つも離れていたから、同じタイミングで通えたことはないんだ」
言葉と同じく嬉しげに頬を染めた神室を見て、新たな親と義兄弟ができるというのは、神室も海莉と同様に不安を感じているのもしれないと思い当たった。
「そうだな。中高一貫校だから、海莉くんは馴染むまで少し大変かもしれない。隆司がサポートしてあげるといい」
「もちろんだよ。高校から入学してくる生徒も少なくないし、海莉くんならすぐに馴染めると思うけど、僕でよければいつでも力になるよ」
義父もいい人そうだし、義弟は優しそうだ。
彼らは、新しい家族を受け入れ、歩み寄ろうとしてくれている。ともすれば、海莉のほうも狼狽えてなどいないで、同じ姿勢を返すべきだ。
「有明高校は、中高一貫校なんですか?」
海莉は半月後から通う高校について、ほとんど知らずにいた。話題にあげるには最適だろう。
「そうだよ。高校から入ってくる生徒もいるから、五クラスくらいになるのかな? ほとんどが大学へ進学するから、二年で理系と文系に分かれるんだ。体育祭や文化祭は全校生徒総出で毎年かなり盛り上がる。ただ、部活動に関してはあまり活発とは言えないかな」
神室が説明してくれて、海莉はふむふむと頷き返す。そこへ義父が「俊一がいたころは違ったけどな」と割って入ってきた。
「弱小だった我が校のサッカー部を、俊一が初めてインターハイに連れて行ってくれたんだ」
「あれは凄かったね。いくら私立高とはいえ、部活動に力は入れていなかったから、施設やコーチも並だったのに、兄さん一人の力でそれらを賄ったんだから」
義父と神室は、火がついたかのように、義兄の凄さを我もと話し始めた。母も知らなかったようで、海莉と揃って興味深く聞き手に回った。すると、義兄となる人は聞くほどに凄い人だったと知り、歩み寄るなど不遜な考えなのではと思い知らされることになった。
俊一はとかく優秀な生徒で、学年でトップをとることはもちろん、全国模試でも常に一位を取り続けていたのだという。弱小部を全国大会へ連れて行ったというのは、勉強で有り余った時間とパワーを部活動に注ぎ込んだ結果だったらしく、選手の能力を的確に見抜き、キャプテン兼コーチのような存在として、部を引き立てたのだそうだ。
能力もさることながら、品行方正な態度も抜きん出ており、生徒たちからだけでなく教師からも愛され、アメリカへ行ったのは医師になるためというから、志も感嘆の域だ。
そんな人が義兄だなんて、身に余るどころじゃない。
聞くほどに身をすくませるばかりだったが、四年前に渡米して以来一度も帰国していないらしく、そのままアメリカで医師免許を取得するため、帰国の予定は今のところないという話だった。
義兄のことはとりあえず心配しなくてもよさそうだ。いまだ場違いな居心地の悪さは拭えないが、生活していれば次第に馴染んでいくだろう。義父や義弟は優しく気遣ってくれるし、自分から話題に入ることもできた。思っていたよりも、なんとかやっていけそうだと海莉は胸を撫で下ろした。



