同じ学校の生徒とはいえ、カーストトップと途中入学組という普段は交わることのない者同士だ。そのことに加えて、狙いもむなしく口論になってしまったレイと神室が、どうなることやら心配だった。
しかし、日常から切り離された場所へ来て、かつそこがレジャーパークともなれば、人の気分も普段とは変わってくるらしい。意外にも全員楽しんでいる様子だった。
しかもレイは女性の扱いが上手く、女子たちは不満な顔を一つ見せず、延々と賑やかだった。イギリス人の気質ゆえか、優しい性格だからか、女子たちとはまるで最初から四人グループかのように馴染んでいた。
「海莉のよさを知っているってことはいい子たちじゃん? でも、緊張して話しかけられないとか、奥ゆかしくない?」
レイは女子たちが海莉をいじめるでもなく、また近づこうともしない点が気に入ったのだと話していた。
近づけないどころか、おそらく存在自体も目に入っていないものと思われる。天王寺たちは「神室くん」としてレイに話していたようだから、神室違いだろうとしか思えない。
しかし、神室や颯に対するようなとげとげした態度を取られるよりも断然いいとして、海莉は敢えて訂正しなかった。
「侑李たちがアイス食べたいんだって。海莉はどうする?」
女子たちとは数時間で名前を呼び合うほどの仲になったらしい。レイから誘われたものの、空気のごとく扱いの海莉が同行しても、気分が沈むだけなので断った。
「じゃ、飲み物だけ買ってくるね」
「ありがと。でも持てなかったら無理しないで」
「無理なんてしないよ。海莉が熱中症になったら嫌だし」
すぐ戻ってくるからと言って、レイは女子たちを引き連れてフードコーナーへ向かっていった。その後を檜山と高階が二次元RPGの移動画面のごとくに続き、さらにそれをおずおずとした木原が追っていった。
神室と颯は海莉とともにベンチで待機するらしい。
三人だけになって、ようやく作り笑いから解放されたと脱力し、海莉は大きくため息をついた。
楽しい空気に水を差すような真似だが、颯の目には神室しか入っていないため気づきもしないだろう。
レイを見ているとつらい気持ちになってしまう。そんな状態で無理に笑みを浮かべているのは限界だった。
天王寺たちの言う『神室くん』とは、義弟のほうであって海莉ではない。レイの勘違いを訂正すればよかったと今頃後悔していた。
最初はせっかくだから目論みどおりにすればいいとしか考えていなかった。しかし、レイと天王寺たちが楽しげにしている場面を見るのがつらくなってきたのである。
さすが美貌でも名高い天王寺たちは見るも可愛らしく、レイと並んだ姿は絵になる。というか、レイといて絵になるのは彼女たちか神室くらいで、颯たちとは俳優とスタッフといった関係にしか見えない。貴族と従僕と言うか、富豪と運転手と言うか、それは海莉といても然りだ。気にしないようにしていても、比較対象がいると気分が沈んでしまうらしい。
レイは女子たちよりも海莉を優先してくれる。海莉に対してだけは特別に優しく、他の人にはしない気遣いを見せる。
ただそれは、単に長年の友人だからだ。絵になる相手と楽しげに過ごすレイを見ていたら、本来は隣にいるべき相手ではないのだと突きつけられた気分になった。レイの魅力を知れば知るほど、好きという気持ちが高まるほどに、自分なんかが隣にいていいはずがないと思い知らされていくようだった。
「あ、あれトイレだよね? ちょっと行ってきていいかな?」
もじもじとしていた颯は、トイレを我慢していたらしい。
「そうみたいだね。行っておいでよ」
「ありがとう。神室くんは?」
「僕は大丈夫」
「じゃ、待たせて申し訳ないけど、すぐに戻ってくるから」
颯が一人トイレへと駆けていった。
「まじうざい。質問ばっかされて死ぬほど疲れるんだけど」
海莉と二人きりになったからか、神室はやれやれといった様子で途端に表情を緩めた。
「神室のこと好きだから仕方ないよ」
「向こうが好きだからって、なんで仕方ないことになるんだ?」
「好きな人のことなら色々知りたいわけだし」
「だとして、なんで好きでもないやつに答えてやらなきゃなんないわけ?」
「え? そんなに嫌ならなんでお昼を一緒に食べようなんて誘ったの?」
「それは…………おまえがここに来た理由を聞くためだ」
理由を聞くためというより文句だろう。聞かずもがな、神室は理由をわかっているはずだ。海莉の口から言わせて、そのうえでさらに謝らせようという魂胆らしい。
「……遊びに来ただけだよ」
「嘘つけよ。俺が行くって知ったから来たんだろ」
「……違うよ」
「それとも天王寺が目的か? んなわけないよな。あのもう一人の途中組と全然態度が違うし。白々しく言い逃れようとすんな」
事実だし、ぐうの音も出ない。
「そうだよ。神室がいるから来たんだよ」
しぶしぶ口にすると、神室は鼻で笑ったあとそっぽを向いた。
「俺が女子たちと遊ぶのがそんなに気になった?」
「えっ?」
「……各務が来てくれてせいせいしてるくらいだから」
なにが、と問い返そうとしたとき、神室に手首を掴まれて、ぐいと引っ張られた。
「あいつが戻ってくる前に逃げるぞ」
「えっ?」
手を掴んだまま、神室は海莉をどこかへ引っ張っていく。
「あいつって颯? 置いていっていいの?」
「うぜえんだよ。たまには一人にさせてくれ」
神室に引かれて歩いていると、観覧車がみるみる大きくなっていく。まさか乗るつもりなのだろうか。
「一人……じゃないじゃん」
「一人ってのは言葉の綾だ。あいつらといると疲れんだよ」
あいつらって、誰のことを指しているのだろう。レイが来てせいせいしてるってことは天王寺たちのことだろうか。
考えていると、神室は観覧車に乗る列の最後尾で足を止めた。
「乗るの?」
「おまえってわかりきってることを聞いてくるよな」
「いや、だって、俺と二人でなんておかしくない?」
「一人になりたいって言っても、こんなところで一人になってたらやばいだろ。そんくらいわかんねえの?」
「それはわかるけど、檜山くんたちは?」
「だから、あいつらといると疲れるって言ってんだろ」
あいつらと言って指した範囲は、天王寺たちだけではなく檜山たちをも含んでいたらしい。つまり、ここへ来たメンバー全員ということになる。
「お次の方どうぞ」
順番が回ってきて、神室とゴンドラに乗り込んだ。高所恐怖症ではないが、揺れると少し怖い。
しかし、上昇していくにつれ、人や物がぐんぐんと小さくなっていく様は面白い。観覧車なんて何年ぶりだろう。小学生のときに町内会で遊びに行った遊園地以来だろうか。
海莉は景色に目を奪われ、揺れる恐怖を感じなくなっていった。
「あ、ほら。颯が探してるよ」
「まじ?」
神室が海莉の座る側にやってきて、ゴンドラがぐらりと揺れた。
「なんでこっちに……そっから見えない?」
「口で言われただけでわかるかよ。どこにいんだよ」
「ほら、あそこ」
きょろきょろとしている颯の元へ、レイたちが近づいていく様子が見える。
それは海莉の右手側の窓に位置する場所で、海莉が指し示すと、左側に座っていた神室は、海莉の肩に触れるほど身を乗り出してきた。
「まじだ。笑える」
「心配させるから連絡しておこうか」
スマホをポケットから取り出そうとするも、手探りするどころか身動きすらできない。神室が距離を詰めているせいだ。
「心配させておけよ」
「なんで?」
「面白えじゃん。各務が発狂するぞ、たぶん」
からからと笑う神室は、息がかかるほど近い。真夏のゴンドラの中は暑苦しい。そのせいだろう。海莉は目まいのしそうな暑さに、息苦しくなってきた。
「傾いてるって……」
「なにが?」
「神室は怖くないの?」
「ああ、これ?」
「ちょ、揺らさないでよ」
「ビビりめ。怖いんなら俺に掴まっててもいいけど」
神室は面白がっている様子で、わざとゴンドラを揺らしてくる。海莉と同じ側に座り直したのは、意地悪をするためでもあったようだ。
「ビビってないよ」
「へえ」
「……だからって揺らすのはやめてよ。本当に落ちたらどうすんの?」
さっきよりも激しく揺らされて、海莉は思わず神室の服の端を掴んだ。掴まってもいいけど、との神室の言葉が頭に残っていたせいだ。
口と行動が合っていないことに恥ずかしくなった海莉は、慌てて離そうとした、その手を神室に掴まれた。
「……なに?」
「ファンなんだろ? 俺の」
「えっ?」
「ファンサしてやるよ」
神室の声はささやくような声音だった。それでも明瞭に聞き取れたのは、神室に抱き寄せられて、耳に息がかかるほどの距離で言われたからだった。
「ふざけるのはやめてよ」
海莉は海莉の腕を掴んで離れようとした。しかし、神室はまたも抱き寄せてくる。寄せるという表現では足りない。抱きしめると言っていいくらいに、神室の力は強い。
ファンというのは、義兄弟であることを隠すための言い訳だ。何度もネタにしてきた神室は当然わかっている。
わかっているはずなのに、なぜこんなことをするのだろう。わからないが、意地悪だとしても、いつもとあまりに違うせいで調子が狂う。目まいどころか倒れてしまいそうだし、汗もすごい。心臓は熱に耐えきれないとばかりにバクバクと踊り狂っている。
神室は恥ずかしくないのだろうか。
「……へえ、嘘なんだ?」
神室は力を緩めて身体を離してきた。ほっとしたのもつかの間、今度は覗き込まれて、海莉は慌ててうつむいた。
顔が熱いということは赤くなっているかもしれない。見られるくらいなら、抱き寄せられていたほうがまだマシだった。
「なに言ってるの、いまさら」
「ファンってのは好きって意味じゃん。俺のこと好きなんだろ?」
愉快げな声で、顔を上げろとばかりに顎を掴まれる。
「やめてよ」
「なんで下向いてんだよ」
「神室が変なことするからだよ」
「変なことってなに?」
「ファンサとか言って……」
「やっぱ嬉しいんじゃん」
なにが、と聞こうとしたその口を、神室に塞がれた。
何分にも感じたその瞬間は、おそらく一瞬で、神室はすぐに離れていった。
絶句をして固まっている海莉に、ほんのり頬を染めた神室はあかんべーの仕草をしたあと、向かい側の席へ移動していった。
しかし、日常から切り離された場所へ来て、かつそこがレジャーパークともなれば、人の気分も普段とは変わってくるらしい。意外にも全員楽しんでいる様子だった。
しかもレイは女性の扱いが上手く、女子たちは不満な顔を一つ見せず、延々と賑やかだった。イギリス人の気質ゆえか、優しい性格だからか、女子たちとはまるで最初から四人グループかのように馴染んでいた。
「海莉のよさを知っているってことはいい子たちじゃん? でも、緊張して話しかけられないとか、奥ゆかしくない?」
レイは女子たちが海莉をいじめるでもなく、また近づこうともしない点が気に入ったのだと話していた。
近づけないどころか、おそらく存在自体も目に入っていないものと思われる。天王寺たちは「神室くん」としてレイに話していたようだから、神室違いだろうとしか思えない。
しかし、神室や颯に対するようなとげとげした態度を取られるよりも断然いいとして、海莉は敢えて訂正しなかった。
「侑李たちがアイス食べたいんだって。海莉はどうする?」
女子たちとは数時間で名前を呼び合うほどの仲になったらしい。レイから誘われたものの、空気のごとく扱いの海莉が同行しても、気分が沈むだけなので断った。
「じゃ、飲み物だけ買ってくるね」
「ありがと。でも持てなかったら無理しないで」
「無理なんてしないよ。海莉が熱中症になったら嫌だし」
すぐ戻ってくるからと言って、レイは女子たちを引き連れてフードコーナーへ向かっていった。その後を檜山と高階が二次元RPGの移動画面のごとくに続き、さらにそれをおずおずとした木原が追っていった。
神室と颯は海莉とともにベンチで待機するらしい。
三人だけになって、ようやく作り笑いから解放されたと脱力し、海莉は大きくため息をついた。
楽しい空気に水を差すような真似だが、颯の目には神室しか入っていないため気づきもしないだろう。
レイを見ているとつらい気持ちになってしまう。そんな状態で無理に笑みを浮かべているのは限界だった。
天王寺たちの言う『神室くん』とは、義弟のほうであって海莉ではない。レイの勘違いを訂正すればよかったと今頃後悔していた。
最初はせっかくだから目論みどおりにすればいいとしか考えていなかった。しかし、レイと天王寺たちが楽しげにしている場面を見るのがつらくなってきたのである。
さすが美貌でも名高い天王寺たちは見るも可愛らしく、レイと並んだ姿は絵になる。というか、レイといて絵になるのは彼女たちか神室くらいで、颯たちとは俳優とスタッフといった関係にしか見えない。貴族と従僕と言うか、富豪と運転手と言うか、それは海莉といても然りだ。気にしないようにしていても、比較対象がいると気分が沈んでしまうらしい。
レイは女子たちよりも海莉を優先してくれる。海莉に対してだけは特別に優しく、他の人にはしない気遣いを見せる。
ただそれは、単に長年の友人だからだ。絵になる相手と楽しげに過ごすレイを見ていたら、本来は隣にいるべき相手ではないのだと突きつけられた気分になった。レイの魅力を知れば知るほど、好きという気持ちが高まるほどに、自分なんかが隣にいていいはずがないと思い知らされていくようだった。
「あ、あれトイレだよね? ちょっと行ってきていいかな?」
もじもじとしていた颯は、トイレを我慢していたらしい。
「そうみたいだね。行っておいでよ」
「ありがとう。神室くんは?」
「僕は大丈夫」
「じゃ、待たせて申し訳ないけど、すぐに戻ってくるから」
颯が一人トイレへと駆けていった。
「まじうざい。質問ばっかされて死ぬほど疲れるんだけど」
海莉と二人きりになったからか、神室はやれやれといった様子で途端に表情を緩めた。
「神室のこと好きだから仕方ないよ」
「向こうが好きだからって、なんで仕方ないことになるんだ?」
「好きな人のことなら色々知りたいわけだし」
「だとして、なんで好きでもないやつに答えてやらなきゃなんないわけ?」
「え? そんなに嫌ならなんでお昼を一緒に食べようなんて誘ったの?」
「それは…………おまえがここに来た理由を聞くためだ」
理由を聞くためというより文句だろう。聞かずもがな、神室は理由をわかっているはずだ。海莉の口から言わせて、そのうえでさらに謝らせようという魂胆らしい。
「……遊びに来ただけだよ」
「嘘つけよ。俺が行くって知ったから来たんだろ」
「……違うよ」
「それとも天王寺が目的か? んなわけないよな。あのもう一人の途中組と全然態度が違うし。白々しく言い逃れようとすんな」
事実だし、ぐうの音も出ない。
「そうだよ。神室がいるから来たんだよ」
しぶしぶ口にすると、神室は鼻で笑ったあとそっぽを向いた。
「俺が女子たちと遊ぶのがそんなに気になった?」
「えっ?」
「……各務が来てくれてせいせいしてるくらいだから」
なにが、と問い返そうとしたとき、神室に手首を掴まれて、ぐいと引っ張られた。
「あいつが戻ってくる前に逃げるぞ」
「えっ?」
手を掴んだまま、神室は海莉をどこかへ引っ張っていく。
「あいつって颯? 置いていっていいの?」
「うぜえんだよ。たまには一人にさせてくれ」
神室に引かれて歩いていると、観覧車がみるみる大きくなっていく。まさか乗るつもりなのだろうか。
「一人……じゃないじゃん」
「一人ってのは言葉の綾だ。あいつらといると疲れんだよ」
あいつらって、誰のことを指しているのだろう。レイが来てせいせいしてるってことは天王寺たちのことだろうか。
考えていると、神室は観覧車に乗る列の最後尾で足を止めた。
「乗るの?」
「おまえってわかりきってることを聞いてくるよな」
「いや、だって、俺と二人でなんておかしくない?」
「一人になりたいって言っても、こんなところで一人になってたらやばいだろ。そんくらいわかんねえの?」
「それはわかるけど、檜山くんたちは?」
「だから、あいつらといると疲れるって言ってんだろ」
あいつらと言って指した範囲は、天王寺たちだけではなく檜山たちをも含んでいたらしい。つまり、ここへ来たメンバー全員ということになる。
「お次の方どうぞ」
順番が回ってきて、神室とゴンドラに乗り込んだ。高所恐怖症ではないが、揺れると少し怖い。
しかし、上昇していくにつれ、人や物がぐんぐんと小さくなっていく様は面白い。観覧車なんて何年ぶりだろう。小学生のときに町内会で遊びに行った遊園地以来だろうか。
海莉は景色に目を奪われ、揺れる恐怖を感じなくなっていった。
「あ、ほら。颯が探してるよ」
「まじ?」
神室が海莉の座る側にやってきて、ゴンドラがぐらりと揺れた。
「なんでこっちに……そっから見えない?」
「口で言われただけでわかるかよ。どこにいんだよ」
「ほら、あそこ」
きょろきょろとしている颯の元へ、レイたちが近づいていく様子が見える。
それは海莉の右手側の窓に位置する場所で、海莉が指し示すと、左側に座っていた神室は、海莉の肩に触れるほど身を乗り出してきた。
「まじだ。笑える」
「心配させるから連絡しておこうか」
スマホをポケットから取り出そうとするも、手探りするどころか身動きすらできない。神室が距離を詰めているせいだ。
「心配させておけよ」
「なんで?」
「面白えじゃん。各務が発狂するぞ、たぶん」
からからと笑う神室は、息がかかるほど近い。真夏のゴンドラの中は暑苦しい。そのせいだろう。海莉は目まいのしそうな暑さに、息苦しくなってきた。
「傾いてるって……」
「なにが?」
「神室は怖くないの?」
「ああ、これ?」
「ちょ、揺らさないでよ」
「ビビりめ。怖いんなら俺に掴まっててもいいけど」
神室は面白がっている様子で、わざとゴンドラを揺らしてくる。海莉と同じ側に座り直したのは、意地悪をするためでもあったようだ。
「ビビってないよ」
「へえ」
「……だからって揺らすのはやめてよ。本当に落ちたらどうすんの?」
さっきよりも激しく揺らされて、海莉は思わず神室の服の端を掴んだ。掴まってもいいけど、との神室の言葉が頭に残っていたせいだ。
口と行動が合っていないことに恥ずかしくなった海莉は、慌てて離そうとした、その手を神室に掴まれた。
「……なに?」
「ファンなんだろ? 俺の」
「えっ?」
「ファンサしてやるよ」
神室の声はささやくような声音だった。それでも明瞭に聞き取れたのは、神室に抱き寄せられて、耳に息がかかるほどの距離で言われたからだった。
「ふざけるのはやめてよ」
海莉は海莉の腕を掴んで離れようとした。しかし、神室はまたも抱き寄せてくる。寄せるという表現では足りない。抱きしめると言っていいくらいに、神室の力は強い。
ファンというのは、義兄弟であることを隠すための言い訳だ。何度もネタにしてきた神室は当然わかっている。
わかっているはずなのに、なぜこんなことをするのだろう。わからないが、意地悪だとしても、いつもとあまりに違うせいで調子が狂う。目まいどころか倒れてしまいそうだし、汗もすごい。心臓は熱に耐えきれないとばかりにバクバクと踊り狂っている。
神室は恥ずかしくないのだろうか。
「……へえ、嘘なんだ?」
神室は力を緩めて身体を離してきた。ほっとしたのもつかの間、今度は覗き込まれて、海莉は慌ててうつむいた。
顔が熱いということは赤くなっているかもしれない。見られるくらいなら、抱き寄せられていたほうがまだマシだった。
「なに言ってるの、いまさら」
「ファンってのは好きって意味じゃん。俺のこと好きなんだろ?」
愉快げな声で、顔を上げろとばかりに顎を掴まれる。
「やめてよ」
「なんで下向いてんだよ」
「神室が変なことするからだよ」
「変なことってなに?」
「ファンサとか言って……」
「やっぱ嬉しいんじゃん」
なにが、と聞こうとしたその口を、神室に塞がれた。
何分にも感じたその瞬間は、おそらく一瞬で、神室はすぐに離れていった。
絶句をして固まっている海莉に、ほんのり頬を染めた神室はあかんべーの仕草をしたあと、向かい側の席へ移動していった。



