夏休みはさらに一週間ほど経ち、毎日のようにレイから手料理を振る舞われた海莉は感激しっぱなしだった。
 しかし、レイを意識してしまうようになったせいか、長い時間を一緒に過ごすと疲れてしまうようにもなっていた。そのため、夕食前には帰宅するようにして、神室とゲームをすることで気分をリセットするようにしていた。
 神室にレイから振る舞われた料理を報告したり、一日何をしたのかを話すと、興味がなさそうな薄い反応しか返ってこない。それを耳にすれば、レイとの関係は報告をするようなものではなく、普通の友人同士であるだけで、大した仲ではないと噛みしめることができたのだ。

「神室、今日プール行くの?」
「あ? なんで知ってんだ?」

 朝食の前に颯からLINEが届いていた。約束どおり神室の情報を得たというので本人に確認したところ、事実だったらしい。

「神室のファンから報せが届いたんだよ。誰とプール行くの?」
「ファンって誰だよキモいな。あの途中組か?」
「竹村くんって呼んであげなってば」
「うるせ。で、なんでそいつが知ってんだよ。檜山たちと決めたの昨日の夜だぞ」
「檜山くんたちと行くんだ? 他に誰が行くの?」
「高階と天王寺(てんのうじ)たち。って、質問の答えは?」
「天王寺って、天王寺侑李(ゆうり)? すご。さすが神室」

 天王寺侑李とは学年で一番人気のある女子だ。政治家や有名企業の社長を父に持つ、いわゆるカーストトップの中でもさらにその上澄みにいるレベルの子で、美貌もさることながら、男子部門の神室と並んで、女子なら天王寺と憧れのツートップなのである。

「なに? おまえあーいうのが好み?」
「あーいうのって、天王寺さん? まさか」
「えっ、そっち?」
「なにが?」
「好みどころかアウトって、理想高すぎね?」
「違うって。別次元過ぎるってことだよ。好みとかには当てはめて見るような相手じゃないってこと」

 呆れた顔をしていた神室は、途端に笑い出した。

「あれが別次元かよ。それでいうと俺は?」
「神室?」
「俺はどうなんだ?」

 目の前にいる神室は、レイを除けば誰よりも親しいと言える相手だ。しかし、学校での神室は違う。天王寺と同様に、話しかけられない限り、自分からはとても声をかけられない。
 海莉は途中入学組として差別されている側だが、海莉自身もまた人を差別していた。敬われているような人を前にすると気後れしてしまう。住む世界が違うというか、自分のことなんか視界に入ってすらいないだろうと思えて、尻込みするのだ。

「俺とは普通に喋ってんじゃん」
「神室は、義兄弟だし……」
「そんなのきっかけだろ、義兄弟とかなんて……おまえがもし女だったら……」
「俺が女って?」
「もし男女だったら話が変わるのかって考えようとしたけど、そんなキモい想像すんの無理だったわ。それで、途中組がなんで俺の予定を知ってんだ」
「わかんない。知りたいの?」
「知りたいっつーか、それをなんでおまえに報告してくるわけ? おまえらなんなの?」

 訊ねてきた神室は、おかしげに口の端をあげている。答えをわかっているうえで、海莉の口から言わせようとしているのだ。「ファンだから」と言い逃れたあのとき以来、これまでにも二回ほどネタにされている。

「プールってサマーランドなんだよね? 姫宮さんに送ってもらうの?」
「あんなとこ電車で行ってられっかよ」
「いつまでいる予定?」
「夜までだ。ってことで今夜はゲーム付き合えないから」
 
 男女三人ずつで夜まで一日プールと遊園地だなんて、絵に描いたような青春の一ページだ。羨む気力が起きないほど眩しい話だが、海莉はいい情報を得たぞとほくそ笑んだ。
 颯は午後から塾で模試を受けねばならず、どうしても休めないからと、海莉に観察及び盗撮をしてきて欲しいなどという犯罪まがいの頼みごとをしてきたが、当然ながら断った。
 さすがにそこまで追いかけられないとの理由を告げると、颯は一人きりでのレジャーは寂しいもんねなどという同情めいた揶揄を返してきたが、大きなお世話であり、しかも間違いである。

「すごおおおい!」

 いまの海莉にはレイがいる。一人きりではない。

「すごいね。来てよかったでしょ?」
「うん。このスイムウェアがあれば全然平気」

 誘えば二つ返事で喜ぶはずだと思ったレイは、しかし最初は驚くことに断固として拒否してきた。理由は自撮り写真を頑なに嫌がっていたことと同じく、人前で貧弱な身体を見せたくないからだった。
 楽しいよとあれこれプレゼンしても頑なに拒否をするので、ラッシュガードなるものがあることを教えて実物を見てもらい、ようやく承諾してもらえたのだった。
 常にダボッとしたサイズの大きいTシャツを着ているレイは、そういった理由から体型を隠していたのだと、海莉は今さらながら知った。
 レイは背丈だけでなく肩幅もあるし、貧弱という言葉からはほど遠い。着替えのときに盗み見た限りでも、腹筋は割れているし、鍛えられた立派な身体つきをしていた。

「え、ハーフ?」
「やば。イケメンすぎ」

 レイと街を歩くと人が振り返る。それと同様に、ここへ入園したあとも、歩く先々で見惚れた顔を向けられてばかりだ。
 俳優と見紛われ、モデルと言っても違和感のないスタイルと美貌を持っているのだから当然のことだが、自己評価がまるで逆とは驚かざるを得ない。

「海莉はどこに行きたい?」
「あのウォータースライダーって子供向けかな?」
「高校生でもいいんじゃない? やってみたい?」
「ちょっと興味ある」
「じゃ、行こ」

 青い空を背に微笑むレイは、日常とは別空間にいるせいか、何割か増しで魅力的だ。普通に会話をしているだけでどきどきするし、頬のあたりが熱くなってしまう。
 普段から意識してしまうというのに、今日は着替えを盗み見たうえに、スタイルの良さが顕な水着をまとっているせいもあるだろう。目のやり場にすら困ってしまっては、一日心臓が持つのだろうかと不安になるほどだった。
 
「すみません」

 ウォータースライダーのあるプールへ向かっていたところ、同い年くらいの女性二人に声をかけられた。
 ビキニ姿でかわいらしい顔立ちをした女性を前に、レイとは別の意味で緊張してしまう。

「はい」
「あの、もしお二人だけでしたら、一緒に遊びませんか?」
「えっ?」

 ナンパというやつではないだろうか。男女四人でプールだなんて、神室たちのごとくの青春だ。自分の身にもまさか、と一瞬頭によぎった海莉だが、女性たちの目には一人しか映っていないことはわかっている。

「遊ばないよ。僕たちはデートしてるんだから」
「デート?」
「デートは普通二人でするものでしょ? 二人もそうなんじゃないの? お互いに楽しもうね」

 丸い目を向けている女性二人に、レイは真顔で素っ気ないとも言える言葉をかけ、海莉の手を取って歩き出した。

「えっ、いいの?」
「いいのって、まさか海莉はあの子たちと遊びたいの?」
「遊びたいわけじゃないけど……でも、レイに興味があったみたいだし、チャンスなんじゃないの?」
「チャンスってなに?」

 レイは驚いたように足を止め、青ざめた顔を海莉に向けてきた。

「え……チャンスって、女の子と出会うきっかけみたいな」
「海莉は出会いたいの? 僕といるのに?」
「だから、俺じゃなくてレイが」
「僕は海莉の他に誰にも興味ないよ」

 きっぱりと言い放ったレイは、まるで怒っているかのように見えた。知らない人と遊ぶなんて不愉快なことだったらしい。男なら女性に興味を持たれて嬉しくないはずがないなんて、一方的な思い込みだったと反省した。

「……ごめん」
「ハーフが物珍しくて話しかけてくるだけなんだよ。ハーフって目立つから、イギリスでもしょっちゅう声をかけられてたし。海莉も学校で差別されてるからわかってくれるだろうけど、本当に嫌だよね。僕の場合は見てすぐにわかるせいか、学校だけじゃなくてどこに行ってもだから、嫌でたまらないよ」

 怒りの表情を今度は悲壮に変えたレイが、おそらく今まで抱えていたのであろう想いを吐露し始めた。
 イギリスの学校に転校した当初は、転入生なら誰でも受けるような軽いものだったはずが、何年経っても収まらないことをずっと思い悩んでいたらしい。
 学校も然りだが、外でもひっきりなしに声をかけられ、どこかへ連れて行かれそうになったこともあるという。
 ぞっとした海莉は、無理のない範囲でもいいから具体的にどんなことなのかを訊ねたところ、放課後や休みの日も呼び出されそうになったり、個人情報を根掘り葉掘り調べられたり、男女問わずに喧嘩を売られて毎日が恐怖の連続だったとレイは悲壮に顔を歪ませた。
 フィジカルでは負けないように身体を鍛えるようにしたものの、男子からは細くて女みたいだと罵られ、女子からは線が細いと揶揄されてばかりで、容姿に関してかなりのコンプレックスがあるという話だった。

「僕のことを普通に友人として見てくれるのは海莉だけなんだよ」
「それは大げさだよ。てか、もしかしてだけど、嫌がらせじゃなくて、レイと仲良くしたかったとかじゃない?」
「違うよ! 強い力で腕を掴まれたりするし、大きな声で怒鳴られたり、威圧されるんだ」
「女子からも?」
「女の子たちは、僕に近づくときだけ馬鹿にしたみたいに笑うし、返事をしても聞こえないような声で喋るから、多分嫌味を言ったり侮蔑的な言葉を言ってたんだと思う」

 レイの人柄をよく知っている海莉は、やはり信じられなかった。
 再会してからほとんどの時間をともに過ごしているが、六年間やり取りしていたレイとの印象から、今のところ差異はまったく感じられない。性別を勘違いしていただけで、他は電話で話したままの優しくて楽しい人柄だ。
 見た目は極上ともいえるイケメンで、スタイルも完璧なのに、どこに侮蔑的な言葉をかける隙があると言うのだろう。
 差別されたとも言うが、見た目にアジア系の印象はない。日本人であるレイの父も彫りの深い顔立ちをしているせいか、パット見た感じレイは純粋なイギリス人に見える。バイリンガルだから言語も完璧だ。悲壮な顔で本人が話すからには反論などできないが、正直なところ首を傾げるような話だった。

「……海莉だけなんだよ。僕と普通に話してくれるのは。それどころか助けてくれたり、守ってもくれて……」
「え……それ、いつの話?」
「ほら、給食のときに」

 レイが話し始めたそのとき、後ろから「海莉?」と呼びかける声が聞こえてきた。