予鈴が鳴った。海莉はレイを校門まで送るのはやめて、駐輪場で別れることにした。しかし、海莉一人で教室へと向かう道すがらも、行く先々で好奇の目を向けられた。
あれだけの人数に見られていたのだから、校内中に噂が広まるのも時間の問題かもしれない。
レイが何者だったのか、その目的だったらしいあの一年生は誰なのか、なぜ神室のことも知っていたのか。
そんな疑問が大勢の口に上がっているのだろう。
驚いたのも無理はない。しかし、それ以上に海莉本人が一番驚いていた。
六年もの間、可憐な美少女だと思い込んでいた相手が、ハリウッド俳優ばりの美男子だったことを知ったのだ。面と向かって会話をして、間違いなくレイであることを認識していても、いまだに整理はついていない。
教室にたどり着いたところ、ドアの前に颯の姿が見えた。海莉は目を合わせないように顔を伏せ、離れた位置から通り過ぎようとした。
「さっきの誰?」
しかし、そうは問屋が卸さないとばかりに、すれ違う瞬間に腕を掴まれて、海莉は足を止めざるを得なかった。
「彼……は幼馴染で」
「キスしてなかった?」
「レイはイギリス人だから、そういうことは」
「挨拶代わりってこと? なんで校内に入ってきたの?」
「夏休み明けに転校してくるんだよ」
「まじで?」
颯の声と同時にどよめき声が聞こえてきた。周りも聞き耳を立てていたらしい。
「でも……なんで神室くんのこと知ってんの? 神室くんのほうは知らなかったみたいだし」
「それは……」
「幼なじみで、キスするくらいの仲なんだから、海莉は理由を知ってるんだろ?」
海莉は答えに詰まった。義兄弟だからなんて理由は打ち明けられない。どう誤魔化せばいいのだろう。
「もしかして、海莉と神室くんもなんか関係があるんじゃないの? 同じ名字だし」
「それは…………違う」
以前にも否定をしたが、さらに嘘を重ねてしまった。だとして仕方があるまい。ちらっと神室を見ると、興味がなさそうにスマホを見ているが、静まり返った教室内ではその耳にも届いているはずだ。ただでさえレイとのことで怒り心頭だったのだから、へたな言い訳をすると油を注ぐことになる。
「じゃあ、なんで転入生が知ってるんだよ」
「だから……俺が……神室くんの……」
「なに? 海莉と神室くんが何か関係があるの?」
「違う。関係があるわけじゃなくて……俺が神室くんの、ファンだからなんだ」
ひらめいた海莉は、颯と同様に神室のことを憧れているものとして、レイに話していたことにした。隠し撮りをした写真を送って、かっこいいだろうと陰で推し語りをしていたから、顔を知っていたのだと説明した。
「海莉もファンだったの?」
「……隠していてごめん」
「別にいいけど、だったら早く言いなよ」
「え……うん」
「それで、その幼なじみが一発で神室くんだって気づくくらいの隠し撮り写真を持ってるの?」
「えっ? あー、うん」
「見せてよ」
「あ……えっと」
しどろもどろなところでタイミングよく授業の始まるチャイムが鳴った。はっとした颯の隙をついて、海莉は腕を振り払い、逃げるように席へついた。
授業中もやむことなく突き刺さっていた視線をなんとか耐えしのぎ、終了のチャイムが鳴ると同時にドアへと駆け出した。
背中に颯の呼ぶ声が聞こえてくる。しかし、隠し撮り写真なんてないし、見せろと言われても不可能だ。
聞こえない振りをするしかないのだからと無視を決め込み、急いで『オースティン』へと向かった。
店の中は冷房が効いていて涼しく、走って火照った身体にひんやりと心地よい。英国風雰囲気のつくりの落ち着いた喫茶店だった。ゆっくりとアイスカフェオレでも飲みたいところだが、授業が終わったいま、いつ生徒が来店するかもわからない。
レイはドリンクを飲み終えていたようなので、急いで退店を促し、金に糸目をつけている場合じゃないとタクシーを捕まえた。レイは大きなキャリーケースを持っていたのでちょうどよくもある。
「どこに行くの?」
「チェックインはまだ先なんだっけ?」
「うん。でもあと一時間ちょっとだから、近くで時間をつぶそ。海莉の家にお邪魔したいけど、ばたばたするのは嫌だし、明日にでもゆっくり見せてよ。明日は午前で学校終わりなんでしょ?」
明日どころか、レイを自宅へ連れて行くなどできそうにない。閻魔なみの神室の形相を思い出し、絶対に無理だと、海莉は頭を振った。
「学校はね……それよりホテルってどこ?」
「海莉の家の最寄り駅近くだよ」
だとすれば、レイと出かけるために調べていたことを活かせる。海莉は記憶を手繰り寄せ、神室家とは真逆の方向だが、駅からほど近いところに高校生でも入れそうなファミリーレストランがあることを思い出した。
運転手にその店へ行くように告げたあと、ほっとした海莉はシートの背もたれに脱力した。
「ねえ海莉」
「……なに?」
レイがいきなり、肩が触れ合うほど身体を寄せてきた。海莉は驚くあまり窓のほうへ飛び退いたが、レイはふふふと笑いながら、さらに距離を詰めてくる。
「チェックインしたらそのまま部屋に泊まってくれる?」
「はあっ?」
「……大きな声出さないでよ。びっくりする」
「何で……」
「せっかく会えたんだから、夜通し語ろうよ」
語ると聞いて、あらぬ想像をした自分が恥ずかしくなった。レイが女子だったとしても、恋人だったわけではない。そのうえ現実は同性だったのだから、なおのこと馬鹿げた妄想だ。
「でも、明日も学校だし……」
「明日で終わりでしょ? ちょっとくらいいじゃん。夜中になる前には寝かせるからさ」
「だけど……」
「近くだし、ママやダディは帰ってこないんでしょ? 夕食もどこかに食べ行こうよ。一旦家に戻ってあの北海道で着てたグレーのシャツ着てきて欲しいな」
「シャツ? グレーって、灰色だっけ?」
話しながら、レイは顔を近づけてくる。海莉はじりじりと窓のほうへ下がり、後頭部がかつんとぶつかった。
「あったよ。水族館に行ったときの服。かっこよかった」
間近にまで迫ったレイがうっとりとした微笑を浮かべた。
「……お、ぼえて、ない」
覚えていないというか、何も考えられない。
見つめていたレイの口元がさらにあがり、ぐぐっと近づいてくる。慌てた海莉は、またもレイの口元を両手で覆った。手が触れた瞬間、不満げに眉根を寄せたレイに睨まれる。
「なんでキスさせてくれないの?」
「いや、だから……そういうことしちゃだめなんだって」
「なんでだめなの?」
「……イギリスでは挨拶みたいなものかもしれないけど、日本では違うんだって」
「挨拶じゃないって。それも言ったよ」
「でも、日本じゃ友達とはしないことなんだよ。……男同士だし」
男同士、と海莉が言った瞬間に、レイの瞳が悲しげに揺れた。浮かべていた微笑がふっと消え、うっとりと向けられていた目は運転席のほうへ逸らされた。
「……海莉は、僕のこと女の子だと思ってたんだっけ」
「え……うん」
「つまり、今までのは勘違いしていたせいで……」
レイは途中で口をつぐんでしまった。
今までのは、というのは何を指しているのかわからないが、勘違いしていたことは事実だ。何年もの間、毎日のように電話やメールを交わしていた相手から勘違いされていたらショックだろう。傷つけてしまったのかもしれない。
レイは家族から離れてたった一人で海を渡ってきてくれた。その親友を来てそうそう悲しませるとは、互いに悪くないことだとはいえ、申し訳ない気持ちになる。
気落ちさせた分は取り戻してやりたい。奮い立つべきだと決意を新たにした。
あれだけの人数に見られていたのだから、校内中に噂が広まるのも時間の問題かもしれない。
レイが何者だったのか、その目的だったらしいあの一年生は誰なのか、なぜ神室のことも知っていたのか。
そんな疑問が大勢の口に上がっているのだろう。
驚いたのも無理はない。しかし、それ以上に海莉本人が一番驚いていた。
六年もの間、可憐な美少女だと思い込んでいた相手が、ハリウッド俳優ばりの美男子だったことを知ったのだ。面と向かって会話をして、間違いなくレイであることを認識していても、いまだに整理はついていない。
教室にたどり着いたところ、ドアの前に颯の姿が見えた。海莉は目を合わせないように顔を伏せ、離れた位置から通り過ぎようとした。
「さっきの誰?」
しかし、そうは問屋が卸さないとばかりに、すれ違う瞬間に腕を掴まれて、海莉は足を止めざるを得なかった。
「彼……は幼馴染で」
「キスしてなかった?」
「レイはイギリス人だから、そういうことは」
「挨拶代わりってこと? なんで校内に入ってきたの?」
「夏休み明けに転校してくるんだよ」
「まじで?」
颯の声と同時にどよめき声が聞こえてきた。周りも聞き耳を立てていたらしい。
「でも……なんで神室くんのこと知ってんの? 神室くんのほうは知らなかったみたいだし」
「それは……」
「幼なじみで、キスするくらいの仲なんだから、海莉は理由を知ってるんだろ?」
海莉は答えに詰まった。義兄弟だからなんて理由は打ち明けられない。どう誤魔化せばいいのだろう。
「もしかして、海莉と神室くんもなんか関係があるんじゃないの? 同じ名字だし」
「それは…………違う」
以前にも否定をしたが、さらに嘘を重ねてしまった。だとして仕方があるまい。ちらっと神室を見ると、興味がなさそうにスマホを見ているが、静まり返った教室内ではその耳にも届いているはずだ。ただでさえレイとのことで怒り心頭だったのだから、へたな言い訳をすると油を注ぐことになる。
「じゃあ、なんで転入生が知ってるんだよ」
「だから……俺が……神室くんの……」
「なに? 海莉と神室くんが何か関係があるの?」
「違う。関係があるわけじゃなくて……俺が神室くんの、ファンだからなんだ」
ひらめいた海莉は、颯と同様に神室のことを憧れているものとして、レイに話していたことにした。隠し撮りをした写真を送って、かっこいいだろうと陰で推し語りをしていたから、顔を知っていたのだと説明した。
「海莉もファンだったの?」
「……隠していてごめん」
「別にいいけど、だったら早く言いなよ」
「え……うん」
「それで、その幼なじみが一発で神室くんだって気づくくらいの隠し撮り写真を持ってるの?」
「えっ? あー、うん」
「見せてよ」
「あ……えっと」
しどろもどろなところでタイミングよく授業の始まるチャイムが鳴った。はっとした颯の隙をついて、海莉は腕を振り払い、逃げるように席へついた。
授業中もやむことなく突き刺さっていた視線をなんとか耐えしのぎ、終了のチャイムが鳴ると同時にドアへと駆け出した。
背中に颯の呼ぶ声が聞こえてくる。しかし、隠し撮り写真なんてないし、見せろと言われても不可能だ。
聞こえない振りをするしかないのだからと無視を決め込み、急いで『オースティン』へと向かった。
店の中は冷房が効いていて涼しく、走って火照った身体にひんやりと心地よい。英国風雰囲気のつくりの落ち着いた喫茶店だった。ゆっくりとアイスカフェオレでも飲みたいところだが、授業が終わったいま、いつ生徒が来店するかもわからない。
レイはドリンクを飲み終えていたようなので、急いで退店を促し、金に糸目をつけている場合じゃないとタクシーを捕まえた。レイは大きなキャリーケースを持っていたのでちょうどよくもある。
「どこに行くの?」
「チェックインはまだ先なんだっけ?」
「うん。でもあと一時間ちょっとだから、近くで時間をつぶそ。海莉の家にお邪魔したいけど、ばたばたするのは嫌だし、明日にでもゆっくり見せてよ。明日は午前で学校終わりなんでしょ?」
明日どころか、レイを自宅へ連れて行くなどできそうにない。閻魔なみの神室の形相を思い出し、絶対に無理だと、海莉は頭を振った。
「学校はね……それよりホテルってどこ?」
「海莉の家の最寄り駅近くだよ」
だとすれば、レイと出かけるために調べていたことを活かせる。海莉は記憶を手繰り寄せ、神室家とは真逆の方向だが、駅からほど近いところに高校生でも入れそうなファミリーレストランがあることを思い出した。
運転手にその店へ行くように告げたあと、ほっとした海莉はシートの背もたれに脱力した。
「ねえ海莉」
「……なに?」
レイがいきなり、肩が触れ合うほど身体を寄せてきた。海莉は驚くあまり窓のほうへ飛び退いたが、レイはふふふと笑いながら、さらに距離を詰めてくる。
「チェックインしたらそのまま部屋に泊まってくれる?」
「はあっ?」
「……大きな声出さないでよ。びっくりする」
「何で……」
「せっかく会えたんだから、夜通し語ろうよ」
語ると聞いて、あらぬ想像をした自分が恥ずかしくなった。レイが女子だったとしても、恋人だったわけではない。そのうえ現実は同性だったのだから、なおのこと馬鹿げた妄想だ。
「でも、明日も学校だし……」
「明日で終わりでしょ? ちょっとくらいいじゃん。夜中になる前には寝かせるからさ」
「だけど……」
「近くだし、ママやダディは帰ってこないんでしょ? 夕食もどこかに食べ行こうよ。一旦家に戻ってあの北海道で着てたグレーのシャツ着てきて欲しいな」
「シャツ? グレーって、灰色だっけ?」
話しながら、レイは顔を近づけてくる。海莉はじりじりと窓のほうへ下がり、後頭部がかつんとぶつかった。
「あったよ。水族館に行ったときの服。かっこよかった」
間近にまで迫ったレイがうっとりとした微笑を浮かべた。
「……お、ぼえて、ない」
覚えていないというか、何も考えられない。
見つめていたレイの口元がさらにあがり、ぐぐっと近づいてくる。慌てた海莉は、またもレイの口元を両手で覆った。手が触れた瞬間、不満げに眉根を寄せたレイに睨まれる。
「なんでキスさせてくれないの?」
「いや、だから……そういうことしちゃだめなんだって」
「なんでだめなの?」
「……イギリスでは挨拶みたいなものかもしれないけど、日本では違うんだって」
「挨拶じゃないって。それも言ったよ」
「でも、日本じゃ友達とはしないことなんだよ。……男同士だし」
男同士、と海莉が言った瞬間に、レイの瞳が悲しげに揺れた。浮かべていた微笑がふっと消え、うっとりと向けられていた目は運転席のほうへ逸らされた。
「……海莉は、僕のこと女の子だと思ってたんだっけ」
「え……うん」
「つまり、今までのは勘違いしていたせいで……」
レイは途中で口をつぐんでしまった。
今までのは、というのは何を指しているのかわからないが、勘違いしていたことは事実だ。何年もの間、毎日のように電話やメールを交わしていた相手から勘違いされていたらショックだろう。傷つけてしまったのかもしれない。
レイは家族から離れてたった一人で海を渡ってきてくれた。その親友を来てそうそう悲しませるとは、互いに悪くないことだとはいえ、申し訳ない気持ちになる。
気落ちさせた分は取り戻してやりたい。奮い立つべきだと決意を新たにした。



